第2話 新生魔王の魔界化計画


 よもや、あれから浴室で一一回も精を放ってしまうとは……。


 そこまで放出したところで、股間の暗黒武装がやっと柔らかくなった。

 今の俺は魔賢者のごとく落ち着いた心持ちである。


 ……で、身体を脱衣所で拭きながら、リリスに改めて現状を説明してもらった。

 まとめると、こんな具合になる。


・俺が封印された後、この世界――リリアヘイムは六つの国に分割された。


・六つの国には別々の国教がある。女神王ヴィーナスの配下、六芒の女神たちがそれぞれの国で崇拝されている。なお、女神たちの長である女神王ヴィーナスは、すべての人間族にとっての崇拝対象である。


・女神王は五〇年前に代替わりした。『ヴィーナス』の名は次代へと継承され、先代の女神王は行方をくらませている。


・ここマカイノ村は、六芒の女神の一角『アルテミス』を崇める、『神聖アルテミス王国』の田舎にある。以前は『シュピーゲルベルク王国』という名前だったが、アルテミスの支配が始まるにあたって国名が変更された。


・マカイノ村の人口は五〇〇名ほど。魔族のみんなは人間族に擬態する魔法によって、まわりの街や村と交易しながら細々と暮らしている。


 さて。

 ここで考えるべきは、『俺は今後、何をするのか』だろう。


 そのとき、リリスに声をかけられた。


「さぁさぁ魔王様、こちらへどうぞ♪」


 なんて無邪気な笑顔なのだ。さっきまで白※液で全身ドロドロだったリリスだが、その後しっかり湯を浴びたおかげか、今では肌がツヤツヤだ。


「……うむ。この席だな」


 言われるがまま、イスに腰かける。


 浴室を出た俺とリリスは、工房の食堂へやってきたのだ。

 リリスは先ほどと同じ黒革の衣装。

 俺は『魔王の衣』をまとっている。

 禍々しくも高貴な色合い。毛皮がついた豪華なマント。

 俺の復活を見越して、リリスたちが長年かけて仕立てていたらしい。


 時刻は昼下がり。

 食堂の規模は手狭だが、人気はない。


 ちなみにこの施設は、俺の復活魔法を研究するために建てられた工房らしい。

 俺が神聖空間に閉じ込められた後、リリスの主導で建造が決まったという。


 当初、研究はたった数人で始めたそうだ。

 それから少しずつ協力者が増え、今やリリスは二〇人の魔導研究師を束ねる立場になっている。彼女の役職は『魔導研究師長』だ。

 部下の半数は、当初からマカイノ村に住んでいた魔族。

 もう半数は、この三〇〇年のあいだに村で生まれた魔族らしい。


「よいしょっと♪」


 リリスが俺の対面に座った瞬間だった。

 ぐぐぐぅぅぅ~っ!! 俺の腹から、世にも奇妙な低音が響いた。

 思えば、さっきから未体験の欲求に襲われている。これは一体……。


 するとリリスがクスクス笑い、


「魔王様、お腹がすいちゃったんですね。カワイイですっ!」


 パッと席を立つと、奥の厨房へ走っていった。


「お腹がすいた……か」


 なるほど、これが空腹か。以前は感じることなどなかったが、人間の身体を得た以上、空腹は宿命といえるだろう。面倒なものだ。

 ため息をついていると、リリスが戻ってきた。

 なにやら四角いトレーを持っている。


「お昼ごはんが残ってましたよ! 野菜のスープと黒パンだけですけど……ささっ、一緒に食べちゃいましょう♪」

「う、うむ」


 リリスはスプーンを手に取り、スープを一すすり。続いてパンを小さくちぎり、ポンと口に放り込んだ。


 リリスに何度も下半身を愛されているうちに、部下の少女たちは昼食を済ませたようだ。思えば、ずいぶん長いあいだ浴室にいた気がする。


「ん~っ、美味しいです! お風呂でいっぱいえっちな運動しちゃったせいか、パンとスープが身に沁みますねぇ~♪」


 リリスは幸せそうに表情をゆるめている。

 食事など、面倒なだけではないのか?

 そう思いつつ、彼女の仕草を真似てスープをすすり、パンを食べる。


「……むぉっ!?」


 瞬間、俺は目を剥いた。口内に広がるコレは……旨味というやつか!

