ライフゼロ

 人には生命力という数値があるのではないかと思う。これは体力や精神力とは関係が無い。筋骨隆々、温厚篤実な好青年が生命力が低いがために死することもある。以下に説明していく。


 私の言う生命力とは、運やツキ、ギャンブルなどにおける流れと少し似ているが定義が難しい。言葉通り生命の強度、或いは逆説的に死への抵抗力とでも言うべきだろうか。人の生活におけるリズムの中で、一日、一年、そして一生という時間の中で常に変動しており、これが高いときは何をやっても上手くいく。麻雀仲間のS君が一等調子に乗っているときに言い放った「リーチをかければ満貫」は今でも語り草となっているが、彼の場合、本当に冗談ではなく一発や裏を載せて満貫を和了っていくのだ。

 

 では低いときはどうだろうか。

 展望台や橋の縁に立って下を覗き込み、なんとなく飛び込みたいと思ったことはないだろうか? 駅のホームではどうか?

 そう、なんとなくなのである。

 私が思うに転落死などの事故は「本人によって」しかし「本人の意志ではなく」引き起こされるのだ。衝突事故や通り魔などの加害者がいる場合においても、やはり同じである。その場合は、加害者側がなんとなく理性がどこかへ行ってしまっているのだ。魔が差したとはこのことである。


 生命力の好不調にかかわらず、常に死はそこらじゅうにある。

 生命力が高いときにはそれを跳ね除けられるが、低いときには意味もなく死ぬこともある。

 神がどうとか言いたくはないが、こういうことを考え出すと人の努力なんかに意味はないのではないかと途方に暮れる。

 

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