第6話 新生魔王と告解魔法


 明けて翌日。


 窓から差し込む朝日を浴びながら、俺は工房の二階廊下を歩いていた。

 目的地は、スピカが眠る部屋である。


 昨日、俺の魔導調律によって気絶した彼女を、リリスの転移魔法でマカイノ村へ連れてきたのだ。

 魔空間で愉しみすぎたせいで、戻ったときには真夜中になっていた。

 スピカは服を着替えさせ、二階の空き部屋に寝かせることになったのである。

 

 四階建てのこの工房は、もともと俺を復活させる研究のために建てられたものだ。

 リリスをはじめとする魔導研究師たちは、二階から四階の個室に住み、ひたすら研究に明け暮れてきたという。


 ちなみに俺は最上階に部屋を用意してもらった。

 魔界の領土を拡大するまでは、ここが俺の魔王城というわけだ。


 よし、着いた。

 ――コンコン。


「スピカ、入るぞ」


 俺はノックとともにドアを開けた。

 なんと室内では、スピカが服を着替えていた――などという悪魔的幸運はなく。


「ううっ、ぅぅん……」


 それどころか、彼女はベッドでうなされていた。

 汗の浮かんだ額に金色の前髪が貼り付いている。

 眉間には皺が刻まれ、なんとも苦しそうだ。


 俺はベッドサイドのイスに腰かけた。

 夢魔に憑かれている気配はない。ただの悪夢のようだ。


「とはいえ、辛かろう……」


 ぎゅっ……。

 汗ばんだスピカの手を、両手で包み込む。


 すると、どうだろう。

 彼女は俺の手を弱々しく握り返してきた。

 だんだん表情が和らいでいく。やがて汗も引き、寝息も落ち着いていった。


 安らかな寝顔を見つめることしばし。


「んぅっ……」


 スピカがモゾモゾし始めた。そろそろお目覚めのようだ。

 大きな瞳をゆっくり開き、


「……おうじ……さま?」


 こちらの手を握ったまま、むにゃむにゃとつぶやいた。


「残念。俺は魔王様だ」

「おぅじ……まぉぅ? ――ハッ!」

「おはようスピカ。気分はどうだぶふぅっ!!」


 直後、俺の顔面に枕がヒットした。スピカが投げつけてきたのだ。

 彼女は状況を察したらしい。俺の手を振りほどくと、ベッドの隅へ飛び退いた。


「な、な、な……! また私に変なコトを!? まだ朝なのに!」


 昨日の魔導調律を思い出したらしい。首から上が真っ赤である。

 スピカはギッと眉を吊り上げた。


「よくもぬけぬけと気分はどうとか言えたものね! 私をあんなにイカせ……コホン。おかしな状態にしておいて! 気分なんて最悪に決まって……」


 そこまで言いかけ、何かに気づいたようだ。

 スピカは無言で立ち上がり、ベッドの上で肩や首を回したり、深呼吸を繰り返す。


「で、気分は?」


 再び訊ねる。スピカはプイッと目線をそらした。


「か、肩の荷が下りた……ような感じだわ。すごく身体が軽くて……気持ちも、晴れ晴れしてる……」

「そうか、それはなによりだ」


 俺は微笑み、審理の魔眼を発動させた。

 スピカの【ストレス】は――一二。

『三二〇以上』という昨日の数値がウソのようだ。


「すぐに身支度をして食堂へ行こう。リリスも交え、朝食を摂ろうではないか」


 しかし彼女はこちらへ来ない。

 ふとんにくるまり、真っ赤な顔で俺を睨んでくるばかり。


「あ、あなたねぇ! 私にあれほど恥ずかしいコトをしておいて、どうしてそんなに落ち着いてるのかしら!?」

「まあ、俺は魔王だからな」

「答えになってないわ! ……ッ!?」


 絶句するスピカ。自身の服装に、ようやく気が回ったらしい。


 服装とは――全裸に白シャツである。


 たわわな胸の膨らみは、もはやシャツに収まっていない。

 生地はパツンパツンに張りつめ、今にもボタンが弾けてしまいそうだ。


「ちなみにそのシャツは昨日、俺が着ていたモノだ」

「そ、そう。だから王子様の夢を……じゃないわ! あなたの匂いを感じながら寝てたなんて屈辱よ! 脱ぎ捨てるからあっちを向きなさい! 向きなさいってば!」


