第30話
ヒュン、と空を斬りながら、俺の頬を敵の槍が掠めていく。首を傾けて、しかし走行スピードは落とさずに、それを回避する。狙うは敵の本体のみだ。この一撃必殺の鉄拳をもって、仕留める。
しかし、俺がまさに腕を振りかざした次の瞬間だった。
「ッ!!」
俺の動きを読んだのか、唐突に俺の顔面目掛けて拳のようなものが伸びてきた。否、飛んできた。
「うらあっ!」
しまった、と思った時には、俺は思いっきり腕を引き絞り、右の拳を繰り出していた。敵の拳状の突起と、真正面から直撃する。
バシィン、という鋭い音が響き渡り、敵の拳が静止した。ひびが入り、その内側から真っ白な光が溢れ出す。すると、円を描くようにして空気が歪んだ。そのまま俺の拳の直撃部分から、弾け飛ぶようにして敵の突起が砕け散る。同時に、俺は右腕の感覚を失った。右の肩から先、全てが消えてなくなってしまったかのようだ。
「しまった……!」
それが決定的な隙を作ることになってしまった。俺の動きが止まった瞬間、まさに俺の眉間目がけて槍が伸びてきた。
今の防御スキルでは、これは致命傷になるだろう。左腕をかざしてみても、結果は変わるまい。ここまでか――。
その時だった。横合いから、ヴン、と勢いよく刀が振り下ろされた。
「無事か、トウヤ!」
「サン!」
俺を追ってきたのか、サンが日本刀を振り下ろしていた。俺の頭部のギリギリ手前まで迫っていた槍が、見事にぶった斬られている。
「二人共、伏せて!」
次に聞こえたのはエミの声だ。
「ほら、トウヤ!」
サンに頭を押さえ込まれ、慌ててしゃがみ込む俺。すると、俺たちの頭上を掠めながらロケット弾が飛んできた。ドゴン、と重苦しい音を立てて着弾する。
それが敵に対して決定打になった。槍の断面こそ、敵の弱点だったのだ。まさにその断面、直径三十センチメートルの円の中心に直撃した無反動砲。
その時になって、俺は以前耳にしたことのある悲鳴のような声を聞いた。影人の唸り声に似ている。俺が顔を上げると、敵である真っ黒な柱が大きく振動していた。
「皆、かかれえええええええ!!」
「うおおおおおおお!!」
俺の背後から迫りくる、凄まじい雄叫びと地を揺らす轟音。三大勢力の派閥関係なく、皆が一斉に突進してきた。
「トウヤ、こっちへ!」
唐突に何者かに左手を引かれ、俺はこの混乱から引っ張り出される。
「お、オーラ!?」
こんな小柄で、よくもまああの群衆の中から俺を見つけられたものだ。って、そうか。俺は今、目立つように魔術コーティングされているのだったな。
「皆が最後の攻勢に出る! ボクは即席の回復魔術をかけるから、今度こそあと一発で仕留めて!」
「わ、分かった!」
俺は左手で右腕を持ち上げ、オーラが治癒魔術をかけやすいように、そばの切り株の上に載せた。
「皆、大丈夫かな……」
目線を遠くに遣る俺。ふと右手の甲に走った柔らかな感触に、俺は視線を落とした。
「オーラ、何をして……ってえええええええ!?」
キスされていた。唇にでも頬にでもなく、右手に。微かな温かさを伴って、俺は自分の全身の血が逆流するような感覚に襲われた。
「なっ、なななな……」
「そんなに驚かないでよ。これ、ボクのファーストキスだから」
「はあ!?」
すると、先ほどとは比較にならない早さで俺は右腕の感覚を取り戻した。
先ほどもこうして治してくれればよかったのに。そう思ったものの、流石に母親の前では恥ずかしすぎるか。
「これであと一発は、全力で殴っても大丈夫。思いっきり食らわせてやって」
「りょ、了解だ!」
俺は挙動不審に陥りながらも立ち上がった。オーラは俺と目を合わせてくる。小動物を連想させるその瞳に、俺は彼女を構わずにはいられなくなった。
軽くオーラの頭に手を載せてやる。三角帽がくしゃり、と形を崩す。微かにオーラの頬が赤く染まるのを見て、俺の方まで頭がカッとなった。
……って、何を考えているんだ。俺はぶるぶると頭を振って、パチンと頬を叩いた。
やっとのことで俺は意識を切り替え、戦闘中の皆の方へと向き直った。柱はだいぶぐらついているが、現在も膠着状態を保っている。しかし、上方ががら空きだ。
