事件前日 (5)
『ああ、今開けたよ。早かったね』
扉が開いて、通話が途切れる。
前守が来ることは知らないはずなのに、意外と冷静だな。これから起こることがわからない訳ではないだろうに。
エレベーターで数秒、姫宮のいるフロアまで上がると、今度はグラウンドどころじゃない、町が一望出来るではないか。すっかり暗くなってはいるが、師走高校もぼんやりと確認できる。
もう残ってる奴は居ないのだろうか。
「ぎゃあ」
そんなことを考えていたら、離れたところで姫宮の声がした。
どうせ何時ものことだろう。姫宮の家の方に視線を移すと、案の定、姫宮が前守に襲われていた。
「楓ちゃん可愛い! 何でこんな小さいの!? 愛でやすいったらないわ!」
頬ずりしようとする前守と、それを全力で拒否する姫宮の攻防が繰り広げられている。前守の言うように身長差があるし、それに前守に力で敵う訳ないんだから、頬ずりされるのは時間の問題だろう。
知らない人が見たら、通報待ったなしだ。それに近所にも迷惑だろう。
二人を押しのけて、部屋に入る。相変わらず殺風景だ。洗濯機や冷蔵庫なんかの生活必需品を除けば、本棚とパソコン台、あと申し訳程度に小さいテーブルがあるぐらいだ。とても女子の部屋とは思えないが、そもそも女子の部屋がどんなのか知らないし、あまり女子丸出しでも困るから、有り難いと言えば有り難い。
「ふーう」
持っていた大量の酒を置き、冷蔵庫を開ける。これだけの量だ、下手したら入りきらないんじゃないかと思っていたけど、どうやら杞憂だったみたいだ。
冷蔵庫には何も入っていなかった。
だから、一ダース近い酒たちも、難なく詰め込むことが出来た。例のものは制服に隠した。後で捨てておこう。
「あー堪能したわ」
丁度詰め終わったところで、満面の笑みの前守が入ってきた。遅れて、扉に鍵をしていた姫宮も入ってくる。若干頬が赤かったが、いつものクールな表情に戻っていた。
襲われてる時は泣きそうだったのに流石だ。
その元凶の前守と言えば、机の前に座って酒が出てくるのはまだか、とでも言いたげな表情をしながら机を叩いていた。
人の家で勝手なことするなよ。
今詰めたばかりのビール缶を一つ二つ取り出して、三つ目を出そうとしたところで姫宮に止められた。
「さっき飴を舐めたばかりだから、後味がなくなってからにする」
「そうか?」
よく意味がわからなかったけど、後にすると言うならそうなんだろう。ビール缶を机において前守が音頭を取り、
「再会を祝って、乾杯」
「かんぱーい」
姫宮が続く。祝うほどのことじゃないだろう。
ぷしゅっと音がして、喉を鳴らして飲む前守。オレはそんなに得意じゃないから、一口ずつがやっとだ。姫宮に至っては飲んですらない。空のコップを持ち上げただけだ。ちなみにこの中でコップを使っているのは姫宮だけだ。オレはラッパ飲み。
数分の間、思い思いに酒を楽しんでいたが、その沈黙を破ったのは前守だった。
「つまみでも買うべきだったわね。お菓子か何か無いの、楓」
お酒を飲んで落ち着いたのか、呼び捨てに戻ってる。態度は図々しいままだ。
「お酒に合うかわからないけど、サルミアッキならある」
「食べたことないわね」
オレもないけど、絶対合わないだろ。っていうか何であるんだよ。
「取ってこよう」
姫宮は徐に立ち上がり、キッチンへと歩を進める。どうやら上の戸棚にあるらしく、小さな体躯を精一杯伸ばしている。そんなにとりにくいところに置かなきゃ良いのに。
恐らくサルミアッキが入っているであろう包みを携えて、しかし自分の座っていたところには戻らず前守の後ろに陣取った。前守もなにをされるのかわかっておらず小首を傾げている。
「サキちゃん」
姫宮が呼びかけると、前守は体を反らして姫宮の方を見やる。
「へー飴なんだ。あたしてっきり――」
喋っている途中に飴を放り込んだものだから、前守がてっきり何だと思っていたのかは分からず仕舞いだ。……というか既に変な匂いがしているんだが。
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