 以前は食事など不要だった。よって、旨味とやらを感じることなどなかったが……なんということだ。

 コレを味わわぬまま生きていたとは、大いなる損失だ!


「あぐっ、むぐっ……ずずっ……!」


 俺は一心不乱にパンをかじり、スープを飲んだ。

 美味い。美味すぎる! 人間の身体はすばらしいぞ!


「おぉっ! 魔王様、いい食べっぷりです!」

「リリス、もう一杯スープをくれ。パンも……もっとだ!」

「はいは~い♪」


 パン、スープ、パン、パン、スープ。

 やがて満腹を迎えた俺は、イスにゆったり寄りかかった。


「はぁ~……。満たされたぞ。満腹とは、なんと心地いいことか……」

「性欲に食欲。生身の身体はご満足いただけましたか?」

「ああ、大いに満足だ。生理的欲求を満たすのが、これほど心地いいとは」


 この身体は、おそらく夜になれば睡眠を欲するはずだ。睡眠欲――さぞかし官能的なのだろう。楽しみである。


 そのとき、リリスが思い立ったように腰を上げた。


「魔王様、腹ごなしに運動をしましょう!」

「運動か。よ、よし。望むところだ」


 俺も立ち上がり、彼女に迫っていく。


「……とはいえ、しばらくは出せそうにないのだが……」


 一抹の不安を抱いていると、リリスがプッと噴き出した。


「やだもー魔王様のえっち! ぴゅっぴゅするんじゃなくて、魔王様の肉体がどこまで魂とマッチしてるかテストするんですよっ!」

「むぐっ……」


 勘違いか――。くっ、恥ずかしい。顔が熱くなってきたではないか。人間の身体の、なんと不便なことよ!

 恥じらいを吹き飛ばそうと、声を低くして訊ねる。


「コホン。して、リリスよ。俺の禍々しき漆黒の魔導鎧装だが……この身体で、アレの力を発揮することはできないのか?」


 漆黒の魔導鎧装――。

 三〇〇年前、女神たちに封印されるまで、俺の身体は鎧そのものだった。

 生身の肉体は存在しない。

 魔王ジュノたる思念体が魔導鎧装と一つになることで、“俺”という存在を形づくっていたのだ。

 その威力の一端を、今の身体で使うことができれば……。


 俺の願いに、リリスは首肯した。


「もちのロンです♪ 魔王様の魂と融合した肉体に、あの魔導鎧装と同等の能力を付与するための術式は、一五〇年ぐらいかけてキッチリ構築しましたから!」

「でかしたぞ、リリス!」

「魔王様ぁ~!」


 俺が両腕を広げると、そこへリリスが飛び込んできた。

 彼女を抱きしめ、しばらく二人で小躍りする。

 だが、話には続きがあるらしい。


「とはいえ、すぐに全力全開の威力を発揮するのはムリっぽいです。魔王様の魂と肉体がマッチするにつれて、だんだん完璧な状態に近づいていく感じですね」

「まあ、それが道理だろうな」


 この身体で生活していれば、いずれは力を取り戻せるというわけだ。


「では、『審理の魔眼』は使えるか?」

「たぶん平気ですっ! 試しにやってみますか?」


 俺はうなずき、リリスを床に下ろした。

 両目にグッと力を込めて、魔力を集中させていく。


 審理の魔眼。

 それは、魔族の瞳に与えられた能力の一つだ。

 効果は単純にして奥深い。

 審理の魔眼で相手を見つめることで、その力量を分析できるのだ。

 どれだけ詳細な情報を得られるかは、審理の魔眼の使い手次第である。


「それじゃあ魔王様ぁ~」


 くねるような声で、リリスが妖しい流し目を送ってくる。


「リリスのこと……い~っぱい見てくださぁい」


 食堂の床にしゃがみ込んだかと思うと、彼女はそのまま両脚を大胆に広げてみせた。

 黒革に包まれた幼い秘部が、ぐいっと前方に突き出される。

 右手で大げさに前髪をかき上げ、誘うような視線を向けてきて……。


「むんっ!」


 俺は瞳を見開いた。リリスの幼くも扇情的なポーズを、穴が開くほど強く見つめる。

 なるほど、さすがリリスだ。

 股間を見せつけるようなポーズによって俺の視覚をほどよく刺激し、審理の魔眼が発動しやすくしているのだ!


