年の暮れに

 何日の何時か正確には覚えていないが、とにかく冷える夜で私は空腹で歩いていた。そこでたまたま見つけた蕎麦屋にふらっと入ったのだが、これは私には珍しいことである。人見知りならぬ店見知りをしてしまう故に、常日頃新しい店を開拓することが出来ずにいるぐらいである。上野なら此処という風に決めてしまってる店もある。食通のようなこだわりではない。知らない店に行って不味いものが出てきたら嫌だからそうしてるだけだ。

 それはさておき、その日は初見の蕎麦屋に入った。席についてすぐに日本語の怪しい店員が注文を取りに来たが初めての店で勝手も分からず、とりあえず目についた蕎麦と天丼のセットを注文したことで、やっと食事にありつけるとのだと実感し少し落ち着くことができた。お茶を飲みながら店内を見渡すと私の他に客は老夫婦が一組だけである。蕎麦を茹でているであろう大将は私の席からだと見えない。こういう店は何故か高い位置にテレビがある。

 大して待たずに注文の品は届いた。私はテレビを見ながら蕎麦を啜り始めたのだが、運んできた店員もぼうっとテレビを眺めていた。ニュースでは特に凶悪事件も無かったらしく、年越しが近いようなことを喋っていた。老夫婦はすでに食べ終わっていたのか、お茶を飲みながら何かを話していた。何だかこの店だけ時間が止まっているかのようだった。

 その時の蕎麦が美味かったかどうか全く記憶にない。ただ、この状況自体が何か「美味い」もののように感じられたことは覚えている。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る