第14話 新生魔王と壊れゆく魔界



 ――それは、空の彼方からやってきた。


 粉々に破壊されたネーメのクリスタル。

 純白の破片が舞い散る中、俺を含め、生誕祭に集まった人々は、上空を見つめるしかなかった。


 動かなかったのではない。

 動けなかったのだ。


 空が歪に引き裂かれ、そこから溢れ出した純白の光が、マカイノ村に降り注いできたのである。

 光は濃密な魔力そのものだ。

 そこに含まれる聖性は、魔族にとって毒物に他ならない。


「うげぇぇ……」

「き、気分が……」

「はぁ、はぁ……うぐっ」

「こんな聖性、感じたこと、ない……」

「魔王さまぁ……」


 苦しみの声を上げながら、村人たちが次々と中庭の芝生に倒れていく。

 この膨大な魔力。

 この規格外の聖性。


 間違いない。

 ――奴だ。


「女神王……ヴィーナス!!」


 空に生まれた裂け目を見上げ、俺は腹の底から声を放った。


 メイド隊とリリスが村人たちを介抱する中、スピカ、アルテミス、グルヴェイグ、ペルヒタの四人がこちらに駆け寄ってくる。


「うぅっ……頭、痛い……。ジュノ……これ、あいつよね!?」


 顔をしかめながらも、スピカは気丈に声を張る。

 アルテミスたちも辛そうだ。


「い、以前はあれほど心地よく感じた光ですのに……」

「魔族になった今では……うっぷ。しかし……あの方が、わざわざ?」

「うえぇ……ぎぼぢわるい……。冬眠したい……」


 元女神とはいえ、彼女たちは魔導調律で魔族になっている。

 これだけの聖性を帯びた魔力を浴びれば、体調悪化も当然だ。

 魔王の俺とて、先ほどから目眩を感じている。


「クッ!」


 こめかみを押さえながら考える。

 先制攻撃に打って出るか――それとも……。


 だが、そんな迷いが許されたのは、たった数瞬だけだった。



「くふっ……はははっ! ははははははははははははは!!!!」



 甲高い笑い声とともに、空の裂け目に人影が現れたのだ。


 小さい。細い。髪が長い。

 たった一人の少女である。


 けれども魔力は膨大だ。

 おぞましいほどの聖性を撒き散らしながら、少女はこちらにゆっくりと降下してくる。


 魔力に煽られて波打つのは、黄金に輝くロングヘア。

 口端を大きく吊り上げ、ケタケタ笑っているものの、俺たちを見下ろす双眸は敵意と殺気に満ち満ちている。


 ――そして、制止。


 女神王ヴィーナスは、地面スレスレのところで降下を止めた。

 魔界の地に降り立つことを忌避しているのかもしれない。


「キサマ……」


 必然、俺たちは身構える。

 何をしに来たのか。何をするつもりなのか。

 女神王の意図は読めぬが、いつでも戦闘に移れる態勢を作らなければ。


 しかし。

 そんな俺たちを指さして、女神王ヴィーナスは。



「はははっ、はははは!! ざまあみろ!!!!」



 まるで子供のように、嘲りの言葉を吐いたのだった。


「ざまあみろ、だと……?」

「あ、あなた……なんなのよ!?」


 俺とスピカの声は、女神王には届かない。

 彼女は芝生に散らばった純白のクリスタル――ネーメだったものを睥睨し、


「アホくさ。何がネーメだよ。こいつは六芒の女神ネメシス本人だ! 魔界の内情を偵察するために、私の魔法でネメシスの魂を赤ん坊の人形に憑依させたんだ!!」


 心底バカにしたように言い捨てた。


「何が聖誕祭だよ、くだらない。みんなでバカみたいに楽しそうにしちゃって……。魔族のお前たちがネメシスと築き上げてきたものは全部……楽しかった思い出も、幸せだった瞬間も、みんなみんなウソっぱちなんだ! 無価値なんだ!!」

