事件翌日(4)

「すみませーん! 携帯落としちゃったみたいで! 届いていませんか?」


 空気を読むことをしない前守が、職員室の扉を勢いよく放ちながら言った。無駄に良い笑顔だ。

 教師の視線が一気に集まるが、呆気に取られていたのだろう、誰も喋らず固まっている。

 やがて、藤堂という五十近い痩せぎすの教師が立ち上がる。他の教師と同じく、顔が強張っている。


「ああ、届いているよ。さっき僕が拾ったんだが、前守さんのだったんだね」


 携帯を机から拾い、近付いてくる。携帯を取る一瞬だけ後ろを見ていたのだが、振り返ると作ったような笑顔が張り付いていた。


「おい、お前ら」


 生活指導の木村も立ち上がるが、藤堂が制止する。木村はまだ若い。生徒と並んでも違和感がないほどだ。木村はその場で立ち竦む。口を挟むのは憚られるということだろう。

 職員室に静寂が戻り、藤堂の足音だけが響く。

 逃げ出したいような衝動に駆られたが、姫宮がオレの裾を掴んでいて動けない。それに逃げてどうなるものでもないだろう。観念していたら、藤堂が目の前に立っていた。前守に携帯を手渡す。


「鎌田先生には会わなかったかな? 昨晩通報があったんだが、どうやら我が校の仲間が亡くなったらしいんだ。悲しいことだがね。だからと言うんじゃないが、今日は休校だ。大人しく帰ると良い」


 口調は優しかったが、帰らないと酷い目に合うぞと思わせるような力強さがある。なんならコイツが直接手を下しそうな雰囲気さえあった。


「はい、ありがとうございます。大人しく帰らせてもらいます。先生方もどうかお気をつけて」


 前守は笑顔を崩さずに言い、一礼して扉を閉める。

 少し時間を置いて職員室内がざわつき始める。


「早く帰った方が良いみたいね」


 前守は携帯を仕舞い小走りで職員室を後にする。

 藤堂に気圧されていた、という訳ではないが出だしが遅れて半ば前守を見守るような形になってしまう。

 前守が立ち止まる。


「何してんの? 折角穏便に帰してくれたんじゃない。鎌田にでも遭ったら大変なことになるわよ」


 そうか。

 オレも姫宮が裾を放すのを見て追いかける。




「で、これからどうするんだ。作戦会議だったか」


 三人で帰途につきながら今後の予定を確認する。例の出口を使ったので、鎌田と遭遇することは無かった。


「そうね。どっかで話したいわね」


 因みに師走高校周辺に茶を飲むような店は無い。カラオケなんて見たことも無い。必然的に誰かの家ということになるが。


「犬一、家は開いてる?」


 開いているか閉まっているかで言えば、閉まっているが。まあ、普通に家の人が居るかどうかを聞いているんだろう。

 それにしても。


「何でオレの家なんだ」


「一番近いから」


 だったらお前の家も然程変わらないだろう、と言いたくなるがこうなったら聞かないのがコイツだ。あんまり人を招きたくは無いんだけどな、と溜息をこぼす。


「決まりみたいだね」


 取り敢えず歩いていたオレ達の目的地が決まる。

 喜ばしいことではなかった。

 道中、オレは黙っていたけど、他の二人はずっと喋っていた。とは言っても基本的に前守が喋り、姫宮はときどき合いの手を入れるだけだった。甲子園出場を狙う他校からの刺客じゃないとか、それじゃあ現実味が無いねとか。

 家の前まで着いたところで、姫宮の反応がいまいちだったのが気に食わないのか、オレに話し掛けてくる。


「ねえ、痴情の縺れならどうかしら」


「それも何かなあ。ありきたりすぎないか」


 ポケットから鍵を取り出して扉を開けると、前守が敷居をくぐりながら言う。


「それも部内での」


「ちょっと面白いけどやめろよ」


 うちの野球部にマネージャーは居ない。

 姫宮は苦手な話題なんだろう、苦々しい表情をしている。


「三角関係が濃厚ね」


「野球部に三人も居るのか……」


 姫宮に気付かず話を続ける前守に呆れながら靴を脱ぐ。

 玄関に人が多くて違和感。前守はいち早く靴を脱いだと思ったら、既にずかずかと上がり込んでいる。


 姫宮の家でもそうだったが、基本的に人の家だから遠慮をするということはないみたいだ。


「リビングで座っていてくれ、部屋には上がるな」


 ほっておいたら何処までも入っていきそうなので、それだけは回避する。見られない程散らかっている訳ではないが自室には人を入れたくない。


「はーい」


 ようやくのことで靴を脱ぎ、顔を上げると、上目遣いの姫宮と目が合う。

 何か言い出すのかと思い、視線を逸らさずに待っていたがまたしても特に何も言わない。仕様がないので前守の待つリビングに歩くとやや遅れてついてくる。既視感の正体に気付いた。前に飼っていた犬だ。ついでに当時の前守が『犬一が犬飼ってる!』と言っていたのを思い出し、腹が立つ。


 ことん、と音がした。

 リビングで前守が三人分のお茶をグラスに注いでテーブルに並べていた。


「いらっしゃーい」


 ここお前の家なの?

 椅子に腰掛け、お茶を半分ほど飲み干す。麦茶だった。夏に麦茶とは気が利くと思ったところで頭を振って考えを改める。そもそもこの麦茶を作って冷蔵庫に入れたのは、このオレだ。


「これからについて話すわよ」

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