第13話 新生魔王とネーメの記念日
マカイノ村でネーメと過ごす日々は、温かく、穏やかに過ぎてゆき――。
「時は、来た……!
「ときはきた~!」
現在、俺はネーメを抱っこして、工房の扉の前に立っている。
この先にあるのはエントランスだ。
耳を澄ましても、何ら物音は聞こえない。
……たくさんの人の気配を感じるがな。
俺は腕の中に視線を落とし、
「ネーメよ。お前がマカイノ村に来てから、ずいぶん時が経ってしまったな」
「んーっ! ネーメ、ぱぁぱ、しゅきー!」
「ククク、そうかそうか。……ずいぶんと言葉も覚え、身体も成長し、一人で立ち歩けるようにもなってきた……」
「えへへー。ネーメ、おさんぽもしゅきー!」
ここで、俺はネーメに頬を寄せた。
ぷにぷにの無垢な柔肌。
ミルクの匂いを感じ、自然と心が安らいでいく。
「……そんなネーメのために、今日は皆が色々と準備をしてくれた。心して楽しむがよい」
「たのしむが、よ~い!」
両手をバタつかせるネーメに笑みを送りつつ、俺は工房の扉を三度、ゆっくりとノックした。
これが合図だ。
室内の気配がざわつくのが感じられる。
「では――行くぞ!」
「いくおー!」
俺は、扉を一気に開け放った!
するとそこには。
『ネーメちゃん! 二歳のお誕生日、おめでとう!!』
スピカ、アルテミス、グルヴェイグ、ペルヒタ、リリス。工房のメイド隊。
そしてマカイノ村の住人たち。
皆が一斉に声を上げ、ネーメの生誕を祝福したのだ!
視界を埋め尽くす、たくさんの笑顔。
誰も彼もがネーメの存在を尊び、肯定し、あふれんばかりの愛情を注いでいるのだ。
「……!」
これにはネーメも驚いているらしい。
大きく大きく目を見開き、口はポカンと半開きだ。
「あ、う~……」
しばらく硬直していた彼女だが、やがて声を洩らし始めた。
エントランスに集まった人々に顔を向け、
「……あ、あり、がと……」
最近覚えた感謝の言葉を、はっきりと口にしたのだ。
直後、室内の空気が柔らかみを帯び、ふんわりと膨らんでいった。
巻き起こるのは、拍手、歓声。
「わぁ! ネーメ偉いわ!」
「ちゃんとありがとうって言えましたねぇ!」
スピカとアルテミスが手を取り合い、その場で仲良く飛び跳ねる。
母性の象徴が揺れて、揺れて、俺は周囲にバレない程度に前かがみになった。
「あぁぁ、なんて愛らしいのでしょう!」
「ま、まあ、可愛さはわたしと同じぐらいかしら?」
グルヴェイグとペルヒタも、惜しみない拍手でネーメを祝福している。
たくさんの祝福が交錯する中、
「魔王様、ネーメさん。ささ、中庭へどうぞ♪ もろもろ準備は整ってますので!」
堕天使少女のリリスがやってきた。
「うむ。では、行くとするか」
「ぱぁぱ、なにするのー?」
「今日はネーメのための記念日だ。まだまだ多くの催しがネーメを待っているぞ。期待するのだ」
「んっー!」
ネーメが明るい笑みをのぞかせる。
エントランスの華やかな雰囲気。
皆の愛情。
それらを感じ取ったに違いない。
俺たちは中庭へ移動した。
エントランスに入りきらなかった村人たちは、こちらで待機していたようだ。
俺とネーメが中庭に降り立った瞬間、盛大な拍手や指笛が鳴り渡った。
彼らに手を振りつつ、
「ほほぅ、これは期待以上の出来だ……!!」
「しゅごーい!」
俺とネーメは、ほとんど同時に声を上げた。
なんと工房の中庭は、ガーデンパーティーの様相を呈していたのだ!
建物の壁面は色とりどりに飾りつけされ、たくさんのテーブルには様々な料理が所狭しと並んでいる。
きっと工房のメイドや、村の料理人が腕を振るったのだろう。
ふいにネーメがピクリと反応し、
「ぱぁぱ! あれしゅごい!」
中庭の奥を指さした。
「おお、アレか! アレは俺のアイディアなのだ。喜ぶがいい」
「ぱぁぱ、ありがと! ありがとー!」
アレとは中庭の奥――。
そこに鎮座する、五段重ねの特大ケーキのことである!
