第27話

 食堂を出て、全力疾走すること二十秒。数名の白衣の連中を突き飛ばしながら、俺は自分が意識を取り戻した実験室へと駆けこんだ。幸い、誰もいない。

 こんな施設で誰もいない部屋が施錠されていないのは奇妙なことだ。恐らく、神様が取り計らってくれたのだろう。


「おい闘也、何をしてる!?」


 親父の声に、ベッドへ向かっていた俺は一瞬振り返った。親父は異常を察したのか、英語で悪態をついて駆け出した。こちらに両手を伸ばしながら。


《急げ、トウヤ!》

「おう!」


 俺は思いっきり親父に向かってあかんべえをしてみせた。たまには稚拙な態度で反抗してみてもいいだろう。それから勢いよくスライドドアの『CLOSE』ボタンを押し込んだ。


「待て、とう……」


 親父の呼びかけも虚しく、スライドドアはピシャリと親父の進路を断ち切る。同時に、俺の退路も。


「よっと!」


 勢いよく被験者用のベッドに横たわる。それから頭上に配されたヘッドギアを被る。軽い頭痛を感じながら、俺は目を閉じた。


 一度、深呼吸。微かにドアを叩く音がしてくるが、そう安易に開くものでもないのだろう。俺は、自分の背中を神様に任せるつもりでぎゅっと目を閉じた。


         ※


「って、やっぱりかあああああああ!!」


 俺は宙を舞っていた。異世界の地面へと真っ逆さまに落ちていく。これでもう三度目か。

 だが、喚いている場合ではなかった。目の前に、真っ黒な地面が迫ってくる。いや、地面ではない。


「雲か……?」


 俺は頭を下に、足を上にしながら、猛スピードで落下する。見えてきたのは、周囲がもやもやとした、不定形な平面。間違いない。影人を投下するために造られた暗黒派の雲だ。

 よし。まずはこいつをぶち破ってやる。

 

 どう身体を動かすべきか。それは、頭で考えるより早く、運動神経が察していた。俺は空中でジャンプしたのだ。暗雲に突入する直前、俺は両の掌を突き出してバク転した。足が下になるように姿勢を整える。

 もしかしたら、攻撃スキルや速度スキルの他に、魔術スキルというものもあったのかもしれない。そうでなければ、こんな動きはできなかったはずなのだ。まあ、それはおいおい考えるとして。

 俺は特撮ヒーローよろしく、思いっきり膝を伸ばして暗雲に突っ込んだ。


「うおらあああああああ!!」


 その雲には、僅かながら抵抗感、反発感があった。これをどんどん割ることができれば――!

 俺はぎゅっと両手の拳を握りしめ、『ふっ!』と息をついて身体を捻った。自分の身体をコマのように回転させる。


「うりゃあああああああ!!」


 俺は腕の先に、何かがどんどんぶつかってくるのを感じた。暗雲の成分、つまりは影人の『素材』に違いない。


 やがて、俺は雲の中に着地した。周囲は真っ暗、否、真っ黒だが、自分で突き破ってきた雲の穴から日光が降り注いでくる。俺は一点の曇りもない空を見上げた。しかしその穴も、周囲の暗雲によって修復されていく。

 雲の発生源を破壊しなければ。俺は真っ黒な周囲を見渡す。地上で戦っている三大勢力が苦戦していた雲だ。しかし、いやだからこそ、下からではなく上から攻めれば、何か突破口が見つかるかもしれない。


 しかし時間の問題もある。早く発生源を――。と、その時だった。


「ッ!!」


 俺が立っている足場の下から、槍のようなものが飛び出てきた。慌てて飛び退く俺。ジーパンがさっと切り裂かれる。


「どあっ!?」


 今度は横からだ。慌ててしゃがみ込むと、今度はまた下から棘が湧き出てくる。

 これは、ただの雲の一部ではない。自分で自分を守ろうとしている。この高度まではなんともなかったのに――。

 

「そうか!」


 こんなに必死になって守っているということは、これはきっと雲の『本体』なのかもしれない。影人の製造を担っているのかもしれないのだ。だったら、叩き壊してやる以外に手はない。


「おらあっ!!」


 俺はフィギュアスケーターのようにつま先立ちになり、再び身体を回転させた。今度は身体が安定していることもあってか、より広く暗雲が晴れ渡る。俺は回転したまま軽く跳躍し、思いっきり右腕を振り上げた。現実世界で親父を殴った時よりも、しっかり筋肉が機能しているのが分かる。


