事件前日 (1)


「ヒマね。連続密室殺人事件でも起こらないかしら」


 昼休みの教室で、卵焼きを箸で切り分けながら前守――前守未咲さきもりみさきは退屈そうに呟いた。

 その眼差しは真剣そのもので、とても冗談を言っている風ではない。他人から見れば馬鹿らしいような事を、しかし本気で言うというのは、前守と出会った如月小学校時代からのものであり、思えばその頃から退屈であったんだと思う。

 そんな前守を――


「そんなこと、ある訳ないだろ」


 ――と諫める。

 特に気にしていないという風に、だよねと返す。視線は弁当箱に向けたままだ。


 それにしても、殺人事件か。宇宙人来襲とか言ってた頃に比べると随分と大人しくなったものだ。より現実的になって本気っぽく聞こえるのは問題だが、このクラスに同じ小学校出身の人は居ないし、殺人事件もよっぽど非現実的だろう。密室でしかも連続だからな。そんなのはフィクションか、あるいは遠い国での話だ。要するにオレの与り知らぬ世界ってこと。


「高校生って言ったらいかにも青春って感じしない? そりゃ今の生活がまるっきりつまらないモノだなんて言うつもりは無いけど」


 言って、卵焼きを口に放る。不機嫌が思いっきり顔に出ていて、粘土でも食ってんのかってぐらい渋い顔をしている。もう少し美味しそうに食えよ。

 オレはそんな前守を見ながら、菓子パンを鞄から取り出す。


「何か言ったらどうなのよ、犬一けんいち


「食事中にべらべら喋るのは好きじゃない。それから、上月こうづきって名字で呼べっていつも言ってるだろ。下の名前あんまり好きじゃないんだよ」


「知ったこっちゃないわ、そんなの。それに楓だって下の名前で呼んでいるじゃない。そっちは何も言わない訳?」


 射抜くような視線が刺さる。真っ向から見合う様な事はせず、パンの袋に集中する。このタイプの包みは、一回失敗したら取り返しがつかない。


 楓――姫宮楓ひめみやかえでか。


「姫宮はニックネームだから良いんだよ。それにあいつはオレの名字を高校まで知らなかったしな」


 言って指に力を込めるが、中途半端なところで破れてしまった。これでは食べられない。


「名字知らないって何よ、それ」


 それは呪われた様に小学校から同じクラスの前守と違って、姫宮とは一度も同じクラスになったことがないからだ。前守の仲介が無ければ、今頃その存在も知らなかっただろう。ニックネームは単に前守が呼んでいたのを短くしているだけの事だろう。


「話せば長くなる」


「まあ、どうせ下らない話だろうからどうでも良いんだけどね、はい」


 聞いたくせにどうでも良いのかよ、と思っていたら前守にカッターを手渡された。オレの目が腐っていなければ間違いなく、筆箱からではなく制服の内ポケットから取り出していた。まだやってたのか、それ。


「姫宮、ねえ。その他人行儀な呼び方こそどうにかならないの? あたしのことも名字で呼んでるし」


「関係で呼び方を変えるのは面倒だから統一してる。変えるつもりはない」


 ああ、つまらない。とでも言いたげにため息を漏らして、弁当を口に運ぶ作業に戻る前守を見ながら、やっと食事にありついた。

 そう、それで良い。

 コイツは無駄に喋り過ぎる。人見知りの姫宮と足して二で割りたいぐらいだ。


 しかし、姫宮か。ここ一ヶ月ぐらい見てないな。入学直後は普通に通学していた気がするが、またサボっているのか。心配と言うほどじゃないが、ちょっと気になる。

 丁度良いことに前守も不機嫌だし、今日の放課後辺り遊びに行くと言うのはどうだろうか。ふむ。我ながら妙案な気がしてきた。


「今日の帰りに、姫宮の家にでも寄らないか?」


 考え事をしている間に窓の外を眺めて黄昏ていた前守の顔が、ぱーっと明るくなる。


「良いわね、それ。最近見ないし、安否の確認も兼ねて行くべきね。うわあ、楽しみ」


 情緒不安定なのかコイツ。さっきまでの物憂げな表情はなんだったんだよ。連続なんとか言ってたじゃないか。


「連続湯煙密室無差別毒物殺人事件とか言っている場合じゃなかった!」


 なんだっけ、と考えてたら再度言ってくれたがなんか増えてた。はて、温泉の話だろうか。師走高校の近くに温泉はないが……。


「そうと決まれば、今すぐ行くわよ」


 言って弁当を掻き込む。黙ってれば可愛いのにこういうところが残念だ。短絡的で直情的なところもマイナス。


「今すぐな訳ないだろ。午後の授業終わってからだ」


「ええー」


「ええーじゃない」


 心底がっかりした表情になる前守。

 感情が制御不能すぎる。小学校の時より悪くなってる気がする。密室殺人事件じゃなくても、学校はそう簡単に出て行けるものじゃないんだよ。


「ふんだ。勉強なんかしなくても、あたし成績良いし」


「じゃあ、数学も?」


「……あんなのは出来ないで良いのよ」


「なんでよ」


「微分だの積分だの、知ったこっちゃないわ。あんなもん将来どこで使うって言うのよ。っていうかどこが分からないかも分からないわ。大体、求めよ、何て命令口調が気に入らないしね」


 数学出来ない人が言いそうな事を一息で網羅しやがった。だからクラスメイトに残念美人とか言われてるんだよ。漏れ聞いた噂だから、本人は知らないだろうけど。


「犬一は英語出来ないじゃない」


「外国に行かないから良いんだよ」


「それもそうね」


 目を閉じて頷く前守。納得しちゃったよ。

 コイツの将来が不安になってきた。

 何か騙されてえらいことになりそうだ、とか考えていたら予鈴が鳴った。


 まずい、後五分で授業が始まる。準備も何もしてないので急いでパンを食らう。人に残念とか言っておきながら、同じ事をする羽目になるとは。それもコイツの無駄話のせいだ。オレは前守を睨み付けようとしたが、目が合うこともなく、しれっと弁当箱を閉まって次の授業の準備をしていた。このやろう。口一杯のパンを咀嚼するが、なかなか飲み込めず口の中の水分も無くなっていく。


「それじゃ」


 手を振って前守が自分の席に戻る。恨み言の一つも言いたくなったが、物理的に声が出ない。放課後覚えてろよ。前守への復讐を誓い、パンとの格闘を続ける。


 もうすぐ五限が始まる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る