第三章

第三章

杉三の家。空き部屋。

池本院長が往診に来ている。広一は、上半身裸になり、聴診器で胸の音をきいてもらっている。右腕には、桐紋の入れ墨がでかでかとついている。

院長「はい、もう着ていいよ。少し良くなってきたようだ。でもまだ、無理はいけないからね。」

杉三「ありがとうございます。わざわざ往診に来てくれてありがとう。」

広一「きっと、僕みたいなものが一緒に診察を受けていたら、他の患者さんに、迷惑が掛かってしまうからと思われたのでは?」

杉三「違うよ。君みたいな人は、病院まで行くのが大変だし、今日は母ちゃんも仕事で、送り迎えできないから、無理を言ってきてもらったんだ。まあ、電話したのは、母ちゃんだけどね。」

広一「杉ちゃん、それは違うんじゃ。」

院長「まあ、君みたいに、そうやって桐紋の入れ墨を入れているとなると、確かに子供さんなんかは怖がるかもしれないが、でもそれだけが理由ではないよ。」

広一「先生、僕はいつになったら、使用人の仕事に戻れますか?」

杉三「それ発言禁止。君の寿命が縮まる。」

院長「まあ、もう少し待っていたほうが、からだのためにはいいんじゃないかな。」

広一「もう少しってどれくらいですか?」

院長「それは、君が、どれくらい安静を守れるかにもかかっているな。」

広一「そうですか。」

杉三「だから言っただろ。しばらくここで暮らしてかまわないって。誰もイヤだなんて言わないんだからね。それに、その安中という君の主人もいつまでたっても君を連れ戻しに来ないじゃないか。」

広一「ほんとだ。僕、やっぱり必要なかったんでしょうか。」

杉三「だから、しばらく安静にしていればいいの。自分で寝巻き着れる?僕は、歩けないから手伝えないので。」

広一「それくらいであれば、僕もできます。」

と言って、座ったまま、寝間着を羽織る。

院長「もし、難しいようであれば手伝うよ。」

杉三「ありがとうございます。院長さん。じゃあ、手伝ってやってください。僕は、おかゆを作ってきます。まだ、おかゆのほうがいいよね。普通のご飯よりも。今日の具材は何にしようかな。」

と、いいながら、車いすで、台所へ移動する。

広一「手伝わなくても大丈夫です。着替えはできますから。」

と、急いで寝間着のひもを結んで、きてしまう。

院長「君は、どうして入れ墨を入れたの?杉ちゃんの話では、古筝の師範免許も持っているそうだね。教えて、教室を開くこともできただろうに、もったいないじゃないか。」

広一「ええ、若いときに、どうしても入れてしまいたいと思ったからで。それに、取ったには取ったけど、ほとんど役に立たないで、そのまま来てしまいましたし。」

院長「何か、一門でも入ってたとか?」

広一「いえ、それはありません。」

院長「それでも、それのせいで損をしたことも多かっただろうに。それより、古筝で身を立てることはできなかったのかい?」

広一「ええ。数えきれないほどありました。でも、当時は、そうするしか、他に手段がなかったんですよ。まあ、今は若かったころの、いたりといいますか、そう解釈しています。それに、古筝で身を立てることは一生できないでしょう。このような人生になったから。」

院長「このような人生ね。君はどんな人生だったのだろう?私から見たら、非常にもったいない生き方をしているように見える。師範免許が取れるほどの優秀であったなら、それなりの、学歴だってあるだろうし。」