「はあっ!!」


 俺は一撃必殺の思いを込めて、拳を足場に叩きつけた。ドォン、という轟音が雲の中に響き渡る。


「もう一丁!!」


 俺の身体は、自分の期待以上に動いてくれた。何度も何度も何度も何度も、同じ場所を殴り続ける。徐々に足場にひびが入っていく。


「とどめだあああああああ!!」


 ビシィン、という鋭利な音が、唐突に耳朶を打った。

 と同時に、蜘蛛の巣のように広がったひび割れから、真っ白な光が溢れ出した。俺の拳が叩きつけられている場所を中心に、足場が波打つようにその形状を崩していく。

 そして唐突に、視界が晴れ渡った。


「うおっ!?」


 足元の感覚がふっと消え去り、周囲の雲が足場もろとも一気に霧散する。


「やった!」


 と声を上げつつも、俺は再び姿勢制御の必要性に迫られていた。今度こそ、地面が見えてくる。そこでは、弓矢や自動小銃や魔術の光が飛び交っていた。影人が降下したのはつい先ほどらしく、奴らはまだ一ヶ所に固まって、三大勢力のそれぞれに応戦している。その数、百体ばかりはいるだろうか。


 これは、落着時のエネルギーを活かさない手はない。ぐんぐん迫りくる地面と、そこにはびこる影人たち。俺は再び、今度はアメコミのヒーローらしく、上半身を地面に向けて右の拳を引き絞った。

 そして、落下のエネルギーを相殺することもなく、影人の集まりの中心に拳を叩きつけた。最高レベルに至った攻撃スキルが、防御スキルも兼ねて真下の影人を跡形もなく粉砕する。俺の拳を中心に、土埃と衝撃波と影人数体の断片を円形に弾き飛ばしていく。

 それを把握しながら、俺は背中を丸め、左膝から接地した。女王の前にひざまづく騎士のごとく。やや中二病が過ぎただろうか。


 すると、ちょうど『トウヤ!』という叫びが三方向から聞こえてきた。各派閥の指導者、サンとエミとオーラの声に違いない。

 しかし、俺は周囲を影人に包囲されている。さて、どうしたものか。『帰ってきたぞ!』と叫ぶほどの余裕はない。ええい、構うものか。全員の相手になってやる。影人の方も俺を警戒し、一定の距離を取っている。


 俺の闘志を見せてやろう。余裕を見せて相手を威嚇するつもりになった俺は、右手を左の掌に当て、指の関節を鳴らそうとした。そう、が。


「ん?」


 右腕の感覚がない……? チラリと見下ろすと、俺の右腕の手首から先が、あらぬ方向へ曲がっていた。


「な、なんじゃこりゃあああああああ!?」


 ああ、右腕ばかりを酷使したのだ。この右腕は、もう使い物にはなるまい。


「チッ!」


 俺が舌打ちをすると同時、俺を取り囲んでいた最前線の影人たちが跳びかかってきた。文字通り、跳躍をしながら。俺の上方を取り、一気にぶちのめそうという魂胆だろう。だが、俺とてあっさりやられるために出てきたわけではない。

 俺はゆっくりと目を閉じ、タイミングを計った。コンマ数秒という単位の計り方で。

 ――今だ!

 そして思いっきり前転し、直前に視界に入っていた剣を左手で握りしめた。

 俺の中に、剣術に関する知識はない。だが、それでも攻撃スキルは健在だった。立ち上がった俺は左腕を大胆にしならせ、ばっさばっさと影人を斬り払っていく。

 

 前方から迫ってくる連中をあしらうのは、注意さえすればどうにかできることだった。流石に無双、というわけにはいかない。しかし、俺は平常心を保ったままで前進することができる。問題は背後、俺に跳びかかってきた影人たちだが――いや、ここは信じよう。機甲派の砲撃部隊を。

 彼らの監視機器をもってすれば、重量級の爆弾をここに叩き込むことができる。逆に、今ここで援護を得られなければ俺は袋叩きに遭うが、その時はその時だ。


 すると、ヒュゥン、という滑空音が聞こえてきた。それも一つや二つではない。何重にも折り重なって、まっすぐ飛んでくる。


「期待通りだぜ、エミ!」


 歓喜の声を上げながら、自分がにやつくのを俺は止められなかった。俺の強化された聴力は、砲弾が俺の後方に集中するのを感じ取っていたのだ。


「ふっ!」


 俺は着弾する瞬間を狙ってしゃがみ込み、低い軌道で剣を振るう。影人の足が、面白いようにズバズバと斬れていく。俺が一瞬の隙をついて腹這いになった直後、凄まじい爆音が後方から響き渡った。


「ッ!!」


 大きな爆発が俺を、影人を、この世界全体までをも揺るがす。頭上に手を当て、防御姿勢を取る俺。そんな俺の背中から手の甲までを舐めていく。

 俺は無事だった。が、その爆風は俺の前方にいた影人を薙ぎ払い、後方の影人を木端微塵に消し去った。

 次は、最も内側に侵攻してきているであろう武闘派と合流するか。

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