俺は、大きく深呼吸を一つ。目を真正面に据えながら、一気に駆け出した。地を踏みしめ、膝を思いっきり曲げて跳躍。空中で一回、二回とジャンプし、宙を駆けるようにして柱の真上に躍り出た。
「はあああああああ!!」
ここには俺の仲間がいる。皆が援護してくれている。俺は被験者でもなければ、ニートでもない。一人の人間だ。まあ、まだ『一人前の』人間とは言えないだろうけど、俺には俺の価値を見出してくれる人々がいる。
だからこそ、俺はこの一発に全てを懸ける。
ふっと息をついて、右の拳を柱のてっぺんに叩き込んだ。すると、一瞬で柱全体にひびが入った。まるでメロンのように。
呆気なく倒壊する、黒い柱。落下地点を見失った俺は、二十メートルの高みから一気に落ちていった。そういえば、今までこの世界に顕現する時も、毎回落ちっぱなしだったな。
今の俺に、落下姿勢を取るだけの余力はない。このまま落っこちても、自分の身を守るだけのスキルはない。ここまで、か。
全身を脱力させ、ゆらり、と身体の重心が揺れるのに任せ、俺は落ちていく。
流石に身体を張りすぎたか? いや、それでも、こうして『誰かのために』死ねるのなら、もしかしたらマシなのかもしれない。そんな『誰か』がいるのは幸福なのかもしれない。
こうして、俺の意識は数度目かのブラックアウトに陥った。
※
《……トウヤ! トウヤ!》
「……」
《起きんかトウヤ!》
「かみ……さ、ま……?」
《何を寝ぼけておる、トウヤ! まだ戦いは終わっとらんぞ!》
俺は意外なほどすんなりと、自分の現在の状況を察した。今、俺は現実世界で、神様とテレパシーのようなもので会話をしている。前が見えないのはヘッドギアを被っているからだ。手足の指先を動かしてみると、なんの痛みも痺れもなく、思い通りに動いた。
「俺、死んだんじゃないのか?」
《話は後じゃ。おぬし、まだ戦わねばならん相手がいることは分かっておろうな?》
「あっ!!」
俺は被験者用ベッドの上で、思いっきり上半身を跳ね上げた。
「親父だ! あいつを止めねえと……!」
あの異世界を壊すのに、影人が使われるということは知っている。その影人を全滅させたのだから、タイムリミットはなくなったとみていいだろう。だが、また暗黒派のプログラムを、親父があの世界に送り込まないとも限らない。
「俺が親父を止める!」
《しかしトウヤ、今のおぬしは――》
「特別なスキルがあるわけじゃない。けどな――」
俺はすうっと息を吸い込んだ。
「ただのニートでもねえんだよ!!」
床に足を下ろすや否や、俺は出入口になっているスライドドアに駆け寄った。すると、まさにジャストタイミングでドアロックが開錠され、親父たち研究員が前のめりになだれ込んできた。
「うおっ!?」
先頭にいたのは、やはり親父だった。
じっと相手の動きを見る。倒れ込んでくる確度、速度、俺との距離。
「そこだッ!」
俺は右腕を腰だめに構え、思いっきり振り上げた。親父の顎に直撃するように。こんな技術、俺にはなかったものだ。だが、意志だけは――俺の仲間たちを守りたいという意志だけは、どこの誰よりも強かったはず。
それが報われたのか、それとも偶然か。どっちでもいい。俺の渾身のアッパーカットは、見事に親父を向こう側にぶっ倒し、脳震盪で気絶させた。
『ドクター!』という、悲鳴にも似た言葉が連呼される。同時に、俺の眼前に拳銃が突きつけられた。
だが、相手は俺がミリオタであることを失念していたらしい。その拳銃が非殺傷性のものであることを、俺は一瞬で見切った。
左腕をかざす。
「くっ!」
激痛が走るが、そんなものは想定内だ。
「うあああああああ!!」
俺は左腕で頭を守りながらダッシュし、今度は相手の腹部に肘打ちを叩き込む。同時に空いた右腕を伸ばし、拳銃を掠め取る。そして俺は、眼前にいた研究員――眼鏡の向こうでは、瞳が恐怖で揺らいでいる――の眉間に突きつけ、こう言った。
「誰か、日本語の分かる奴を連れてこい」
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