事件前日 (4)

 十数分ほど経って、十字路に差し掛かった。オレの家は右、前守は左なので、ここで別れることになる。前守は「じゃあ。いつもの店で」と言って振り返りもせず行ってしまった。ばいばい、とでも言いたげに手を振っているが、やる気がないのか、虫を払っているようにしか見えない。


 いつに無く機嫌が悪いな、あいつ。


 言いたいことはわかる。オレだって中学までは、自分には特別なことがあると信じて疑わなかったさ。だけど、もう良いだろう。高校に入るまでに何かあったか? 何も無いだろ。不思議な転校生は来ないし、変な能力に目覚めることも無い。謎の組織に命を狙われることもない至って平凡な毎日だった。中学での三年間はオレに現実を教えるには十分な時間だった。しかし、前守はそうじゃないらしい。相も変わらず非日常を望んでいる。呆れるのもあるが、それ以上にオレは前守が羨ましかった。現実を知ることは、夢を失うことだと思ってる。それが悲しかったりもしたけど、偉大なる時間の流れの中で、なにも感じなくなってしまった。


「柄にも無いな」


 自宅の扉の前で呟く。

 こんな事をごちゃごちゃ考えるのは性に合わない。オレは現状にそこそこ満足してるんだ。鞄に無造作に突っ込んでた鍵を取って、扉を開ける。薄暗い玄関で、ただいまと言っては見るが返す人は居ない。自分の部屋まで戻るのも面倒くさいから、その辺に鞄を投げて、ついでに制服の上も脱ぐ。流石に制服で行く訳にもいかないだろう。洗濯籠にあった上着を上から羽織る。多分、汗臭くは無い。


 そうだ、姫宮に連絡しないと。

 開いた携帯が、発光して、暗い部屋に慣れた目に突き刺さる。


「……うぇ」


 これがあるから、携帯は嫌いだ。なるべく直視しないように、姫宮にメッセージを打つ。


『今から行く』


 送信。


 すぐさま携帯を閉じると、忌々しい光が途絶える。よしダメージを最小限に食い止めた。コイツは出るまで洗濯籠に投げておこう。

 オレは洗面台に立ち、大して格好良くも無い自分の顔を眺めるが、あまり良く見えない。さっきのこともあって、電気も点けたくないので、目を凝らして髭が伸びてないか確認する。結構念入りにチェックしたかったが、十秒もしないうちに携帯がうめき声を上げて発光しだしたから、中断することとなった。

 差出人は姫宮。


『わかった。楽しみにしているよ』


 とのことだった。前守が見たら喜びそうだな。


 前守の言う「いつもの店」は、オレと前守が自宅から姫宮の家に向かった時に丁度合流する様な場所にある。学生相手でも平気で酒や煙草を売る店だ。曰く、「俺の頃は普通にやってることだ」とか。因みに名前は荻と言うらしい。店の名前もそのまま「荻商店」だ。オレが生まれるずっと前から営業してる、と酔った荻じいさんに絡まれたことがある。そんな荻商店の前で、前守は仁王立ちで待っていた。何故か微笑みながら。死ぬほど気持ち悪い。

 そんなに会うのが嬉しいなら、頻繁に連絡取れば良いのに。


「遅い!」


 オレを見るなり、前守が叫ぶ。今から酒を買うと言うのに、制服のままだ。まあ、何回も来てるし、気にする荻じいさんでもないんだろうけど。買ってから着くまでに誰かに見られたらとか、考えないのだろうか。ただ単に面倒くさかった、というのが理由だろうか。


「さっと買って、ぱっと行くわよ。ほらほら」


 前守に促されて店内に入ると、手狭な店内にはおよそ似つかわしくない量の酒が置いてあり、思わず目移りしそうになった。さて、どれを買ったものか。姫宮も居るのだし、なるべく新しいのを買えば良いのだろうが、随分ご無沙汰していたし、どれがどれだか良くわからない。じいさんにでも聞くか。


「犬一、ちょっと手伝って」


 振り返ったオレの目の前に居たのは、両手一杯にビール缶を抱き抱えた前守だった。一目でアル中だと思われる量だったが、手伝えってことはもっと買うつもりだろうか。一ダース近いが、誰が飲むんだ。明日も学校だぞ。

 片手で二本だけ取って、レジに置く。どうせオレが持つことになるのだから、少ない方が良い。

 レジでは荻じいさんが、にやにやしながらビール缶の山を袋に詰めていた。前守はまだ物色している。


「おい兄ちゃん。サービスでコレも入れとくぞ」


 包装された丸い何かを袋に入れる。酔い止めか何か……ああ、わかった。

 やめて欲しい、ということで首を全力で振って伝えるが、このジジイは親指を立ててウィンクをするだけだった。


 駄目だコイツ。


「まあ、こんなモンで良いわよね」


 前守が戻ってくる。

 荻じいさんは最後の瓶を袋に入れ、ほらよ、と差し出してくる。二つに分けてはいるが、かなり重い。


「ちょっと財布取り出せそうに無いから、払っておいてくれ」


「いや、あたしが払うわよ、折角だし」


 何が折角なのかわからなかったが、普段奢らされているのはオレの方なので、ここは素直に受け取ることにした。帰り際に何気なく振り返ったら、荻じいさんがまたウィンクしてきた。絶対入れやがったな。


 後で捨てておこうと決意して、オレ達二人は荻商店を後にした。


「そう言えば、楓に行くって連絡した?」


「したよ」


 携帯を取り出して見せようと思ったけど、両腕が思ったより不自由だったからやめた。


「楽しみにしてるってさ」


「楽しみだって! あたしと会うのが楽しみなのかしら! ウヒョー!」


 ウヒョー、じゃねえよ。

 既に酔ってんのか、コイツ。

 あと、お前が行くって言ってないから、それは絶対にない。


「やっぱり走って行きましょう!」


 右腕をぐいぐいと引っ張られる。かなり痛い。


「やめろ。炭酸が抜けるだろ」


 今度は納得したのか、すぐやめてくれた。しかし、余程気が逸るのか、行くまでの間に無駄に跳ねたり、信号待ちでも止まらずにうろうろしたりしていた。小学校の頃に教室で飼っていたバッタを思い出して、そう言えばあのバッタはどうなったんだっけか、などとどうでも良いことに思いを馳せたりしていた。


 結構本気で考えていたけど、ものの数分で姫宮の家に着いてしまい、結局バッタのことは思い出せず仕舞いだった。無駄に広いエントランスを抜けて、インターホンに姫宮の部屋番号を打ち込む。


「おい、頼むから静かにしてくれよ、近所迷惑だからな」


「わかってるって」


 言いながら、スキップなんか踏んでいる。こうなったら手がつけられない。


『はい、姫宮です』


 待ってたのか、一回のコールで出てきた。


「上月と……」


「未咲だよ!」


 前守の大声がフロア全体に響き渡る。手遅れなのに思わず耳を塞ぐ。

 やっぱりわかってなかった。

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