第9話 堕天使少女のささやかな恋心
「うぅん、むにゃむにゃ……。んんっ……?」
ハッ! いつの間にか寝ちゃってたみたいです! リリスは飛び起き、まわりをキョロキョロ見回しました。
「ビーチチェア……ですか。はて……?」
うわぁ、いけません。自分がどんな状況で寝てたのか思い出せません。……よっぽど疲れてたっぽいです。
寄せては返す、穏やかな波の音。
ドロドロに燃える真っ赤な太陽が、海の彼方に沈んでいきます。
「ほぇー……」
その雄大すぎる景色に、リリスは不覚にも見入ってしまいました。
よしよし、少し頭がスッキリしてきましたよ♪
魔王様たちとボール遊びをした後、ビーチチェアに寝そべってるうちに眠っちゃったみたいです。
近くのテーブルには、トロピカルジュースが入ったグラスが二つ。
罰ゲームとして、魔王様が取りに行ってくださったヤツでしょう。
グラスの底には水たまりができてます。
ずいぶん時間が経っちゃったようです。
で、その横っちょには空のグラスが二つ。
「おりょ? これは……」
空になったグラスの下に、小さな紙切れが挟んであります。
「ありゃま。魔王様とアルテミスさん、出かけてるんですね」
そこには、
『ちょっと買い出しに行ってきます。ジュノ様と二人っきりで! アルテミス』
との文字が躍っています。よっぽどノリノリで書いたんでしょうねぇ。
――と、そのときです。
「んんっ……ふぁ?」
隣のビーチチェアで、スピカさんがモゾモゾし始めました。
「ふわぁ~……。やだ……私、寝ちゃって……」
瞳をこすりつつ、あたりをキョロキョロするスピカとさん。
まるでさっきのリリスを見てる気分です。
「スピカさん、おはようございます。ささ、ジュースをどうぞ」
そう言って、リリスは温くなったトロピカルジュースを差し出します。
「んっ……ありがと。……綺麗な色。ステキ……」
むにゃむにゃ言いながらも、スピカさんがストローをくわえました。
リリスも自分のストローをチューッと……。爽やかな味が口の中に広がります。
キンキンに冷えてれば、きっともっと美味しかったんでしょうねぇ。
「んぐっ、んぐっ、ふぅ……。ねぇリリス、ジュノとアルテミスがいないみたいだけど、何か知ってる?」
グラスをテーブルに戻し、スピカさんが訊ねてきます。“元”王女のくせに一気飲みとは豪快な子です。
「お二人なら、ヴィラのベッドで組んずほぐれつ、えっちな宴の真っ最中ですよ?」
「なによそれ! そんな羨ま……じゃなくて、私も混ざりに……リリス?」
焦りを見せたスピカさんですが、その目が疑わしげに細められました。
リリスが途中で「プププ!」と笑ってしまったのです。
「もう、リリスったら!」
「いや~すみません。お二人は買い出しに言ってらっしゃるみたいですよ? メモにはそう書いてありました」
リリスがメモをひらひらさせると、スピカさんはわかってくれたみたいです。
そのまま半身を起こし、つまらなそうな顔で海を眺めたスピカさんでしたが、
「わぁ……!」
その表情が一気に輝きました。
真っ赤な太陽が水平線に沈んでいく様子に、心を奪われてるっぽいです。まあリリスもさっき感動しちゃいましたし、スピカさんの反応にも納得です。
「…………」
「…………」
波の音だけが鼓膜を撫でる、静かな時間が流れます。
すぐに空は藍色に染まってゆき、星がチラホラ瞬くようになりました。
「……ねぇ、リリス?」
ビーチチェアに寝そべったスピカさんが、顔だけをこちらに向けてます。
「リリスって、ジュノとは長い付き合いなのよね?」
「そりゃ~もう! 魔王様が封印される前の……漆黒の魔導鎧装だった時から、大の仲良しさんでしたよっ♪」
リリスは当時を思い出し、胸が熱くなるのを感じました。
おそらくスピカさんは、魔王様のことをもっと知りたいんでしょう。
本人は認めてませんが、さすがは恋する乙女です。
だからリリスは先回りして、
「魔王様の昔話……聞きたいですか?」
「き、聞かせて!」
スピカさんがガバッと身を乗り出します。
まったくもう。
そんなに好きなら、さっさとコクっちゃえばよろしいのに。
……と言いたいところですが、きっとスピカさんは真っ赤になって否定するはずなので、それはまた別の機会に、ということで。
そしてリリスは語り始めました。