 両手でグイグイ押され、俺は仕方なく反対側を向いた。

 しゅる、しゅる……と背後で衣擦れの音が聞こえる。

 スピカが身につけていた白銀の鎧と衣装は、昨夜のうちにリリスがベッドサイドへ戻しておいたのだ。

 雫が滴るほど濡れていた下着は、もちろん洗濯済みである。


「ねぇ、ジュノ。私……魔族になったの?」


 そっと、スピカがつぶやく。

 ジュノ、か。まあいい。スピカらしい呼び方だ。


「いかにも。お前の魔道経絡は魔族仕様に書き換わっている。王女から魔族となり、すべてのしがらみから解放されたからこそ、お前は晴れやかな気分でいられるのだ」

「…………そう」

「いきなり魔族に堕ちたのだ。混乱もあるだろう。だが――」


 着替えの音が止んだ。

 俺は振り返り、笑みを浮かべる。


「今はひとまず朝食だ。詳しい話はそれからしよう」


 王子を意識して恭しく手を差し伸べると、スピカの赤面が濃くなった。

 今度は拳が飛んでくるかと思ったが、


「んっ……行くわ。……心が軽いのはホントだし」


 意外にも、スピカは俺の手をやんわり握ってきた。

 清楚で凜々しい白銀の鎧。ひらひらとした短いスカート。

 その高貴なる美貌は言わずもがな。

 さらにロングの金髪は、朝日を受けて華やかにきらめいている――。



 食堂でリリスと落ち合い、三人で食事を始めた。


 食堂内には少女たちの談笑があふれている。

 リリスの部下である魔導研究師の少女らは、これから俺のメイドになるらしい。俺が不在のときは魔術や魔道具の研究を行い、その発展に努めるのだとか。


 で、スピカはといえば――。


 結局、牛肉のスープを四杯飲み、パリパリに焼いた鶏肉を八切れ食べ、バターをたっぷり使ったパンを七つも平らげた。

 俺の復活を祝うため、今日は朝食が豪華仕様になっているという。


 食事を終えたスピカはニコニコ顔でお腹をなでている。


「はぁぁ~。こんなに食事が美味しいと思ったの、生まれて初めてかもしれないわ」


 対面のリリスは呆れ顔だ。


「ほぉら、だから言ったじゃないですか。魔族生活、けっこう楽しいでしょう?」

「……そ、そうね。悪くない……かも。まあ、私は魔族ではないけれど、ごはんが美味しいのはいいことだわ」


 魔族になった事実を受け止められないスピカが、俺をギロッと睨んできた。

 腹が満たされ、『詳しい話』をする余裕が出てきたようだ。


「私の仲間……王立騎士団のみんなはどうしたの?」


 これにはリリスが答えてくれる。


「リリスの部下たちに命じて、あの子たちは王都へ強制転移させちゃいました。記憶も消去したんで、魔王様の魔力を感知したことも忘れてます♪」

「こ、殺してはいないのね?」

「殺す理由もありませんからねぇ~。おやおや、みんなからの期待を重荷に感じてたくせに、けっこう心配してるんですね?」

「そ、それはそうよ。物心ついたときから一緒だったんだもの……」


 ニヤニヤするリリスから視線を切り、スピカが怖い顔で俺を見つめた。


「ジュノ。そもそも、どうして私に魔導調律をしたのよ?」

「そりゃ~もちろん女神を倒す術式の実験台に……むぐぐっ」


 リリスの口を塞ぐ。たしかにそれも理由の一つだ。

 しかし、俺が魔導調律に踏み切った、最も大きな理由は――。


「――お前が、とても辛そうにしていたからだ」


「!」


 スピカが目を見開く。


「周囲からの重圧。無責任な期待。王女としての責任。お前が心にとてつもない負担を感じていたのは、端から見ても明らかだった」

「……だから私を助けようとしたっていうの?」

「フッ、俺は魔王だ。聖人のようなことはしない。重圧のあまり、お前はたびたび顔を歪めていた。それでは美人が台無しではないか。だからお前を魔族に堕とし、俺の下僕としてのびのび生きられるようにしてやろうと思ったのだ」

