事件翌日(3)

「……ちょっと狭すぎるわ」


 オレと前守は焼却炉の中に居た。

 昨日見たオレの人二人入りそうといった目測は正しかった。しかし、やはり無理があったらしく、どうしても体を密着せざるを得ない。今にも前守の胸が……当たるほどなかった。


「まあでも、もう安心かな」


 焼却炉の口を閉めたので、外から見られるということは無い。逆にこっちはわずかな隙間から誰が来たのかはわかる。果たして、数秒で巡回者は視界に入った。


「三条校長ね」


 白髪で恰幅の良い三条を、この隙間からでも見間違いはしない。前守は待機していた姫宮にメッセージを送る。


『三条』


 これだけだ。

 三条は辺りをきょろきょろと見回している。物音がしたのに誰も居ないことをいぶかしんでる様子だ。林の中も念入りにチェックしていてその度に視界から消える。

 再び視界に戻ってきた三条は、もしかしたら、いやでも、と戸惑いの表情を見せながら、こちらに近付いてきた。

 まずい。体がぎゅっと強張る。前守は目を閉じてオレにしがみついている。

 一歩、また一歩。

 もう駄目だ、オレも直視できずに目を閉じる。


 その時だった。

 ――三条校長先生。お電話です。


 校内放送が鳴ったのだ。

 三条は踵を返し、薄くなった頭頂部が見える。そのまま視界から消えると、やがて足音も聞こえなくなった。

 作戦成功、と言ったところだろうか。

 立案者である前守は少し震えていた。オレは小さくなった前守の背中を撫でる。結局三条が居なくなって、十分後にオレ達は焼却炉から脱出することが出来た。




「遅かったね、てっきり間に合わなくて説教でも受けていると思ったよ」


 美術室の扉を開けると、昨日と同じポーズで姫宮が迎えてくれた。前守はすっかり機嫌を直していて、姫宮に手を振っている。


「いや、それはギリギリセーフだった……」


 さっきの良いタイミングで三条校長を呼び出したのは、何のことは無い。此処に居る姫宮だ。予め見つかったときのために、もし教員の名前が送られてきたら、学校に電話を掛けその教員を呼び出すように前守が言っていただけの話だ。


「まあでも、成功して良かったわ。あたしなんて怖くて震えてたんだから」


 立ち直りが早いなコイツ。

 もうネタに出来るのか。


「取り敢えずは第一関門突破だね。サキが疲れたなら第二は僕が行こうか?」


「大丈夫よ」


 ぶいっと、ピースした手を突き出す。

 姫宮もそれをうけて微笑む。


「じゃあ、犬一」


「はいよ」


 オレは電話帳で前守の名前を出し、コールする。

 呼び出し音一回で前守は電話をとり、廊下に出る。


「聞こえるか」


『本日は晴天なり』


 それは聞く側が言うものじゃなかった筈だが、聞こえるなら良いか。どちらかというとこっちの音は入らない方が良いのだが。


『じゃあ行ってくるね』


 前守の声が途切れ、代わりに足音だけが入ってくる。オレは携帯を耳から離して、スピーカーに切り替えて机に置く。


「上手くいくかな?」


「さあな」


 携帯越しに扉を開ける音がする。渡り廊下に入ったのだろう。ここからは巡回者でなくとも普通に見つかる可能性がある。姫宮が緊張しながら携帯に耳を傾けている。

 二回目の開閉音。ついに本校舎だ、と思ったら急に大きな音がした。固いもの同士がぶつかるような。続いて走っているような足音、扉の軋む音……これは閉まる方だろう。

 姫宮が苦笑いになる。


「随分滅茶苦茶やっているね」


 心底呆れる。

 つまりは本校舎の扉を開け、携帯をぶんなげて走って逃げたってところだろう。

 なんて雑なんだ。

 遊佐を見習え。

 やがて、携帯からは何の音もしなくなり、代わりに美術室の外から足音がするようになる。こっこっこっと小気味よい音を立てて前守が帰ってくる。


「大成功!」


「どこがだ。物音に気付かれてその場で見つかることも有り得たぞ」


「その時はその時よ。大体学生が学校に居て何が悪いのよ。携帯だって落としたと言えば良いじゃない」


 本気で言ってるんだよな、コイツ。


「だけど、まだ成功とは決まってないだろ。誰かが拾わないと」


「それは大丈夫じゃないかな」


 オレに反論したのはまたしても姫宮だった。


「確かに渡り廊下は職員室から近くないけど、間に職員用トイレがあるからね。トイレに立つことがあれば目につくんじゃないかな」


 投げ捨てた場所にもよるけどね、と続ける。


「まあ、見てなさいって」


 得意気に無い胸を張る前守。

 実際、目的は直ぐに果たされた。足音が近付いたと思うと急に止み、衣擦れの音を伴いながら再開されたのだ。誰かに拾われたのだろう。オレ達三人は携帯に視線を注ぐ。職員室に向かっているのか喧騒が近付いてくる。

 がらがらと音がする。拾い主が職員室に入ったのだろう。ざわめきが言葉として聞こえてくる。


『……後頭部から、大量に出血していた……』

『……残忍な奴だ。私がその場に居たら……』

『……しかし、野球部は災難でしたねえ……』

『……どうでも良いでしょう、そんな事……』

『……どうでも良いとはなんだ、甲子園……』


「どうでも良いだろ」


 人が死んでるんだぞ、と思わず呟く。

 前守が指に人差し指を当て、睨み付ける。

 はあ。

 オレは窓際で耳を澄ませている前守から離れ、美術室の中央に腰を掛ける。丁度耳に入ったのは明日の授業をどうするか、という話題だった。姫宮も携帯から離れ、オレの横へと腰を下ろす。前守は携帯を耳に当てて聞きいってしまった。私がその場に居たら、の後に続く言葉はなんだろうか。


「後頭部だって、自殺では無さそうだね」


 姫宮が遠慮してか近付いて小声で言う。


「どうして言い切れる。自分を攻撃するときは無意識に手加減してしまうとか、そういうことか」


「じゃあ、やってみてよ」


 やってみろ、とはどういうことか。死んでみろといっているのかと訝しんだが、取り敢えず立ち上がり、何も持つものがないので空手で剣道の面を打ち込むような構えを取る。


「ああ、成る程」


「ねえ。殴りにくいでしょ」


 それが誰かは僕の知るところじゃないけど、間違いなく自分以外の『犯人』によって行われたものだよ、と姫宮。


「校内に犯人が居るのかもしれないのか、物騒な話だ」


「それもどうだろうね」


 続く言葉を待ったが、特に考えがある訳ではないらしく黙ってしまった。


「あっ」


 前守が素っ頓狂な声をあげる。

 向こう側に届いたらどうするんだ、と思ったけど前守が真っ暗な携帯画面を向けてきたので察する。電池切れだ。


「何か分かったか?」


 携帯を手渡しながら前守は残念そうに首を振る。


「野球部が大会に出られるかどうか言い争っていたわ。そんなこと聞きたいんじゃないのに」


 じゃあ何が、と思うが前守のことだ。犯人特定につながるようなことが聞きたいんだろう。事件だけじゃ飽き足らず、探偵役まで欲してきたというところだ。


「携帯はどうする、オレが取りに行こうか」


「それは皆で行きましょう。後で作戦会議もしたいしね」


 やっぱり終わってないみたいだ。前守は立ち上がり、拳をぐっと握る。


「じゃあ、行こうか」


 姫宮も立ち上がり、三人で美術室を後にする。人が死んだとあってか、校舎は晴れているのに空気が淀んでいる気がした。

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