「……ッ!!」


 その言葉に、俺は背筋を震わせた。


「そんな……ネーメが……。そ、そんな、ことって……」

「ネメシスさんが赤ん坊の演技を……。だからあの時、急に言葉を……」


 スピカ。アルテミス。


「て、天界最強の魔力があれば、そんな芸当が……?」

「でも……ひどすぎる……。こんなの、あんまり……」


 グルヴェイグ。ペルヒタ。


 ふらつきながらも村人の介抱を続けるリリスも、メイドたちも。誰もが呆然と女神王ヴィーナスを見つめる。


 それっきり、誰も、何も発さない。

 倒れた村人たちのうめき声だけが、足もとを這い回るのみ。

 けれども、俺は魔王だ。魔界の主だ。

 ――行かねば!


 全身に漆黒の魔力をまとって純白の聖性に抗いつつ、一歩前に出た。


「おい、女神王……」


 低く、短く、疑問を告げる。


「ネーメの正体が六芒の女神の一角・ネメシスであるなら……。キサマの部下であるならば……。なぜネメシスをクリスタルに封印した? ……なぜ、それを破壊した?」


 天界の仲間を、なぜ――。

 そう告げる俺に、女神王ヴィーナスは歪んだ笑みを見せつける。



「だって、お前たちを傷つけたかったんだもん」



 それはまるで子供じみた言い分で――。


「大体お前たち、薄汚い魔族のくせに日常を楽しみすぎなんだよ。何かあるとすぐパーティーだもん。バッカじゃないの? だからね、これはちょっとした神罰さ。

 自分たちが大切にしてきたものが、目の前で聖なる光に壊される――。それで傷ついて悲しむぐらいが、魔族どもには丁度いいんだよ!」


 それでも言葉を重ねる女神王に、


「――ッ!」


 俺は拳を握りしめた。


「キサマ……俺の前で、よくもそんなことを言えたものだな……!」


 漆黒の魔力が逆巻き、周囲の空間が歪み、ざわつく。


 女神王は、それすらも鼻で笑った。


「ハァ? なんで怒ったり悲しんだりするかなぁ? 『心亡き女神』っていう二つ名、知ってるでしょ? ネメシスには心が亡いんだから、別にどうだっていいじゃないか」

「なっ……!」


 ネメシスはネーメとして赤ん坊を演じ、マカイノ村で穏やかな日々を過ごし、そして夜には本来の肉体に戻って、俺との甘い一時を――。

 ネメシスは笑っていた。

 楽しんでいた。

 快楽を覚え、探求し、達したときには間違いなく幸福感を抱いていた。

 ――心が亡い者に、快楽に染まった笑みを浮かべられるはずがない!