「魔王様は、スピカさんが気に入っちゃったんですよ♪」

「その通りだ。俺は、お前が欲しかった」


 おや、スピカがまた赤面している。

 彼女は下を向いてぷるぷる震えたかと思うと、机をバンと叩いた。


「だ、だからあなたは! どうして『美人』とか『欲しい』とか、そういう恥ずかしいことをしっかり口に出してしまうのよ!」

「……。ま、まあ、俺は魔王だからな」


 クールな決めゼリフのつもりだったが、しかし。


「……ふん。まあいいわ。そういうことにしといてあげる。……私、しばらくここにいるわ。その後のことは……知らないけど」


 言葉を収め、スピカはプイッとそっぽを向いた。

 その口もとが緩んでいるのと、俺の頬がじんわり熱いのは、たぶん無関係だろう。




 それからリリスにマカイノ村を案内してもらった。

 工房を出ると、涼しい風が吹きつけてくる。湿度は低めで心地いい。

 昨日も感じたが、この村の気候は俺の肉体に合っているのだろう。


「この村……神聖アルテミス王国の辺境にあるのよね?」


 あたりをキョロキョロしつつ、スピカ。

 先頭のリリスが振り返る。


「ですね~♪ まあ、いわゆる田舎の村ですよ。それにしては規模も人口もわりとビッグですけど」


 緑の草が生い茂る村の中には、二階建て、三階建ての民家(石づくり)が点在している。堅牢な家畜小屋もセットだ。三〇〇年の間に、建築技術も進歩したらしい。


「主な産業は酪農です。人間族の村や街と取り引きしつつ、今日まで細々とやってきたんですよ~」

「人間族、ねぇ……」


 スピカはしきりにキョロキョロしている。

 さっきから、たくさんの村人が俺たちを遠巻きに眺めているのだ。彼女はそれが気になるのだろう。


「リリス。ここの村って、つまりは魔界の領土なのよね?」

「えぇ、いかにも。村人たちはみ~んな魔族です。人間族は一人もいませんよ」

「擬態魔法というわけね。……すごい精度だわ。村の人たちの外見も魔力反応も、人間とまったく同じなんだもの」


 そう。

 スピカの言うとおり、村人たちの外見は人間そのものだ。

 もちろん、審理の魔眼を使えば魔族だとわかるのだが。


 リリスは頬を掻き、得意げに説明する。


「そりゃまあ、女神どもによる残党狩りから逃れるために、みんな必死で擬態魔法をマスターしましたからね。今では、呼吸するのと同じぐらい自然に擬態できるようになりましたよっ!」

「ふむ。擬態魔法があれば、人間族との取り引きもスムーズに進められるだろうな」


 と、そのとき。

 ある一家と目が合った。


 思えば、復活してからキチンと挨拶をしていなかったな。


「苦しゅうない。こちらへ来るのだ」


 俺は彼らへ視線を送り、手招きをした。


「魔王さまー!」

「ジュノさまー!」


 すると、許しを与えた一家がこちらへ駆け寄ってきた。

 彼らだけではない。ずっと俺たちを眺めていた村人らが、ドッと押し寄せてきたのだ。瞬く間に人だかりができてしまった。


「魔王様、よくぞご無事で!」

「なんと精強なお姿!」

「あぁ、夢じゃなかろうか!」


 口々に俺の復活を喜び、瞳を輝かせている。

 そんな中、俺はコホンと咳払いをした。


「このたび、魔王ジュノはこうして復活を遂げた。これには魔導研究師長たるリリスの功績が大きいが――」


 村人たちを見渡す。


「――復活までの三〇〇年間、皆がリリスの工房へ、魔力を供給し続けてくれたと聞いている。……ありがとう。皆のおかげで俺は復活できたのだ。これからは、ともに生きていこう。俺の大切な家族たちよ!」


 その言葉には、すぐさま大きな拍手が返ってきた。


「魔王様ばんざい!」

「うぐっ、ひぐっ……ジュノ様ぁ!」

「魔王様ぁぁ!」


 涙を流す者に寄り添い、集まった者たちの握手や抱擁に応じていく。

 やはり魔界はいい。家族とは……なんて尊いのだろう。

 村人たちに別れを告げ、再び青草を踏みしめていると、


「あなたって、人気者なのね」


 スピカがポツリとつぶやいた。どこか遠い目をしている。


「互いを尊び、信頼し合っているならば、民の心は重荷にならない。今のように、胸に優しく響いてくるのだ」

「……!!」


 スピカが息を呑んだ。

 関心、期待、希望。

 それらを重荷に感じていた彼女には、思うところがあったのだろう。


「だったら……」


 そっとつぶやき、スピカは立ち止まった。俺の顔を見上げてくる。

 その瞳は真剣だ。

 頬と耳を赤く染め、言葉を選ぶように声を詰まらせている。


「だったら……魔族になった私のことも、家族みたいに大事だって思ってくれるの? そ、それなら、私……!」

「ぬ!?」


 俺は思わず大声を上げた。

 スピカの言葉を遮ってしまったが、それどころではない!