広一「学歴なんてありませんよ。」

院長「でも、君の家族は、君がそのような人生になって、もったいないと思わなかったのだろうか。」

広一「家族なんて、何にも役には立ちません。」

院長「ご家族も兄弟もいなかったの?」

広一「ええ、どうしても、切れない事情があって。そういうものを取得したけど、それがすべて帳消しになるような、事態があったんです。」

院長「すべて帳消し?」

広一「ええ、そして、一生、そこから脱出することもできません。」

院長「そうか、、、。まあ、あえて聞かないことにするが、早く体を治して、今度こそ陽の目を見れるように頑張りなさいよ。」

広一「頑張ることはできないですけど、何とかするようにします。今日は、診察していただいて、ありがとうございました。」

院長は、何も言わずに、カバンに聴診器を入れて帰ってしまった。

杉三はおかゆを作り終えて、空き部屋に戻ってくるが、院長はいなかった。

杉三「あれ、院長は?」

広一「帰っていかれましたけど。」

杉三「なんだ、ご飯でも食べてもらおうかと思ったのに。おかゆができたよ。食べる?」

広一「ええ。」

杉三「じゃあ、食堂に来れる?」

広一「ええ。座れます。」

杉三「じゃあ、きてくれる?」

広一は起き上がって、布団から立ち上がり、杉三と一緒に食堂へ行って、テーブルに座った。

杉三「はいどうぞ。」

と、匙を渡す。

広一「ありがとうございます。」

それを受け取り、

広一「いただきます。」

と合掌して、テーブルに乗ったおかゆを食べる。

杉三「僕の前では絶対無理はしないでね。体調がちょっとでもわるかったら、布団に戻ってくれていいからね。」

広一「はい、でも今日は本当に大丈夫ですよ。」

杉三「本当かなあ。」

広一「だって、先ほど院長先生も少し良くなっているとおっしゃってくれましたし。」

杉三「そうだけど、やっぱり心配だよ。」

広一「だから、気にしないでください。食べられれば、よくなっている証拠です。」

と、おかゆを食べ続ける。


同じころ。富士警察署の刑事課では、蘭が、華岡に相談していた。

華岡「素性のわからない男なんていっぱいいるじゃないか。」

蘭「そうなんだけど、明らかに変なんだよ。なんで公園の池の前でぶっ倒れたのかは、わかったけれど、どこの誰なのか、そこの経緯を一言も話さない。」

華岡「それは、お前が聞き取れないだけじゃないか。タイミングが悪くて、話ができないとか、そういうことだろう。」

蘭「そういうことじゃないんだよ。それに使用人という仕事をしているのも疑わしいんだよ。」

華岡「使用人。まあ、いろんな使用人がいるから、働き方もいろいろあるだろうよ。」

蘭「だって、男が家政婦みたいな仕事をふつうするわけないじゃないか。」

華岡「確かに男の使用人であれば、バトラーとか、そういう、くらいの高いものになるよな。まあ、フットマンという使用人もいただろうけどさ。」

蘭「華岡、昔話じゃないんだよ。今ここで、使用人を雇う家庭なんてそんなにあるか。それに、公園でぶっ倒れた時に、胸を押さえていたんだから、僕みたいに心臓か肺かのいずれかに、疾患があると思われる。そんなのを雇う、金持ちの家なんてないだろ。だから、お前に調べてほしいわけ。」

華岡「そうはいってもなあ。俺は今忙しいんだよ。銀行に勤めている女が、売上金を着服したという事件があってな、その取り調べで忙しい。」

蘭「お前、取り調べが本当にへたくそなのは、部下の人も僕も認めてるんだから、それで何とかしてもらえ。もう、サラリーマンといわれておきながら、警視まで昇格したんだから、何とか時間位作れるんじゃないか?」