 俺は奥歯を噛みしめる。強く、強く。


「ネメシスに、心が亡い、だと……?」


 漆黒の魔力を増大させながら、女神王ヴィーナスを睨みつける。

 彼女はピクリと身を震わせ、


「へ、へぇ……。いい魔力してるじゃん」


 そう言いながらも、ネメシスを――ネーメを侮辱し続けた。


「大体さー、ネメシスって一緒にいてもつまんないんだよね。いつも無表情で無反応なんだもん。仲良くなれるわけないって。

 プププッ。だからさー、クリスタルに閉じ込めてぶっ壊すことで、お前たち魔族を傷つけるぐらいの利用価値しかないんだよ」


 ヘラヘラと。

 良心の呵責など、まるで感じていないような口ぶりで。


「ま、今度のことでネメシスのイスは空いたからね。神聖ネメシス共和国は別の天使に治めさせるよ。女神に昇格させてあげてさー」


 ――ネメシスよりも、私と仲良くなれそうな子にね。


 こやつは。

 女神王ヴィーナスは。

 はっきりとそう言った。

 子供じみたワガママで、ネメシスの生をまるごと踏みにじったのである。


「何が女神の王だ……。この世で最も穢らわしいのは、キサマの性根ではないか……!!」


 怒りを滾らせる俺の傍らに、スピカが踏み出てきた。


「ジュノの言うとおりだわ! 私は前までこんな奴を信仰してたなんて……!」


 彼女に続き、アルテミス、グルヴェイグ、ペルヒタも厳しい視線を据えつける。


「ネーメ様に対する暴言……取り消してください!」

「ヴィーナス様……いえ、ヴィーナス。私とて、今の発言は看過できません」

「……わたしたちのことも、そんな風に思ってたんだね……」


 糾弾の言葉。

 非難のまなざし。

 かつての仲間に己を否定され、さすがの女神王もたじろいだ。


 ――が。


「うるさい!! アルテミス。グルヴェイグ。ペルヒタ。裏切り者のお前たちの言葉なんか、聞くもんか!!」


 その瞳に、怒りの炎が燃え上がる。


「魔王ジュノの※※※な魔法にやられて、魔族に堕とされちゃって……。私を簡単に裏切った挙げ句、毎日毎日魔王と※※※※ってアヘアヘ言ってるアホ女神の非難なんか、ぜんぜん効かないんだから!!」