リリスと魔王様の、ちょっとした昔話を――。
♪ ♪ ♪ ♪ ♪
チビ助。ダメッ子。落ちこぼれ。ダメピンク。
今から何百年も前、リリスはそんな風に呼ばれて、魔界の子たちからバカにされてばっかりでした。
でもまあ……皆さんの気持ちもわかります。
魔王立魔法学校・ジュノアカデミーの生徒だったリリスは、勉強も運動も下から数えた方が早いぐらいの劣等生でしたから。
「すん……すん、くすん……」
そのうち、声を殺して泣く技術を覚えました。
授業中にクラスメイトからバカにされ、先生には呆れられ……休み時間にからかわれるのが嫌だったので、人気のない場所で膝を抱える毎日でした。
「うぅぅ……。どうしてリリスは『普通』になれないんでしょう……」
いつもの自問自答が始まります。
「スゴイ魔法使いになんて、なれなくたっていいのに……。皆さんと同じように、魔界のために戦える『普通』の魔法士になれさえすれば……それで充分ですのに」
自分で言うのもアレですが、リリスは毎日しっかり勉強し、必死に頭を絞って研究に打ち込んでました。
……そうしているつもりでした。
なのに、結果はいつも散々で……。
授業中に研究を発表しても、先生には
『そんな理論は聞いたことがない』
『考え方が突飛すぎる』
と酷評され、
クラスメイトには
『ちゃんと勉強しろ』
『マジメにやれ』
『またリリスか』
……と囃し立てられてばっかりです。
あぁ、もうすぐ休み時間が終わります。
次の時間は研究発表。
「また……バカにされちゃうんでしょうか……」
リリスは懐から資料を取り出しました。
みんなにわかってもらえるように、死にもの狂いで丁寧にまとめた新研究です。
――結界魔法の応用について。
対象者の記憶を引っ張り出して、当人の思い出の風景を結界魔法の内部に展開してしまう術式です。
まだ理論の段階で、実際に発動させることはできません。
ですけど、この術式が完成すれば。
「パパとママに、逢えるかもしれません……」
行方不明になってしまったパパとママ。
記憶の中にある幸せな思い出を、もう一度体験したい……。
パパとママに、もう一度抱きしめてほしい……。
そんな思いから理論を構築した術式なんです。
「これだけはバカにされたくありません……。でも、でも……」
目の前がぼやけます。
瞳の中が熱いです。
『そんな理論は聞いたことがない――』
『マジメにやれ――』
熱い雫が頬を濡らし、地面にこぼれてゆきました。
「――少女よ、何を泣いている?」
それは本当に、突然のことでした。
敷地の隅っこでべそをかいてるリリスの前に、真っ黒な鎧をまとった御方がいらっしゃったのです!
全身から立ちのぼる邪悪な波動。
美しく磨かれた漆黒の魔導鎧装は、息を呑むほど高貴な禍々しさを放っていらっしゃいます。
近くにいるだけで、リリスの肌はビリビリ震えっぱなしでした。
「あ、あ、あ……! ま、魔王様!?」
その方の御名を知らない魔族は、一人たりとも存在しません。
――魔王、ジュノ様。
魔界を統べる王であり、この学校の名誉理事長の立場におわす御方です。
「少女よ。お前がリリスか?」
「は、はいっ! そうでしゅ!」
出し抜けに名前を呼ばれ、リリスは弾かれるように直立しました。
魔王様はたくさんの紙束を小脇に抱えていらっしゃいます。
あれは、まさか……。
「この研究資料――すべて読んだぞ。数多の新術式を構築しているようだが、間違いなくお前が書いたのだな?」
「お、おっしゃるとおりです! 全部リリスが書きました!」
「……誰の力も借りずにか?」
「はいっ。……でも、皆さんにはわかってもらえなかったみたいで。……リリス、いつもバカにされてばっかりで……」
いけない。
魔王様の前で泣いちゃうなんて、絶対にダメなのに!
そう思っていても、身体は言うことを聞いてくれません。
あとからあとから涙があふれ、リリスの顔は瞬く間にぐしょぐしょになってしまいました。
「リリスよ……」
「ッッ!」
――怒られる!
リリスは思わず身を縮めました。ぎゅっと目をつむります。
クラスメイトからバカにされ、先生に呆れられたときと同じように――。
でも。
次の瞬間。
「あ、れれれ……?」
リリスは頭を撫でられました。
硬くて、冷たくて、とても大きな手で――。
間違いありません。魔王様に頭をナデナデされてるんです!
