第26話
そうだ。俺が戦ってやればいい。
「おい親父! 俺をさっきの世界に戻せ!」
「なんだなんだ、突然どうした?」
「あんた、あの世界をどうするつもりだ!?」
「どうって……。いきなり訊かれてもな」
俺の焦燥感を嘲笑うかのように、後頭部に手を遣る親父。
「分かるだろうが、一つのヴァーチャル世界を構成する要素は極めて多岐に渡る。もし別な被験者を連れてきて、今の設備でヴァーチャル世界を用意するとなれば、現存のヴァーチャル世界は抹消せねばならんだろうな」
「そんな……っ!」
俺が言葉を詰まらせた時、ある男性がデスクの陰からひょっこり顔を出した。先ほどの西洋人だ。親父の部下だろう。
親父は油断なく俺を見据えながら、『ちゃんと聞いている』という趣旨のことを言った。口早に英語で喋りまくる親父の部下。それを聞いた親父は、一瞬目を見開き、振り返る。俺のことなどお構いなしに。
しばし報告を受けていた親父は、『Understood』――了解、とだけ告げて、俺に向き直った。しゃがみ込んで、俺の頭に手を載せる。
「触るな! 気持ち悪い!」
「喜べ、闘也!」
「何をだよ!?」
「もう一人、被験者が見つかったぞ!」
嬉々とした表情を隠そうともしない親父。
「フランスの大学生だが、日本語で言うところのずばりニートだ。近親の身内はなし。最高のサンプルだ。三日後にこの研究所に連れてこられる」
この男、研究のことしか頭にないのか?
「そいつをどうする気だ? 俺みたいに、車ではねるのか?」
「いや、逮捕状を取ってアパートに乗り込む。麻薬所持、という名目でな」
「そいつ、マジでそんなことやってんのか?」
「知らんよ、そんなことは」
親父は口の端を上げる。
「とにかく、社会的生産性のない人間であることに変わりはない。残念だが、お前の創造――妄想、と言った方がいいのかな? それは強制削除される」
その言葉に、俺は腹這いのまま俯いた。
俺が今いるのは現実世界だ。戦うことはできない。どうにかして、バーチャルの向こうの皆を救いたいが、一体どうしたらいいのか――。
いや、何もできまい。
そんな諦念が、俺の胸の奥からじわり、と滲み出てきた。俺は所詮、ただのニートなのだ。格闘戦も銃撃戦も魔術戦もできやしない。決して体力があるとは言えない親父に殴りかかり、簡単にあしらわれてしまうほど。
俺は、無力だ――。
「さ、闘也。こっちへ。お前は事故から四日も眠っていたんだ。まともな飯が食いたいだろう?」
親父に腕を取られ、立ち上がる。その後、実際何を食べて、どこで眠ったのかは記憶に残っていない。
※
あれから三日が経過した。この施設内の食堂と思しき場所で、俺は一人、空になったカレーライスの皿を見つめ、ぼんやりと椅子にもたれていた。
相変わらず、俺の胸中は穏やかなのか、荒れているのか、自分でも判断が尽きかねる状態が続いている。
俺は、サンやエミやオーラを、そして彼女たちの世界を救いたい。だが、俺にできることなど何もない。さらに言えば、俺の身柄だってこれからどうなるか分からない。まあ、親父が研究主任らしいので、この施設内で食べていくには問題ないだろう。親子の情、というやつだ。
だが、あんな親父の姿を見せつけられてしまっては――一つの世界を滅ぼすのに何の躊躇もない姿を見せつけられては、息子である俺だってどんな目に遭わされるか分かったものではない。
「はあ……」
遠くからウォッシング・マシーンが食器を洗浄する音がする。これが意外と喧しい。だからといって、何がどうしたということでもないのだけれど。
俺が異世界から帰って来て三日が経っている。つまり、今日新しい被験者が連れてこられるということだ。そして彼(または彼女)の異世界を創造するために、俺の異世界は破壊されてしまう。
そんなことを考えて、俺は背筋に一本、冷え切った鉄パイプを差し込まれるような思いがした。
異世界の破壊。それは、暗黒派による異世界の蹂躙、という形で行われる。今まで数度に渡って見てきた影人が、きっと大群をなして地を埋め尽くすのだ。武闘派も機甲派も魔術派も関係なく、あっという間に殲滅されてしまうかもしれない。
そして俺にできるのは、それが行われる――異世界が消去されていく様をスクリーンで見つめることだけなのだろう。
「……」
俺に重苦しい沈黙がのしかかってきた、その時だった。
「おう、闘也!」
「親父……」
「もうこの施設には慣れたか?」
答える義務がどこにある? そう目だけで語りながら、俺は親父を睨みつけた。
「そう怖い顔をするな。先ほど、実働部隊から連絡があった。被験者の身柄を確保したそうだ」
「身柄、確保?」
満足気に頷いて、親父は俺の肩をバンバンと叩いた。
「現在、気絶させられた状態でこの施設に向かっている。到着まであと五時間といったところだ」
「五時間……」
そうか。五時間後には俺の創造世界が壊され、新しい世界が誕生するというわけか。
新世界の誕生。聞こえはいいが、使い捨てにされた世界はどうなる? 俺は不意に、わんわん泣き出したい寂寥感に襲われた。
「じゃ、私は被験者の受け入れ準備に入るからな。晩飯の時にまた話そう」
そう言って、親父は再度俺の肩を叩き、スライドドアを抜けて出ていった。
独りぼっち、だな。異世界での出会いは全てなかったことにされ、現実世界では親父のいいように研究対象にされる。一体俺の人生は何だったのだろう?