華岡「馬鹿。いくら警視と言っても警察の一員なんだから警察のメンバーでなければだめに決まっているじゃないか。」

蘭「ごめん。あまりにも急ぎすぎて、変なことを言ってしまった。確かにお前も、取り調べの下手な警視として有名だけど、確かに組織の一員でもあるよな。」

華岡「まあ、ダメ警視といわれても、組織にはいなきゃいけないからな。さて、これからまた取り調べがあるから、今日は帰ってくれ。」

蘭「すまん。」

華岡「まあ、杉ちゃんの事だから、善悪のはっきりしてなくても、何とかしてしまうと思うぞ。」

と、取調室へ向かって歩いて行ってしまう。

蘭「あーあ、結局、華岡も頼りにはならないか。」

と、車いすをこいで刑事課を出ていき、受付の婦警さんに手伝ってもらいながら、警察署を出る。

その時、何人かの若い刑事たちが、蘭の前をイノシシみたいに突っ込んできたので、蘭は驚き、

蘭「ど、どうしたのですか?」

と尋ねる。

刑事「殺人事件です。」

蘭「殺人事件って、何があったんですか?」

しかし、若い刑事たちは蘭を無視して、蘭の前を通りすぎてしまった。

蘭「何があったんだろう。」

婦警「今度は、私が聞いてみます。」

すると、ノンキャリアの老刑事が、走ってきた。たぶん、若い刑事においつかなかったのだろう。

婦警「どうしたんです?」

老刑事「いや、殺人事件なんですよ。なんでも、三歳の女の子が、実母に頭を殴られて殺害されたそうなんです。」

蘭「そうなんですか。その女の子の住んでいるところって、」

老刑事「ええ、あの、堀プラスチック工業の近くの安中という家ですよ。」

蘭「安中?」

声「佐藤さん、何をやってるの、捜査会議始まっちゃうよ!」

老刑事「はい、すぐに行きます。」

蘭「ああ、お邪魔虫になってしまってすみません。すぐに僕は帰りますから。」

老刑事「悪いね。」

と、急いで警察署の中に入っていった。

婦警「タクシー呼んで差し上げましょうか?」

蘭「いえ、大丈夫です。警察署から家は近いので、そのまま車いすで帰れます。」

婦警「わかりました。おきをつけてかえってくださいね。事故にでもあったら大変ですので。」

蘭「はい。ありがとうございます。」

心配そうに見る婦警さんに、軽く礼を言い、蘭は警察署を出て行った。

道路を移動している蘭。

蘭「安中って、なんか聞いたことある苗字だよね。」

と、口に出していってみたが、何も思いつかない。

蘭「まあいいか。」

と、そのことは忘れて、家に帰っていった。


家の前に戻ってきた蘭は、玄関のドアを開けようとしたところ、隣の家からガチャンとドアを開ける音が聞こえた。

蘭「なんだ、杉ちゃんか。」

見ると、杉三だった。買い物袋を車いすに縛り付けて、買い出しに出かけようとしていたのだろう。

杉三「なんだはないだろ。蘭、バカに変な顔をしているな、何かあったか。」

さすがに、蘭は、杉ちゃんが一生懸命看病している男の、素性を調べてくれとお願いしに行ったとは言えず、反応に迷った。

蘭「杉ちゃん、どこへ行く?」

杉三「ああ、足りないものがあったから。」

蘭「でも杉ちゃん、一人では買い物できないだろ?」

杉三「だから、彼と一緒にいくの。スーパーまでくらいなら、歩いてもいいと思って。あんまり、寝てばっかりだと体が鈍るといったんだ。僕が。」

蘭「そうか。スーパーなら近いからいいや、でも、向こうの堀プラスチック工場の前は行かないほうがいいよ。」

杉三「へ、なんで?」

蘭「うん、なんかね、事件があったらしい。警察署を通りかかったら、刑事さんたちが、飛び込んでいったから。なんでも、殺人事件らしいよ。」

声「何があったんですか?」

不意に、聞きなれない声がした。

蘭「ああ、三歳の子供が死んだらしい。堀プラスチック工場の安中という家だって。」

杉三「それ、言っちゃダメ!絶対ダメだ!安中って、」

と、言おうとすると、後ろでばったりと誰かが倒れた音がした。

杉三「だ、大丈夫かい!しっかりしてくれ!」

蘭「大丈夫って、、、。」

杉三「どうしてくれるんだよ!」

蘭「ただ、本当にあったことを言っただけだよ。」

杉三「でも、彼が、かわいそうすぎるだろ!」

蘭「そういわれたって、いきなりこう感情的にがなり立てられても、、、。」

杉三「でも、僕らは、彼を背負って運んでやることだってできないじゃないか!」

蘭「そうか、、、。」

杉三「だからどうするんだ!」

蘭「杉ちゃんに言われたら僕もおしまいだ。こうなったら、華岡に来てもらうか。」

声「大丈夫です、、、。何とか立てますから。」

二人が後ろをふり向くと、広一が、何とかして立ち上がろうとしているところだった。

蘭「君は、」

広一「大丈夫です。」

よろよろと立ち上がるが、まだ苦しそうに、体を曲げて、玄関の戸のドアノブにつかまる。

杉三「こまったな、ぼ、僕らじゃ何にもできないじゃないか!とにかく横になってもらわなきゃ!」

広一「な、何とかしますから。」

と、自身の体の向きを替え、よろよろと杉三の家の中に入り、壁につかまって伝い歩きしながら、空き部屋に移動し、そのまま布団の中に倒れこんでしまう。

杉三「僕らも入ろう。」

と、急いで車いすの向きを替え、部屋の中に突撃するように入る。

杉三「大丈夫かい?」

広一「ええ。」

と、言ったが、その顔は紙のように真っ白で、正直とても辛そうだった。

蘭「杉ちゃん、彼の薬、あるか?」

杉三「あっても僕は読めない、、、。」

広一「台所の、テーブルに、」

蘭「わかったよ。」

と、部屋に車いすで入って、テーブルの上に置かれていた薬の袋を取って、

蘭「飲める?」

とつきだす。

広一「はい。」

と、それを受け取り、布団に起き上がって、粉の薬を口に含み、枕元の吸い飲みにはいった水で流し込んだ。そうすると、しばらく苦しそうにしていたが、まもなく、解消されてきたようで、布団の上に横になり、しばらくうとうとと、眠ってしまった。

