休み明け(3)
放課後になった。いち早く教室を抜け出したオレは、既に教室前に居た姫宮と連れ立って屋上に向かった。いよいよオチをつける時だ。と言っても基本的にオレは付き添いの立場なので気が楽だ。大変なのは姫宮だが、こうして見る限りでは落ち着いてる様だ。
「サキはどうするって?」
「部活動申請用紙を出した後、すぐ帰るそうだ」
「そう」
こんな感じ。
それっきり黙ってしまい、人気のない屋上までの階段は静まり返る。きゅっきゅっという床との摩擦音が反響している。やがて、階段が終わり、屋上へは扉一枚隔てるだけとなる。姫宮は何の躊躇いも無く扉を開け放つ。旧校舎の扉とは違って、開閉音が静かだ。
薄暗い校舎にまだ高い日が差し込む。
神谷はまだ来ていない。
オレは手擦りに寄り掛かり、町を一望する。この角度からだと七夕中学が見える。オレと前守、藤代、水野、内田の出身中学だ。姫宮の寝覚中学と、遊佐神谷の花残中学は見えないし、そもそも場所が分からない。あそこに居る時は今のことなんて想像もつかなかった。いつかこの町を出ることがあれば、飛行機からこの町を眺めて懐かしむ日も来たりするのだろうか。
姫宮は何をするでもなく、屋上の中心でただぼうっと立ち尽くしている。
丈が余りまくってる制服が風になびく。寂しそうに見えた。
姫宮を見ていたら、足音が聞こえてきた。
「ケン」
不意に呼ばれてどきっとする。
ちょいちょい、と手招きしている。
こっちに来いと言う事だろう。傍に寄ると裾を捕まれた。緊張していないということはないみたいだ。
「サキが来なくて良かった。今からすることは見られたくないからね」
「オレには良いのか」
何を言ってるのかわからないな、と言いたそうに首を傾げる。
「そりゃあ、好きだしね。僕の事は全部知ってほしいと思っている」
「……何度も言うけど」
「わかってる。サキが好きなんだよね」
足音が一層近付いたと思ったら、神谷が屋上に這入って来た。足を引きずっていて見るからに痛々しい。近付くのも億劫らしく、扉を開けて直ぐのところにもたれ掛かる。
「……猿見亜紀か?」
「そうだよ」
笑いそうになるが、下唇を噛んで堪える。今はそういうのじゃない。
「聞きたいことって書いたと思うけど、まずは僕の話を聞いて欲しい」
神谷はオレには目もくれず、姫宮をぎろりとした視線で観察し続けている。
コイツ、人相が変わったな。今なら人殺しと言われても違和感は無い。
「君は八木を自分が殺したものだと思っているみたいだけど、僕はそうは思わない。第三者が助けてくれたんだよ」
神谷は何も言わない。
「おかしいと思わなかったかな。君は倒れた状態で八木と向かい合っていたんだろう?どうやって八木の頭を打ち抜くんだよ」
神谷は何も言わない。
「その第三者は何でそんな時間に学校に居たのか。多分君の友達か何かで、一緒に帰ろうとしていたんだろう。しかし、その日は会えなかった。そして二度と帰らぬ人となった。ここまでが前提だ」
神谷は何も言わない。日陰に入っているので表情はわからない。痛むのか足が震えていて、段々姿勢が低くなる。
「それで、『聞きたいこと』だ。遊佐君を殺したのは君か?」
神谷はゆっくりと口を開くが、何も言わない。アスファルトからの照り返しがきついというのに、がたがたと震えている。
居た堪れない気分になる。何でこんなことになったんだっけ? 答え合わせのため、だったか?