 両目に魔力が集まっていく。魔力の膜が眼球を包み込む。

 そして――。


「見えたぞ! …………ん?」


 視界の中のリリス。その傍らに、ぼんやりと文字が浮かんでくる。

 以前の俺は、相手の名前、種族、職業、趣味、武器、所持金、力、耐久、敏捷、魔力、魔法、スキル……といった数値を、くわしく読み取ることができた。

 だが、今は――。



【名前】リリス 【バスト】ぺったん 【ウエスト】なだらか 【ヒップ】かわいい



 ……ガクリ。俺は床に四つん這いになった。


「な、な、な……」


 たったこれだけだと!? 情報はアバウトすぎるし、そもそも何だこの項目は。

 バストだのヒップだの、魔王のくせに性欲に支配されすぎではないか!?


 いや、待て。

 思えばこの身体を手に入れてから、射※しかしていないな……。

 クッ。となると、この結果は必然か。


「魔王様、元気を出してくださいっ!」


 俺の魔眼のていたらくを察したらしく、リリスが駆け寄ってきた。

 慰めるように俺の肩をなで、


「大丈夫ですっ。魔導鎧装と同じく、魂と肉体がマッチするにつれて、審理の魔眼もどんどん正確になるはずですから! ……で、魔王様。リリスのカラダから、どんなかんじの情報が読み取れたんですか?」

「ま、まあ、それは置いておくとしてだな」


 リリスから目をそらし、威厳たっぷりに立ち上がる。ここは話題を変えねば。


「俺は、これから何をするべきだろうか?」


 それは当初から気になっていたことだ。

 こうしてリリアヘイムに復活を遂げ、しかも魔王たる力は、どんどん高まっていくという。

 いちばん先に思いつくのは……。


「そりゃ~もちろん、魔王様を封印した女神たちをボッコボコにして、リリアヘイムを征服するっきゃないです!」


 リリスが人さし指をピンと立てる。瞳がキラキラ輝いている。


「やはり、そう思うか」


 俺は顎に手を添えた。


「神聖空間に閉じ込められていたとき、たしかに俺もそう考えていた。麗しくも憎たらしい女神たちに制裁を加えようと、新たな術式も編み出したのだ」


 新たな術式――魔導調律のことである。

 俺の言葉を耳にして、リリスはますます鼻息を荒くした。


「でしたら話は早いです! ふくしゅーですよ、ふくしゅー! 魔王様のお力を、今こそリリアヘイム中に轟かせるのです。リリアヘイム魔界化計画ですよっ!」


 リリアへイム魔界化計画――。


「……ごくり」


 その悪魔的な語感に、思わず生唾を飲み込んでしまった。

 が、しかし。

 俺はゆっくり頭を振った。己の手のひらを見下ろして、


「この身体でリリスを抱きしめたとき、俺は“ぬくもり”の尊さを知り、いっそうお前を愛らしいと思うようになった。もし、リリアヘイムの支配に乗り出し、女神どもと戦いを繰り広げれば、多くの犠牲が出てしまうだろう」


 そっと手を握る。リリスを見つめる。


「大切な家族が傷つくのは、もう嫌なのだ。このマカイノ村で、魔族の皆とともに平和に過ごすのも悪くないのではないかと、今は思っている」

「魔王様……」


 リリスはしばしポカンとして、


「魔王様のそういうところ、リリス……好きです」


 じわっと赤く、頬を染めた。どうやらわかってくれたようだ。

 俺はホッと息をつく。


「今、人間族は女神どもが見守っているのだろう? 信仰とは信頼関係に他ならない。双方の関係が上手くいっているならば、この世界の片隅で、ひっそりと平和を享受するのも魔族の生き方の一つでは……」