 叫びとともに、女神王ヴィーナスが右手を突き出した。

 その手を包む純白の魔力が、瞬時に密度を増していく。


「――ッ! いかん!!」


 即座に地を蹴り、前方に疾駆。

 俺はスピカたちをガードするために両腕を広げ、女神王と対峙する。


 こちらに伸びた一本の細腕。

 その手のひらに、聖性を帯びた敵意と害意が凝縮され、俺の肌をジリジリ焦がす。


「消えろおぉぉぉぉ!!!!」


 喉を引き裂かんばかりの声――。

 悲鳴じみた発声とともに、純白の魔力弾が射出される。


 が、俺は避けない。

 リリスに創られた俺の身体は、魔法攻撃、物理攻撃を問わず、あらゆる技を無効化するほどの防御力を有している。


 視界が聖なる白色に染まり――――着弾。熱。衝撃。


「ぐっ……!」


 腰を落とし、俺はその場で白の聖光に抗う。

 引き下がるわけにはいかない。

 俺の背後にはスピカたちがいるだけでなく、マカイノ村の住人が倒れているのだ。

 魔王として、魔界を統べる者として、俺の家族に対する攻撃は絶対に許さない。


 光が収まる。

 視界が戻る。


 目前の女神王は、『あらら』と気の抜けた声を洩らした。


「漆黒の魔導鎧装が移植された肉体って、ホントだったんだねー。私の魔弾を食らった相手が無傷とか、悪夢を見てるみたい」


 とは言ったものの、彼女に動揺は見られない。


「うーん。それじゃーどうしよっかなー」

「……諦めろ。俺がいる限り、魔界の誰にも手出しはさせぬ。大人しく、ネーメを撃った報いを受けるのだ!!」


 強い口調を叩きつけるも、女神王はどこ吹く風。

 無造作に左手を掲げると、


「こっちを先に壊そーっと」


 大小の魔弾を連射し、俺たちの工房を撃ち始めたのだ。


「なっ……!」


 着弾。破砕音。

 着弾。破裂音。

 止める隙など存在しない。

 破壊の連鎖が巻き起こり、あまたの悲鳴が交錯する。

 窓ガラスが爆散し、壁が砕け、生誕祭の飾りが炎に包まれる。


「はははははははは!! ざまあみろ!! 私が寂しい思いをしてるときに、楽しくパーティーなんかやってるからこういう目に遭うんだよー!!」


 叫びながら、破壊する。破壊する。破壊する。


「みんな嫌いだ! 魔族になったら前よりも楽しそうで! あんなに笑って! あんなに喜んで! ぐすっ……みんな私から離れて、こんな、こんなの……!!」


 泣きながら、破壊する。破壊する。破壊する。


 女神王の周囲に、新たな魔力が絶え間なく満ちていく。

 そこに宿るのは敵意と害意だけではなく、悲しみ、怒り、寂しさ――。


 それらを俺が感じ取った、次の刹那。


「やめてえぇぇぇっっ!!」


 スピカが悲鳴を上げ、愛用の剣を召喚した。

 アルテミスたちも同様だ。それぞれの武器を構え、


「わたくしとジュノ様の愛の巣を壊すなんて!」

「私とダンナ様の新居……守らなければ!」

「わたしとご主人様のにゃんにゃん部屋……これ以上やらせない……」


 全員で女神王ヴィーナスを直接攻撃する気らしい。

 最速で飛び出すスピカ。

 剣を構え、姿勢を下げ、標的に肉薄せんと地を駆ける。


 けれども。


「待て!!」


 俺は、彼女の前に飛び出した。

 柔らかな身体を受け止め、抱きしめ、剣を下ろさせる。


「んぅっ……ちょ、ちょっとジュノ! どういうことよ!? このままだとマカイノ村は……私たちの居場所は……!」


 後続のアルテミスたちも、必死の形相で言い募る。


「ジュノ様、まずは女神王を止めなければ!」

「私たちにお任せください! あんな輩、調教です、調教!」

「魔獣ちゃんと神獣ちゃんを召喚して、齧ってもらう……!」


 猛烈な破壊音が巻き起こる中、俺は告げた。



「女神王ヴィーナス――。奴に対して必要なのは、武器ではない」



『???』


 意図を図りかねているらしく、スピカたちが目を白黒させる。

 俺は構わず女神王に向き直った。

 そして首を巡らせ、皆に笑いかける。


「案ずるな。俺は魔界を統べる者、魔王ジュノなり。大切な家族を守るのは――俺の使命なのだ!!」


 口にするのは、たったそれだけ。

 俺は地を駆け、敵との距離を詰めていく。


「邪魔するなぁぁあああああ!!」


 それに気づいた女神王が純白の魔弾を放つ。

 俺は、避けない。

 魔界の皆を守るため、それらすべてを被弾する。

 顔面。胴体。四肢。

 余すところなく聖なる熱と衝撃に見舞われるが、ダメージは限りなくゼロに近い。


「くっ……寄るな! 触るな!」

「残念。時すでに遅しだな」


 そして、ついに。


 俺は女神王に飛びつき、片脚を引っかけて押し倒すことに成功した。

 小さく、細く、頼りない身体だ。もちろん乳※も育っていない。

 彼女の顔をのぞき込み、


「ここでは場所が悪い。我が魔空間で、たっぷり接待してやろう」


 俺は転移魔法を発動させた。

 が、素直に従う女神王ではない。


「何が魔空間だ! そんなところへ行くもんか! どうせ私に、※※※なことするつもりだろう!? 汚い! 気持ち悪い! 穢らわしい!」

「綺麗、気持ちいい、気高いの間違いだ! アホウめ!」


 俺は女神王を転移魔法に引きずり込んだ。


 それでも、彼女は抗う。

 純白の魔力を発し、こちらの転移魔法を歪めにかかったのだ。

 複雑に絡み合う漆黒と純白。

 景色がブレ、互いの魔力が接触し、反発し、俺の転移魔法が瓦解してゆく。



 ――ボフンッ。



 浮遊感――落下感――そうして尻に感じたのは、ごく柔らかな感触だった。

 これは……大きな雲のベッドである。


 俺はあたりを見回した。


「こ、ここは!?」

「くっ、なんで私の聖域に魔王を入れなきゃいけないんだよぉ!」


 高い天井。円形の大広間。

 壁はパールホワイトとパステルピンクに彩られ、やや薄暗い光が室内を照らしている。


「私の聖域……? そうか、ここは天界。キサマの寝室か」

「そうだよ! さっさと出ていけ!」

「キサマが俺の転移魔法を歪めたせいだろうに」

「うるさいなぁ、早く出ていってよ! ここは男子禁制なんだから!」


 その糾弾を完全無視して、俺は女神王をジッと見つめる。


「出ていくものか。これより俺は、お前に足りないもの――。いや、お前にとって真に必要なものを教えてやるのだからな」


 そう言って。

 俺は、自らのズボンに手をかけた。

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