「……違う、僕は悪くない」
「その反応で十分だね。何が悪くない、だよ」
姫宮が冷たく言い放つ。
オレも驚いたが、神谷も驚いたのだろう、姫宮の顔を見上げている。反対に姫宮は神谷を軽蔑するような表情で見下ろしていた。
姫宮はより一層力を込めて制服の裾を引っ張る。
「ああ、それから君の足――庇い方からして大腿骨かな、折れているよ。病院に行く事をすすめるよ。価値が無くなるからね」
「ちょっと姫宮……」
今のはまずい。
神谷が足を庇いながら中腰になる。今にも飛び掛りそうだ。オレは仕込んでいた警棒をいつでも取り出せるようにする。
「だってそうだろう。野球をしない神谷瞬に何の価値がある? いや、価値どころじゃない。マイナスだ。唯一の友に手を掛けたんだからね」
「――良い加減に」
しろ、まで言えなかった。背筋まで凍りそうな冷たい声で姫宮は吐き捨てる。
「この人殺し」
成る程。これは前守には見せられないな。
神谷もすっかり放心してしまい、顔を伏せてしゃがみこんで表情も分からない。しばらくはこのままだろう。襲ってくる心配も無い。
「……ああ」
怖かったーと姫宮がいつものトーンになっている。相当に疲弊しているのだろう、へたりこんでしまった。
こうして見る分にはあどけない少女なんだがな。
「もう終わったなら帰って良いか? 正直、居心地が悪い」
「うん。僕も帰りたいけど、腰が抜けた」
おんぶ、と両手を差し出す。
何で退行してるんだと思ったが、無理も無い。人見知りがあれだけの事を言ったのだから。喋っている間も手はずっと震えていた。
オレはしゃがんで姫宮を背負う。軽い。
「……じゃあ」
神谷に形ばかりの挨拶をして、扉に手を掛ける。そこまで力を入れたつもりも無かったけど、扉は勢い良く開いた。何で、と思っていたが、単に向こう側からも扉を開く人が居たからだった。二人分の力で扉を開けば、そりゃあ勢い良く開くに決まっている。そしてその人物にオレは心当たりがある。オレが呼んだんだから。
藤代。
オレと入れ違いに屋上に這入った藤代は、あの時と同じように金属バットを持っていた。これから何が起こるかは、オレの与り知らぬことだ。
二人は屋上を後にする。
姫宮を背負っているのだ、踏み外さないように一歩一歩ゆっくり降りていたら、背後で鈍い音がした。丁度、人をバットで殴ったらあんな音がするんだろうな、って感じの鈍い音が。
「これで二人の人殺しは裁かれたね」
姫宮が笑う。
遊佐を庇う様な事を言っていたが、そうでもないらしい。
八木を殺したのは間違いないのだ、罪には罰をということだろう。
全く、姫宮らしい。
「そういえば、話は戻すけどさ」
「……猿見亜紀か?」
吹き出した。それはずるいって。
姫宮もオレの背中をばしばし叩きながら笑っている。
二人の笑い声が放課後の学校に響き渡る。
「ラブの話?」
一頻り笑った後に姫宮が言う。ラブとかふざけた言い方をするのは照れ臭さからだろうか。まあ良いや。
「そう、ラブの話。実は前守にラブレター書いたんだ」
「ほう、青春っぽい」
笑ってる間にもう玄関についている。姫宮の室内履きは脱がせて靴箱に仕舞う。代わりに外履きを取り出すが、履かせるのが面倒なので手に持って外に出る。
奇異の目で見られては無いだろうか。言い訳が立つように、姫宮の足に包帯でも巻けば良かった。
「どう思う?」
「どう思うと言われてもね。内容は知らないけど、その場で破り捨てられると思うかな」
「やっぱりか」
趣向を変えてみたけどオチは変わらないのか。
ううむ。
どうやって伝えたものか。
「因みに何回目?」
それは良く覚えている。
オレは間髪入れずに答える。
「三十二回目」
「懲りないねえ」
大人しく僕とくっつけば良いのに、と耳元で囁く。
「お前こそ、オレに好きって何回言ったよ」
「さあ? 三桁は軽いんじゃないかな」
「懲りないのか」
姫宮はころころと笑う。
「これは勝負なんだよ。ケンの告白が成功する前に振り向かせるっていうね」
「負けるつもりはないぞ」
オレは、前守が好きだ。多分、小学生の頃からずっと。
「あはは、酷いなあ。だから好きなんだけどね。それに」
姫宮の両手でオレの肩を掴む。
「今だけは僕のもの」
「あ、それで思い出した」
制服の上着、胸ポケットに手を入れる。
荻じいさんの贈り物だ。
「今から使う気かい。心の準備をさせてくれないかな。僕だって初めてなんだ」
ふざけたことを言っている。
「いや、押し付けられたのを捨て忘れてたんだよ……なんでオレを初めてだと決め付ける?」
「経験があったなんて、驚きだ」
「無いけどな」
良い雰囲気だったのに台無しだね、と姫宮。
適当なゴミ箱にそれは放り込んでおいた。
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