事件前日 (3)

 前守の演説を聴いてるだけで、一階まで着いてしまった。オレは靴箱の前に立ち、自分の出席番号が書いてある靴箱の小さい扉を開ける。


 小汚いスニーカーが目に留まるだけで、ラブレターの類は入っていない。

 室内履きを押し込んで、足元にスニーカーを放る。突っかけるように履いているので、踵が潰れて履き心地が段々と悪くなっている(今も少し履くのに手間取った)のだが、もう捨てようと思っているので、それまでの辛抱だ。


「ちょっと、早く早く」


 既に靴を履いた前守が、屈伸して上下に揺れている。一見すると苛々している様に見えるが、そうではなく隙間風が当たって寒いのだろう。しょうがないから歩きつつ調整する事にして、玄関へと歩を進める。それを見た前守が扉を開けると、強い風が入り、向かい風に煽られながら二人して外に出る。


「まだ夕方になると肌寒いわね」


 苦笑いをもらす前守。


「たしかに……」


 スカートを履いている前守は年中寒そうだが、それでなくともこの気温は辛いものがある。


「何でこんなヒラヒラしたの着けないといけないのかしら。セクハラよね。学校をあげてのセクハラ。あたしもズボンが良かったわ」


 歩きながらスカートの裾を掴んで、バサバサと扇ぐ。

 下着が丸見えで目のやり場に困る。


「やめろ、はしたない」


「はいはい……」


 はあーっ、と溜息を漏らすが、校門までの道は石畳になっていて、靴との摩擦でそんな小さな声はかき消される。とくに前守はわざとらしく足を擦って歩いていて、かなり耳障りだ。


「あーあ、つまらない。良い感じの夕暮れだし、事件の一つや二つ起きたって良いのに。出し惜しみしているのかしら」


「誰がだよ」


「そりゃ、神か何かじゃないの?」


 また何か、か。


「何かって、なんだよ。何が起きて欲しいんだよお前は」


「何でも良いのよ。別にね、タイムスリップがしたいだとか、空から女の子が降ってくるとか、そんな超常現象は求めてない。とにかく、誰にでもは起こらないこと、珍しいことよ。そうじゃないと――」


 隣を歩いていた前守が視界から消える。立ち止まって後ろを振り返ると、二、三歩程後ろで前守が俯いたまま立ち止まってる。


「そうじゃないと、なんだよ」


 引き返して前守の隣行くことはせず、その場で向き直して聞く。


「――生きてる意味なんか、無い」


 言って、早足で歩き出す。今度は苛々しているのだろう、砂利を蹴飛ばしたりしている。

 生きてる意味なんか無いと来たか。さて、オレは何て言ってやれる?


「生きてりゃ良いことだってあるんじゃないか」


 口を突いて出たのはそんな言葉だった。違う、こうじゃない。


「ほら、高校でたら大学だろ。姫宮みたいに一人暮らしを始めたりして、なんと言うか……友達とか呼んで……」


 駄目だ。

 言えば言うほどドツボに嵌っている感じだ。


「そんなの、普通じゃない」


「それが嫌って言ってるんじゃない。今からやろうとしていることだしね。そうじゃなくて、そればっかりは嫌なの。前守未咲の人生でしか味わえないような、特別な体験がしたいのよ」


 前守はグラウンドの方に視線を投げる。前守につられて早足で歩いていた所為で、いつの間にか校門前だ。ここからはグラウンドが一望出来る。


「あそこに居る人達みたいに、集団に埋もれたくない。それに、あたしは大学に行くつもりはないから、高校生の今が最後のチャンスなの。それまでに何かが起こらないと、きっと後悔するわ。つまらない青春だった、って」


 言いながら、足元の石を蹴り上げる。一つが門扉に当たって、甲高い音が鳴り響いた。


「今から姫宮に会うだろ、今日のところはそれで我慢しろよ」


「……そうね」


 明らかに納得はしてないだろうが、これ以上オレにどうすることもできない。なんとなく、気まずい雰囲気のまま、学校を後にする。お互いに口火を切ることもなく、意味も無く携帯を開いたり、走っている車を眺めたりして時間を潰していた。

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