杉三「やい、蘭!」

蘭「なんだよ。」

杉三「よくもこんなひどい目にあわせてくれたな!」

蘭「なんてことをしてくれたって、僕は事実を言っただけだよ。そうやってがなりたてる杉ちゃんこそ、どういうつもりなんだ?」

杉三「だから、彼は安中という家に勤めていて、そこの奥さんが、娘さんの美咲ちゃんに乱暴しているという、事実を知ってしまったんだよ!」

蘭「乱暴?つまり、」

杉三「もう、蘭も鈍いなあ。子供さんに乱暴しているって、大体想像つくじゃないか。」

蘭「つまり、児童虐待?そういうことになるのか?」

杉三「まあ、何て言うのかしらないけど、そうやって、乱暴していることは、多分確かだろ。それを使用人として、なんとか止めたかったんだよ!だけど、ああいう体だし、それはできないで、最悪の結果になってしまった。そうなったら、どうなるか。それくらい、蘭もわかるんじゃないか。」

蘭「杉ちゃんは、辻褄あわせて説明するのが苦手だからな。だから、相手の人には何がなんだかわからないまんまなんだよ。僕からしてみたら、素性がわからない男をなんで、看病するのかもわからないから、不思議なだけだよ。それに、ただ感情でまくし立てられても、困るだけなんだよな。」

杉三「僕は蘭がなぜ、彼のことをそんなに怪しむのかがわからないな。だって、彼の言うことに、きっと嘘はないとおもうよ。それを疑うのは、冷たいというか、酷というもんじゃないの?僕は、素性がどうのじゃなく、ああして苦しんでいるんだから、なんとかしてあげたいと思うけどね。」

蘭「そうかんがえるのは、杉ちゃんでないとできないだろうね。僕は、なんで彼が名前だけ名乗って、他はなんにも話さないのかがおかしいなと思うわけ。なにも話さないってことは、何か重大な隠し事をしているかもしれないの。もし、それが、殺人を犯したとかだったらどうするの?そうしたら、僕らだって、殺人者を匿うのは、犯罪になるんだぞ!」

杉三「いや、かれは少なくとも殺人のできるような体ではないと思うよ。」

蘭「どうかなあ。最近は、直接しなくても、毒物をいれるとかして、殺人ができてしまうこともあるからねえ。」

杉三「そんなことは、絶対にない!蘭よりもひどい状態だと言われたんだから。」

蘭「杉ちゃんは、一度こうと決めたら、絶対に変えないんだな。」

杉三「僕は、あの人がどうしても悪い人とは思えないんだ、

何か重大なわけはあるのかもしれないけどさ、それだって、悪いことじゃないと思うんだよね。でなければ、公園の池のそばでぶっ倒れることはないと思うんだよね。」

蘭「杉ちゃん、すこし疑うということも、覚えた方がいいかもね。」

と、その時、インターフォンが鳴る。

声「その必要はありませんよ。彼は全くの悪人ではございません。」

杉三「あ、青柳教授!」

声「蘭、開けてもいいかな?」

杉三「水穂さんだ!」

声「まあ、蘭も、あんまり杉ちゃんばかりせめてしまわないほうがいいかもな。」

蘭「ああもう!結局僕が悪いということになるのか。なんでいつも僕が貧乏くじを引くんだろう。」

懍「貧乏くじをひくというか、お二人が喧嘩しているこえが、道路までよく聞こえてきました。だから、何があったのか、すぐわかりましたよ。」

水穂「蘭、少し、杉ちゃんの話も聞いた方が良いんじゃないのか?」

蘭「聞いているつもりなんだけどな。」

水穂「入るよ。」

と、懍と二人で戸をあける。

蘭「車輪はしっかり拭いてくれ。」

水穂「わかってる。」

と、持っていた雑巾で車輪を拭く。

懍「はいりますよ。かれは、どこにいるんですか?」

二人、杉三の家の中にはいる。

杉三「空き部屋のなか、薬で眠ってる。」

懍「起こしても構いませんか?」

杉三「大丈夫かな。」

蘭「もう、この際だから起こせ。僕は、はじめから嫌だったんだ。この際だから、すべて、話してもらうように詰問してくれ。」」

杉三は、空き部屋の戸を叩く。

声「はい。」

杉三「起きているかい?」

声「ええ。」

そっと戸をあける。

広一は、すでに目を覚ましていたらしく、布団に座って、杉三たちをみる。

杉三「ああ、無理して起きなくてもいいのに。」

広一「いえ、大丈夫です。」

蘭「もう、君の素性を、しっかり話してもらうぞ!」

広一「この二方は?」

と、懍と水穂を見る。

杉三「何も怖がることないよ。僕らの友達だから。」

広一「友達?」

杉三「そうだよ。」

広一「わかりました。」

懍と水穂は、空き部屋の中にはいり、軽く敬礼する。














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