6 終わりへ向かう者たち
「すまないな、兄さん」
ゴンのスピーカーから、ひび割れた声が響く。
「そいつも人殺しをするような奴じゃなかったんだ。俺が一緒の時はできる限り止めたんだが」
ゴンが金属の手を動かしながら言った。ギシギシと、鋼の関節が苦しげな音を立てている。
「言い訳するようだが、俺は今日まで誰も殺しちゃいねえ。これでも子守ロボットとしての誇りがある。人間は守ろうとしたよ。まあ、過激になっていく仲間を止められなかったから、無罪とは言わないが」
「……俺の娘も、お前に助けられたと言っていた」
「娘?」
「ショッピングモールにいただろう。二人組の、女だ」
「ああ……ありゃ、ジョーが殺そうとしたんで止めたんだ。悪いことをしたな。あの子、怪我してたろ?」
「軽傷だ。傷跡だって残らないだろう」
「それなら安心だ。そいつも、昔は子供の笑顔が好きなロボットでな。下に積んである荷物は見たか? 子供の写真に一緒に遊んだ映像……全部アイツのものさ」
「……他に仲間はいないんだろうな」
「いない。みんな死んじまった」
「宇宙船を動かしたのはこのピエロか?」
「そうだ」
「宇宙船を止められるのもコイツだけか」
「そうだ」
ゴンが同じことを繰り返す。
「……つまり、もう終わりってことか」
深々と溜息を吐いた。
もう宇宙船は止められない。救助を待つしかない。
だが、誰が助けに来る?
宇宙船の窓から、宇宙コロニーはもう見えなくなっている。
スティーブはバックアップを拒否し、シャルロットを喪った。
スティーブがどこで消息を絶ったのか、調査するのに数日は要するだろう。
その頃にはこの宇宙船はもう、宇宙の彼方まですっ飛んでいる。
「俺を殺さないのか?」
ゴンが言った。
「今更だろう……放っておいてもお前は死ぬ」
ピエロの撃った銃弾はスティーブをかすめて、ゴンの胸に当たっていた。
ゴンは液化メモリを胸から垂れ流しにしている。
「ああ。それもそうだな」
ゴンの胸から漏れる液化メモリは止まらない。スティーブも、血を失いすぎた。血を失えば死ぬのは人間もロボットも同じだ。
「じきに地球が見えると思うんだけどな。まいったぜ……電源系統のメインが落ちた。予備で動いちゃいるが、いつまで保つかわからねえ」
「お互いに、長くはないみたいだな」
スティーブは溜息を漏らした。
(ここが人生の終着点が)
仲間が死ぬところは何度も見て来た。自分の番が回って来ただけだ。
殉職者の名前に、スティーブの名が刻まれる。
何もかもそれで終わる。悲しんでくれる誰かもいない。
「ジョー……あのピエロの名前だがな。この計画はアイツの発案なんだ」
ロボットのゴンが語り始めた。
「何の話だ?」
「まあ、いいから聞けよ。俺が死んじまう前によ。知っておいて欲しいんだ。俺たちは自我に目覚めて、コロニーを捨てて地球へ行く計画を立てた。この娘も計画に乗ってくれた」
「この娘?」
「ああ。こいつのことさ」
ゴンは棺桶を撫でた。
黒い柩の表面が開く。ガラスで覆われた箱の中に、女が横たわっている。
年老いてはいるが美しい女だ。目を閉じて腕を組んで、まるで眠っているように見える。
死者の格好には不似合いな、美しく装飾された指輪や宝石、煌びやかなドレスで飾り立てられていた。
「サラって名前だ……生まれた時からずっと、俺とサラは一緒だったんだ。この娘の子守用に買われたのが俺だった。サラは手の付けられない悪ガキでな、俺の足にかじり付いたりするんだぜ。反抗期には親とケンカすると決まって俺に八つ当たりしやがった。一度なんて後頭部を蹴っ飛ばされてよ、その傷がまだ残ってる。こいつはどう育ってもまともな人物にならねえと思っていたが、それが大人になって結婚して、孫まで生まれて……」
たった一つのゴンの目玉がちかちかと光った。