 しばらく彼女と見つめ合っていたら、審理の魔眼が発動した。

 

 注目すべきは【職業】。

 そこへ新たな項目が加わっていたのだ!


 スピカ・フォン=シュピーゲルベルク。

【職業】王女、魔法剣士。


 そして三つ目。


 ――告解魔法士。


「私、王女として生まれて、両親じゃなくて侍女たちに育てられて……。あったかい家族ってすごく憧れてたの。……だ、だからね?」


 ブツブツ言っているスピカの手を、俺は力強く握りしめた。


「ひぁんっ! あの、でも、心の準備が……!」

「スピカ喜べ。俺とお前は、快感を得れば得るほど強くなる関係になったのだ!」


「…………ハァ?」


 しおらしかったスピカの表情は一転、虫ケラを見るようなまなざしになる。


「さあ交わろう。ほれイくぞ!」

「もう……ばか――――――ッッ!!」


 マカイノ村の空に、スピカの怒声が響き渡った。



 スピカとリリスを引き連れ、俺の部屋へ戻ってくる。

 しばらくプンスカしていたスピカだが、だんだん怒りが鎮まってきたようだ。


 俺の部屋を興味深げに見回し、


「こ、これが男の人の部屋……あぁ、ニオイが……」


 頬を染め、鼻をスンスンさせている。


 俺の部屋は、魔導研究師たちの居室と同じ広さだ。

 一人用のベッドに机、そしてタンス。

 手狭で簡素なつくりだが、この肉体のサイズにはちょうどいい。

 するとリリスに尻をつつかれた。


「それじゃー魔王様、告解魔法士のお話をお願いします」

「うむ」


 告解魔法士とは文字どおり、『告解魔法』の使い手を意味する。

 俺が神聖空間に封印されている間に編み出した、新たな魔法体系だ。


 使い手として覚醒するキーとなるのは、魔導調律である。

 魔道経絡を書き換えることで、告解魔法士としての素養を植え付けられるのだ。


 告解――。

 それはすなわち、罪の告白。

 己の心に抱えたやましい事柄の暴露が、そのまま詠唱となるのだ。


 必然、発動までには時間がかかる。しかし威力は絶大だ。罪の告白が終わるまでは俺が前衛となり、絶大なる防御力によって時間を稼ぐのである。


「魔王なのに、危険な前衛に……」


 そこまで説明すると、スピカは意外そうに声を洩らし、


「私、その告解魔法っていうの……使えるの?」


 請うような視線を向けてくる。


「もちろんだ。この力を完全に体得すれば……そうだな。この腐敗しきった現代を、まるごと改革することすらできるだろう」

「ッ! 私にも、改革が……」


 スピカがピクッと眉を上げた。

 しかし、まだ逡巡するように視線を泳がせている。


「で、でも、告解魔法士として強くなるためには、あ、あなたと……えっちなことをしなきゃいけないのよね?」

「もちろんだ。告解魔法は魔導調律と密接に関係している。俺とともに快楽を感じれば感じるほど、告解魔法士としての力は高まっていく」

「いっぱいえっちすると強くなれるなんて、超~お得じゃないですか! よかったですねぇスピカさん。嬉しいでしょう?」


 スピカはプルプル震えながら、リリスのほっぺたを両手で引っ張った。


「魔族の基準で語らないでよ! 私は清らかな王女なの!」

「むぎゅぎゅ! れ、れもスピカひゃん、気持ひいぃの……好きれしょ?」

「お、女の子はみんな好きよ! あんなところ触られたら、誰だって……!」

「気持ひいぃだけじゃありまふぇん。魔王様に優ひく、たっ~ぷり愛を注いでもらへるんれすよ?」

「……! 愛を……」


 リリスの殺し文句が効いたようだ。

 スピカは開き直るように声を張り上げる。


「ああもう、わかったわよ! するわよ! 強くなるために、仕方なくね!!」


 そこで一気に声量を落とし、俺を上目づかいに見つめてきた。


「……そ、その代わり、優しくしないと……許さないんだからね?」

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