 そこまで口にしたところで、


「それがですね、魔王様。現代のリリアヘイムは結構ヤバイことになってるんです」


 いきなり言葉を遮られた。

 リリスは短く呪文を詠唱し、床をコツンと殴りつける。

 すると、床に円形の魔法陣が発生した。

 ピンク色の燐光が舞い散る。リリスの魔法陣の特徴だ。


「これは……遠見の魔法か」


 魔法陣の中央――円形の空白に、どこぞの街の景色がゆらゆらと浮かんでくる。

 石やレンガの建物群。石畳を歩く人間族。

 建物は、どれも民家や商店のようだ。


 だが、そこを歩く人間族たちの様子を見て、俺は目を疑った。


「なんだ……これは」


 老若男女を問わず、誰もが淀みきった目をしているのだ。足取りは重く、背筋は曲がり、表情も暗い。

 魔法陣の景色が変わった。

 こちらでは、大勢の人間族が殴り合っている。目を血走らせ、拳を赤く染めながら……。


「この街、神聖アルテミス王国の王都なんです」

「アルテミス……つまり、マカイノ村がある国か」


 リリスがうなずく。


「これほど王都が荒廃するとは。憲兵や騎士団、王族どもは何をやっているのだ?」


 俺が眉をひそめると、再び魔法陣の景色が変わった。

 これは……王都の城内だ。


 美しく磨かれた大理石の大広間。

 そこでは酒宴が開かれ、飲めや歌えやの大騒ぎが繰り広げられている。

 服装を見る限り、王族や貴族たち……それに憲兵隊や騎士団もいるようだ。

 疲弊した民や荒廃した街をほっぽり出し、こやつらは何を……。


 彼らの背後には女神像が見える。

 長い髪。大きなタレ目。たっぷり実った二つの膨らみ。

 このむちむちした肉体――間違いない。六芒の女神の一角、アルテミスの像だ。


 女神たるもの、人間族の堕落を見過ごすなど言語道断である。

 なのに、どうしてこのような有様に……。


「ほ、他の国はどうなっているのだ?」


 六芒の女神どもは、それぞれ自分の国を持っているという。

 この国が腐敗しているのは明らかだが、さすがに世界中がこうなっているわけではあるまい。


 だが、リリスは左右に首を振る。


「どこの国も、大なり小なり腐っちゃってます。国を動かしたり、民を統べる立場の人間族が、ことごとくポンコツのダメっ子になっちゃいまして。ですけど、六芒の女神は誰一人として動こうとしなくてですね……」


 天界の女神どもと国家の上層部が機能しなくなった結果、民の生活が困窮し、心が荒んでしまったというわけか。


「では、この状況に立ち向かおうとする人間族は現れなかったのか?」

「ポツポツ現れたんですけど、み~んな非業の死を遂げちゃいました……。このダメダメすぎる状況を、まるで女神どもが望んでるみたいなかんじなんです」


 絶句する。

 詳しいことはわからないが、これは明らかな異常事態だ。

 俺が眠っている三〇〇年のあいだに、リリアヘイムはどうなってしまったのだ。


「これなら、俺が支配した方がマシなのではないか……?」


 胸の奥に、ふつふつと熱気が込み上げてくる。

 リリスを見つめ、俺は力強くうなずいた。


「リリアヘイム魔界化計画――やるぞ、リリス!」

「うっは~! それでこそ魔王ジュノ様ですよぉ~!」


 リリスは瞳に星を散らし、その場でぴょんぴょん飛び跳ねた。


 これで方針は固まった。

 国を治められない無能でむちむちな女神――アルテミスを叩き潰し、俺が代わりに人間族を支配するのだ。


「手伝ってくれるな、リリス?」

「もっちろんで~す♪」


 互いの気持ちを確かめ合ったその瞬間。



 ヴィ――――ッッ!! ヴィ――――ッッ!!



 円形の魔法陣から、けたたましい音が鳴り響いたのだ。


「これは……まさか敵襲か?」

「そのようですね……。まだけっこう距離がありますけど、一直線にマカイノ村に向かってるっぽいです!」


 魔法陣の景色が変わる。森の中だ。

 白銀の鎧をまとい、剣やランスで武装した騎馬隊の姿が映っている。

 その数、約三〇。

 練度は高いらしく、山道をものともせずに進軍してくる。


「よし。迎え撃つぞ、リリス」

「はい、魔王様!」


 この国を女神から取り戻すと決めた以上、足踏みなどしていられない。

 史上最強の快楽魔法『魔導調律』で、すべてを蹂躙してやるのだ!

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