ネーメや工房の皆はもちろん、生誕祭に集まった村人たちにも振る舞えるよう、できるだけ大きなケーキをオーダーしておいたのである。よく頑張ってくれたものだ。
そして、さらにもう一つ。
特大ケーキの近くには、幕が被せられた四角い物体が置かれている。
何を隠そう、画家のハイネが例の絵画をついに完成させ、マカイノ村に届けてくれたのである。
今日はネーメの生誕祭と併せて、絵画の除幕式も行う予定なのだ。
ネーメを抱いたスピカの絵が、果たしてどのような仕上がりになっているのか……心から楽しみである。
「ネーメっ!」
そのとき、スピカがこちらに駆け寄ってきた。
「お誕生日おめでとう! 私からのプレゼントよ!」
彼女が取り出したのは、花を編んだ冠だ。
ネーメの頭にそれを載せ、手鏡を掲げる。
「んっ、ばっちり似合ってるわよ!」
「わあ~! まぁま、ありがとー!」
手鏡に映る自分の姿に、ネーメが身体をジタバタさせて無邪気な歓声を上げる。
「ククク……よかったな、ネーメ」
「喜んでもらえて嬉しいわ!」
「ぱぁぱ! まぁま!」
そんな俺たちに、周囲の皆が拍手を送ってくれる。
すると、どうだろう。
「っっ……。すんっ……くすん……」
「ネーメ、泣いているのか?」
俺の腕に抱かれたネーメが、なんと両目に涙を滲ませていたのだ。
相手が赤ん坊でなければ、嬉し涙と解釈する。
しかしネーメは、まさにその赤ん坊だ。嬉し涙を流すとは考えづらい。
「……っ。……ひっぐ」
小さく喉を鳴らした後、ネーメは俺の胸板に顔を押しつけてきた。
これでは表情が確認できない。
「……まあいい。ほら、スピカも来るのだ。ともに特等席へ行こうではないか」
「えっ、私も!?」
俺はスピカの手を握り、特大ケーキの横にある長テーブルへと歩いていった。
ここは会場全体が見渡せるポジションだ。
今日の主役であるネーメの保護者として、スピカとともに座りたい。
「ふむ、なかなか良い眺めだ。なあ、スピカ?」
「あううぅぅ……」
だが、どうしたことか。俺と並んでテーブルについたスピカは、耳まで真っ赤にしてうつむいてしまった。
「どうしたのだ? 今日の主役はネーメだ。スピカが緊張することもあるまい」
「だ、だって……だって、この席……」
「この席がなんだというのだ?」
質問を重ねる俺に、ついにスピカは痺れを切らしたようだ。
テーブルを両手でバンと叩き、真っ赤な顔で叫ぶ。
「こ、こ、こ、婚姻の宴みたいじゃない!!」
――なん……だと!?
スピカの言葉に、俺の邪悪なる心臓が飛び跳ねた。
ネーメを抱いたまま席を立ち、あたりを見回す。
華やかなガーデンパーティー。
豪華な料理に特大ケーキ。
会場全体が見渡せるポジション。
その席に着いた俺とスピカ。
「た、たしかに! まったく気づかなかった……!」
「ううぅ、もうジュノったら……! いま王都で流行ってるタイプの婚姻の宴って、まさにコレなんだからね!」
スピカの赤面は留まるところを知らない。首から上を赤熱させながら、『もう! もう!』と繰り返している。
そんな彼女を、俺は――。
「ひゃん! ジュ、ジュノ!?」
真正面から、優しく抱きしめた。
ネーメを挟んで向かい合い、見つめ合い。
「スピカ。俺は……」
と、口にしたときだった。
『ちょっと待ったあああぁぁぁぁ!!!!』
騒がしい大声が乱入し、俺の言葉をかき消したのだ!
