事件前日 (2)
午後の授業は
案の定と言うか、前守はずっと眠っていた。授業開始五分での入眠はオレが覚えてる限りでは新記録である。最近なんだか寝付きが悪いオレとしては、どうしたらそんなに眠れるのか教えて欲しいぐらいだ。
確かに、午後の授業となると居眠りをしてる人もちらほら見受けられるのだが、それでも午後の授業を通してすべて眠っていたのは前守と神谷ぐらいのものだった。休み時間を跨いで一回も上体を起こす事が無かった。やはり期待のエースともなると、プレッシャーもすさまじいのだろうか。今年の背番号一番を背負うのも神谷という話……らしい。だからだろうか、顧問のガマも一度も起そうとしなかった――ちなみに、前守は何回か背中を教科書で叩かれていたのだが、全く起きなかった。
ともかく、放課後だ。既にホームルームも終わって部活生も帰宅部も散り散りになってしまい、教室にはオレたち二人しか居ない。すぐに起きるかと思って課題に手をつけて待っていたのだが、すでに一時間が経った。これ以上遅くなったら、姫宮の家を何時に出られるかわかったものじゃない。
「おい、起きろ」
椅子に座ったまま、隣に居る前守を強く揺する。薄く脱色した茶色の髪が、手に当たってこそばゆい。
「んー……何……」
「何って、放課後だよ、放課後。姫宮に会いに行くんだろ」
言うが早いか、前守はそういう虫かと思うくらいに勢い良く起き上がり、肩に手をかけて前のめりになっていたオレに思いっきりぶつかる。
「いっでえ……!」
「……!」
目の玉が飛び出るかと思った。それぐらい強烈な痛みがオレを襲った。前守も痛かったのだろう、頭を手で押さえて机に突っ伏してしまった。お互いにダメージを負い、数秒間うずくまっていた前守だったが、急に立ち上がると、
「苦労して授業を受けた甲斐があって、やっと放課後ね」
と涙目で言った。
今の頭突きを無かった事にしたついでに、授業も受けた事にしやがった。
「いや、待て。お前は授業を受けてないぞ」
「そうだっけ? 誰かのせいで頭が痛くて思い出せないわね」
オレのせいかよ。
「そうだ。お前は二時間に渡って眠り続けていたじゃないか。よくガマの授業で眠れるな、オレが同じことしたら呼び出しからの鉄拳制裁コースだ」
「あたしと同じような身長の男なんか、怖くもなんともないわ」
怖くないのは分かるが、なぜ身長を引き合いに出したのだろう。いざとなったら力でねじ伏せるという意味だろうか。
何で武闘派なんだ。
「それに、怒られなかったから良いじゃない。早く行きましょうよ」
時計と窓の外とを交互に気にする前守。オレも振り向いて時計を見ると四時を越えた辺りだった。確かに早く行かないとまずいが、待っていたのはオレの方なんだがな。とは言わない。面倒くさい事になるから。代わりに教科書がこれ以上ないくらいに詰まった鞄を肩に掛ける。いつもの事ながら結構ずしっとくる。さっきの前守じゃないが、武器ぐらいにはなりそうだ。その前守はというと軽々と鞄を持って、さっさと歩き出していた。あいつの鞄、弁当ぐらいしか入ってないんじゃないか? そんな疑念を抱きつつ後を追って、教室の外に出る。鍵は掛けない、というか持ってない。多分、見回りの教師か何かが施錠してくれるだろう。
がらがら、と心地よい音がして教室の扉が閉まる。廊下に出ると、見渡す限り橙に染められたグラウンドで白球を追っている、いかにもな青春の光景が窓の外に広がっていた。あの中に神谷もいるのだ。思わず立ち止まって探してしまう。
「部活でも、やればよかったのに」
考えなしに、そんな言葉がついて出た。
前守のはあ、という溜息が聞こえる。
「そんなの、嫌よ。あたしは楽しい事しかやりたくないの。部活なんて面倒なことやってられないわ」
「面倒、ね」
オレは部活動なんて所属していた試しがないから何とも言えないが、それは前守も同じのはずだ。小学校にしろ、中学にしろ、コイツが球を追いかけて汗を流していた、なんて記憶にない。
「正しく言うなら、面倒くさそうね」
少し手前を歩く前守は昇降口に達していて、声が少し響いている。これ以上離れると、階段を下りるごとに視界から消えていくので、なるべく早足で追う。
「試合だけって言うなら、やってみたいけどね。だけど、その為に毎日練習なんて冗談じゃないわ。野球がしたけりゃ、休日に空き地にでも行けば良いのよ」
「……ガマが聞いてたら怒りそうだな」
階段はやけに声が響く。誰かに聞かれるとまずいから小声で言ったが、前守は声の調子を落とさずに続ける。
「ああ、鎌田。あれなんか最悪ね。先週も煙草の吸殻がベランダで見つかったとかで騒いでいたじゃない。高校生にもなれば煙草なんて珍しくないと思わない? あんな事で鎌田のクラスは全員残されていたじゃない、可哀想に。まあ、鎌田に限らず教師なんて尊敬できるものじゃないわ」
「さいで」
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