身体が強張っている。最近ロクに眠れていないのだ、無理もないか。俺は大きくあくびをし、両腕を思いっきり天井めがけて差し出した。
《なんじゃ、トウヤ。随分退屈そうじゃのう》
「まあな」
《わしから一つ相談があるが、いかがかな?》
「相談? 俺に? まあいいけど……。でも俺なんかにどんな相談があるんだ? 神様のくせに」
《まあそう言うな》
ん? ちょっと待てよ? 今俺は、誰と話しているんだ?
「あー、その前に一つ訊きたいんだが」
《なんじゃい》
このおどけた調子の喋り方。聞き覚えがある。それもここではない。そう、異世界で。
「って、えええええええ!?」
《おいおい、そう大声を出すでない! 気づかれるわい!》
「あんた、神様……。俺が研究対象になってた時の異世界を統率していた神様、だよな!?」
《いかにも!》
何が起こっているんだ? 俺の頭の中に直接響いてくる、この声は何なんだ?
すると、俺の疑問を察したのか、神様のものらしき声は説明を始めた。
《おぬしがこちらの世界にいる間に、わしと通信できる手段を講じておいたのじゃ》
「つ、通信できる手段、って……」
《現世界でも異世界でも、脳の電気信号で人間が行動する原理は変わらん。確かヴァーチャル・リアリティとかいったかの? そいつの設備を介して、今脳内通話しておるのじゃよ》
よく意味は分からなかったが、俺は夢中になった。その前に、今食堂に誰もいないことを確認する。OKだ。念のためひそひそ声で、俺は語りかけた。
「神様、知ってるか? あと五時間であんたの世界は壊滅しちまう! 早く逃げるなりなんなり……」
《……》
「っておい、なに黙り込んでるんだよ?」
《そうか……。そうじゃったのか……》
謎の沈黙に、一人挙動不審に陥る俺。だが、次の神様の言葉は意外なものだった。
《トウヤ・クラノウチ、おぬし、そこまで我々のことを大切に思ってくれていたんじゃな……》
「いや、なにしんみりしてるんだ!? 早くしないと暗黒派の大群が――」
《もしもう一度この世界に戻り、戦ってくれと頼んだら、おぬしはどうする?》
「戦うにきまってんだろ!!」
俺は相手がいるわけでもないのに、勢いよくテーブルに掌を着いた。
再び訪れた、奇妙な沈黙。しかし、それも僅かな間だった。
《トウヤ、ヴァーチャル・リアリティの設備が配された部屋への道順は分かっておるな?》
「あ、ああ!」
《なら話は早い。わしはおぬしがこちらへ――異世界へ来られるように準備する。それから五時間、なんとか邪魔が入らんように最大限努力する。自動ドアの封鎖処置などじゃな。その間に、おぬしはこちらの世界で一暴れする。いかがかな?》
「異議なしだ!」
《よし。ではわしが三つ数えたら、ダッシュで研究室に突撃してヘッドギアを被れ。できるか?》
「できるかどうかじゃない、やるかやらないかの問題だろうが!」
どこか遠いところで、誰かが含み笑いをしたような感覚。
直後、神様がすっと息を吸う気配がした。俺は椅子から立ち上がり、両手を握りしめて胸に当てた。
《ゆくぞ。三、二、一!》
こうして、俺の異世界救出作戦が始まった。
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