声の主は三人。
言うに及ばず、アルテミス、グルヴェイグ、ペルヒタである。
彼女たちは俺とスピカに群がってきて、
「あぁんジュノ様! 婚姻の宴でしたら、わたくしとも練習してくださぁい! もちろん本番も大歓迎ですぅ!」
「ええい黙りなさい! ダンナ様の新妻たる私が、まず練習と本番をしますから!」
「……二人とも、うるさい。こういうときは、まずメス猫とにゃんにゃんするのが魔界の摂理……」
口々に独自の理論を並べ立て、俺とスピカを揉みくちゃにし始めた。
だが、今日のスピカは引き下がらない。
「だぁめ! ジュノと練習するのは私なんだからね!」
凛々しい眉を吊り上げて、三人の元女神を迎撃にかかったのだ。
視線の火花がバチバチと交錯する中、他の参列者たちは拳闘観戦のごとく盛り上がっている。
――と、ふいに服の袖を引っ張られた。
「魔王様、ネーメさん、こちらへどうぞ。こっそりリリスと座っちゃいましょう♪」
堕天使少女のリリスが、俺とネーメに着席を促したのだ。
手を引かれ、言われるがまま席に着く。
するとリリスも隣のイスに腰かけて、俺に寄り添ってくるではないか。
「リ、リリスよ……さすがだな」
「さすがー」
取っ組み合いを繰り広げるスピカたちを尻目に、まんまと美味しいところを持っていったリリスである。
「えっへへ~♪ リリスだって、魔王様とこうなりたいんですものっ。そこのところは譲れませんって!」
「ククク、可愛いやつめ……」
俺がリリスの頭を撫で、彼女がますます俺にべったり抱きついていると。
『あああああっ!!』
スピカたちが、リリスの抜け駆けに気づいたようだ。
そして始まる彼女たちの追いかけっこに、またしても会場は盛り上がる。
ネーメもキャッキャと声を上げ、騒がしいパーティーを楽しんでいるようだ。
優しい時間。
楽しい魔界。
「こんな日々がずっと続けば、どんなに素晴らしいだろうか……」
ネーメを抱き直し、俺がささやかな願いを口にした、そのとき。
まさに、その瞬間のことだった。
「あぐっ……うぅぅ!?」
そのうめき声は、腕の中から。
ネーメが胸を押さえ、苦しそうにもがき始めたのだ。
「お、おいネーメ! どうしたのだ!?」
俺の叫びが会場を震わせ、一気にざわめきが弾け広がる。
「ちょ、ちょっとジュノ! 何があったの!?」
「あああ、ネーメ様が!」
すぐさま戻ってきたスピカとアルテミスが、ネーメの急変に悲鳴を上げる。
「あぐっ、うぅっ……ぁああ!」
ネーメの苦しみは止まらない。
表情は歪み、目には涙が浮いている。
「くっ、これはいけません! この中に医者は!? 医者はいませんか!?」
「あわわわわ……」
グルヴェイグとペルヒタも顔面蒼白。
村人たちは右往左往するばかりだ。
「魔王様、これを!」
そんな中、水の入ったバケツとタオルを調達してきたのはリリスだ。
工房のメイドたちも、少し遅れて枕や毛布を持ってくる。
けれども事態は深刻だ。
「うぐっ……ひぐぅぅ……!」
もがくネーメ。
浮かぶ冷や汗。
「ど、どうして……? どうして、今……なの!?」
それはまったく突然のことだった。
苦しみながらも、ネーメが言葉を口にしたのだ。
今までとは異なる、はっきりとした発音で。
「ネ、ネーメ! 今、お前……!」
しかし、俺の言葉は届いていない。
ネーメが天を仰ぎ、歯を食いしばる。
「ど、どうして、こんな……。女神王……ヴィーナス、さまぁ……!!」
それが、最期の言葉だった。
俺の腕の中で、とてつもない聖性を帯びた魔力が膨れ上がった。
そのおぞましい魔力が、ネーメの小さな身体を覆っていったのだ。
――硬化。
ギギギギギ……!
その軋みは、計り知れない力で、柔らかいものを鉱物になるまで圧迫するような響きで――。
「…………」
次の瞬間、ネーメの矮躯は純白のクリスタルに幽閉されていた。
彼女はピクリとも動かない――動けない。
天を仰ぎ、目を見開き、涙を飛ばして絶望する。そんな表情のまま……。
「あ、あ、あ……」
あまりの事態に、俺も、スピカたちも、会場の全員も、呆然と立ち尽くす。
すると、純白のクリスタルを別種の魔法が包み込んだ。
これは――浮遊魔法の波動である。
ネーメを閉じ込めたクリスタルは、天に向かってふわふわと浮かび上がり……工房の最上階付近で静止した。
――動かない。
それっきり、何も起こらない。
会場の全員がクリスタルを見上げ、ただただ事態を静観する中。
「いかん!!」
俺の全身が粟立った。
この沈黙。
この時間。
敵はネーメを空中に静止させた後、次なる魔法を準備しているのでは!?
「クッ……!」
俺は両脚に魔力を込め、大跳躍でネーメをキャッチしようと身をかがめた。
が。
しかし。
空の彼方から、純白の閃光が飛来して。
――パン!
そんな、儚く、呆気ない音とともに。
ネーメが入ったクリスタルを、粉々に打ち砕いた。
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