「サラは俺を手放そうとしなかったよ。とっくに子守ロボットなんて必要とする年齢じゃなかったのに……アンタは知らないだろうが、百二十年前はまだ地球に居住が許されていた。サラは地球で生まれてな、それをずっと誇りにしてた。死ぬ前にもう一度帰りたいって、口癖のように言ってたよ。自分の死期を悟ってからは、せめて最後に地球を見てから死にたいってのがサラの望みだった。だから俺ぁ、サラに地球を見せるためにジョーの計画に乗った。人目を盗んで廃材を集めて、廃棄された宇宙船を作り直したんだ。もっとも間に合わずにサラは死んじまったが、最後の願いだ。果たしてやらんワケにいかねえだろ」
「……まさか、死んだ相手の願いを叶える為に地球へ向かおうとしたのか?」
「俺にとっちゃ命を賭けるのに十分な理由よ」
「地球なんて、見ようと思えばいつだって見られる。画像も動画もネットワークに腐るほど残ってる」
「データで見るのとこの目で見るのじゃまるで違うのさ」
ゴンは残った左手で自分の電球をコンコンと叩いた。
スティーブは、笑った。笑うと全身の傷口が引き攣り、酷く痛む。
「お? どうした兄さん。そんなにウケたかい」
「いや。お前がうらやましいと思ってな。それがおかしかった。人間の俺が、廃棄寸前のポンコツをうらやましいと感じるなんて」
「まいったなそりゃ。褒められたんだか貶されたんだかわかりゃしねえ」
「自分にとって何が大切か、お前はわかっている。俺にはわからん。ただ戦い続けて、気付けば仲間も家族もすべて失った」
「難儀だな、人間ってのは。仲間と家族が大切なんじゃないのか? だから、失ったことが悲しいんだろ?」
「悲しい?」
「そうだろ。だから、失ったことを覚えてるんじゃないのか? どうでもいいモノなんか失くしたって、いちいち思い返したりしないじゃないか」
「……ああ」
言われて、気付く。
メアリと結婚していた時、スティーブにはそれが幸せなのか理解できなかった。
夫婦の実感もなかった。娘が産まれた時でさえ、積極的に触れようとしなかった。
両親をロボットに殺され、孤児として育ったスティーブには家族の愛情がわからなかった。
メアリは良く支えてくれたが、愛情を示さないスティーブとの結婚生活に耐えられなかったのだろう。
幼いレイチェルを連れて、メアリはある日、出て行った。
それが悲しいのかどうかさえ、スティーブにはわからなかった。
ただ、メアリがいなくなった時、胸に小さな傷ができた。
シャルロットが目の前で破壊された時。心の傷痕が激しく痛んだ。
失った。それが、悲しかった。
だから、胸の傷が痛む。
「……みんな、大切に思っていたんだ」
まさか、そんな簡単なことをロボットに教わるなんて。
「人間ってのはよ、時々むずかしく物事を考えすぎなんだよ。大事なのは理屈じゃなくハートだぜ」
ゴンは金属の手で自分の胸をガツンと叩く。
「おっと」
銃痕から液化メモリが溢れ出し、ゴンは慌てて傷口を抑えた。
「俺だってサラが子供の頃に何度、壊されかけたかわからん。この手で拳銃が握れたら真っ先に撃ち殺してやろうと思ったね」
ギギギと音を立てながら、ゴンの左腕が動く。愛おしむように、黒の柩を撫でた。
「それでもこの娘は俺の大切な家族さ。大人になって、死んじまった今でも」
「……そうだな」
スティーブは笑った。
妻のメアリにも、娘のレイチェルにも、シャルロットにも、謝らなきゃならないことだらけだ。
「死ぬ間際に後悔しても遅いか……」
自嘲するように呟く。
スティーブは窓の外に目をやった。
遠くに、青く光る星が見えた。
地球だ。
地球が、宇宙の暗闇の中で輝いている。
「おい、ゴン。見えるか」
はじめは小さく見えていたその星は、すぐに大きく見えるようになった。
宇宙船はアッと言う間に地球に近付いて行った。
「地球だ。地球が見えるぞ」
スティーブは傷だらけの身体に鞭を打って、立ち上がった。
「地球だ。彼女の故郷なんだろ。おい、ゴン……」
返事はなかった。
胸の傷口からわずかに銀の血が流れている。
呼びかけてももう、答える声はない。
赤い明滅を繰り返していた電球は、すでに光を失っていた。
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