「恐れることはない。素晴らしい研究ではないか!」
「……ふぇ?」
魔王様の言葉の意味が、すぐには理解できませんでした。
今までバカにされすぎて、褒められる感覚を忘れてしまっていたんです。
「リリスよ、お前の研究はアカデミーのレベルを超えているのだ。この柔軟な発想力。大いなる創造性。そして丁寧な資料を作る心配り。お前は魔法で戦うのではなく、魔法の研究――魔導研究師の道を歩むといい!」
「け、けん……きゅう、し?」
考えたこともありませんでした。
みんなと同じ『普通』の魔法士になって、魔界のために戦うことしかリリスの頭にはなかったんです。
魔王様は、地面に落ちた『結界魔法の応用について』の資料を拾い、スラスラと読み進めていきます。
――そして、ニヤリと笑いました。
漆黒の魔導鎧装が笑ったのを、リリスは心で感じたんです。
魔王様は力強くうなずき、
「リリスよ。俺と一緒に来るのだ」
こちらに御手を差し伸べられました。
「アカデミーに通っている場合ではない。俺のもとで、今すぐ魔法の研究に励むのだ」
「で、でも……リリスはダメッ子で、ダメピンクで……」
もう、涙で魔王様のお顔がわかりません。鼻水だって垂れてたと思います。
それでも魔王様は、魔王ジュノ様は――。
「――俺には、お前が必要なのだ。俺と一緒に来てくれ……リリス!」
気がつくと、リリスは魔王様に抱きついてました。
硬くて、冷たくて……。なのに不思議とあったかく感じたんです。
魔王様のお気持ちが、リリスの心に沁み入ってきたに違いありません。
「う、うぅ……うわぁぁぁあんっ! あ――――ん! あぁ――――ん!!」
限界でした。
今まで溜め込んできた様々な想いが弾け、一気にあふれ出したんです。
大泣きするリリスを、魔王様はいつまでもいつまでも抱きしめてくれました。
「リリス……辛かったのだな。今は好きなだけ泣くといい。お前の心も身体も、俺が必ず守ってやる。だから……安心するのだ」
魔王様のお言葉が、リリスの心をいっぱいに満たします。
このときリリスは誓いました。
魔王様のために、人生を捧げよう。
魔王様のために、命を懸けよう。
この先なにがあろうとも、魔王様と共にいよう――、と。
♪ ♪ ♪ ♪ ♪
「――とまあこんな具合に、リリスは魔王城にお勤めすることになったわけです」
たくさんの星明かりに見守られながら、そのあたりで話をまとめます。
スピカさんの反応は……?
「すんっ……ぐすっ、ぐすんっ!」
なんと! めちゃくちゃ泣いちゃってます!
どうしようかとオロオロしてると、
「リリスうううぅぅぅっっ!!」
「ぎゃんっ!」
スピカさんにタックルされて、リリスはビーチチェアから転げ落ち、砂の上に倒れ込んでしまいました。
「けほ、けほっ! いきなりどうし……」
「うぅぅっ……だって、だって……!」
ポタ、ポタ――。大粒の雫がリリスの頬を叩きました。
スピカさんの瞳から、涙があふれてきたんです。
折り重なって倒れたまま、スピカさんと見つめ合います。
「リリス……! リリスぅ……!」
「あ、あはは……。なんとゆーか、ありがとうございます。スピカさんは感受性が豊かなんですからもぅ」
そう言って、綺麗な金髪をナデナデしました。
「魔王城へ行ってからも、リリスはいっぱい失敗しちゃいました。ですけど魔王様は、いつだってリリスのことを信じてくださって、何があっても助けてくださって……」
魔王様との思い出がありありと蘇ります。
リリスは自分の口もとが、ほのかに綻ぶのを感じました。
「まあ……そんな風にされたら、好きになっちゃいますよね~」
魔王様のためなら、好きな人のためなら――三〇〇年かけて研究を続けるぐらい、どうってことありません。
スピカさんは涙を拭い、
「くすんっ……リリスも好きなの? ジュノのこと……」
「そりゃ~もぅ激ラヴですよっ♪ あ、ですけどご安心を。相手は魔王様ですから、リリスとスピカさんは恋敵ってカンジじゃありませんからねっ?」
魔王様は一夫多妻が当たり前です。
そりゃ~まぁ、誰が正妻かっていう議論はありますケドね。
スピカさんは涙ながらにコクリとうなずきました。
「そ、それは理解してるつもりだけど……。でも私、まだ告白とか、タイミング……わからなくって」
「いいんですいいんです。リリスもスピカさんも魔族ですからね。長~い人生を送るうちに、いいカンジのタイミングを見つけて気持ちを伝えればいいんですよ♪」
「……んっ」
それからしばらく、砂の上でスピカさんと抱き合ってました。
ようやく涙が落ち着いてくると、
「……リリスをバカにした奴らはどうなったの?」
眉を吊り上げ、スピカさんが言いました。
「ご安心を。当時の先生方は大勢クビになって、もっと優秀な魔法士の方々が新しく先生になりました。で、クラスメイトたちは……」
「ごくり……」
「魔王様の発案で、水車の動力を利用したお尻ペンペンの刑に処されました。そのあとリリスにキチンと謝ってくれましたよ♪」
お尻を突き出した状態で川の中に立たせ、水車がグルグル回る勢いを利用して、お尻をペンペンしちゃうんです。
水車にはムチのような『叩き板』がたくさん付いていて、みんなのお尻はすぐに真っ赤になっちゃいました。
「う、うわぁ……」
おおぅ、スピカさんがドン引きしちゃってます。
ですがコホンと咳をして、
「で、でもまあ、よかったわ。うんとリリスを傷つけたんだもの。それぐらいの罰を受けなきゃダメよね」
水車の動力を利用したお尻ペンペンに、理解を示してくれました!
「スピカさん。なんてゆーか、お話しできてよかったです♪」
「私もよ。リリスのこと、誤解してる部分……あったかも」
えへへ、ふふっと笑みを交わし、リリスたちはビーチチェアに戻ります。
――藍色の夜空に、二筋の流れ星が走りました。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます