第25話【第四章】
「いってえ!!」
俺は思わず頭を押さえた。上下左右の感覚もなく、真っ暗闇の中で溺れていた俺。そんな俺を襲った実感がそれだった。
それはそれは大した痛みだった。防御スキルの高い俺にこれだけのダメージを及ぼすのだから、常人なら気絶していたところだろう。
そこは、確かに真っ暗闇だった。しかし、空間配置能力は回復している。いや、本当に真っ暗か? 違うな。赤、青、黄色の小さなランプ群と、パソコンのディスプレイのような淡い灯りが目に入ってくる。
「いてえ……」
収まらない痛みに、頭を抱え込む俺。それにしても、ここはどこだ? まさか、暗黒派の強襲か?
すると、何やら近くで声がした。英語のようだ。改めて顔を上げると、心電図らしき機械の波形が見える。
「よっと……」
ようやく痛みのピークを過ぎた俺は、ゆっくりと上半身を起こした。
じっと波形のグラフを見つめる。波形が安定していること、ピッ、ピッと柔らかい音がリズムを刻んでいる。どうやら俺の身体は無事らしい。
目を反対側に遣ると、スーパーコンピュータのような直方体の機械があった。それを取り巻くケーブルの向こうから、先ほど目に入ってきた色とりどりのランプが点滅している。
「どこだ、ここ……」
英語での遣り取りは未だ続いている。だが、そこに聞き慣れた声音が混じっていることに、俺はようやく気づいた。
『ライトを点けろ』――そう言った声の主の姿が目に入ったのは、まさにその直後。
白衣のすらっとした姿が、俺の視界に入ってきた。オールバックの黒々とした髪に、淵の輝く眼鏡。ややこけた頬に、薄く広がった無精髭。お前は誰だと問う必要は全くなかった。
「親父……」
「久しぶりだな、闘也」
白衣の男、もとい親父は、ベッドそばの椅子にさっさと腰を下ろした。
「ドクター・クラノウチ!」
スーパーコンピュータの陰から、もう一人の白衣の人物が顔を出した。西洋人だ。彼は親父と二、三言葉を交わし、納得した様子ですぐに引っ込んだ。
「悪いな、バタバタしていて」
「い、いや……」
にこやかに話しかけてくる親父を前に、俺は返答に窮していた。自分が誰かは分かっている。が、どこにいるのかが分からない。ん? 『どこに』って、神様のいる天上界ではなかったのか?
「お、親父!」
ガタン、と機械が音を立てる。だが知ったことか。俺は前のめりになりながら、溢れてきた疑問をいっぺんに親父に叩きつけた。
「ここはどこだ? 戦争はどうなった? 俺は一体、どこにいるんだ!?」
「心配するな、ヴァーチャル世界ではない。現実の世界に戻ってきたんだよ、お前は」
何? ヴァーチャル?
「ヴァーチャルって……」
「ああ、『異世界』と言った方がいいのかな? お前の年頃の若者は、よく憧れるそうじゃないか」
???
未だにクエスチョンマークを脳内連打する。そんな俺に、親父はこう言った。
「お前は異世界から現実世界へ帰ってきた。我々の世界へ、な」
その時になって、やっと気づいた。親父は長い間、日本を離れていたが、それはもしかして、ヴァーチャル・リアリティの研究を進めるためだったのか。
考えてみれば、そう難しい話ではない。世界には、その研究が急務とされている分野がたくさんある。エネルギー問題、食糧問題、人口問題。
しかしそれらは、日本の風土、日本人の意識に合わないものが多い。例えば食糧問題。クローンや遺伝子操作された食物は危険だという意識が、未だに根強いではないか。いずれそれらの技術を駆使しなければ、食糧難に陥るのは目に見えているというのに。
きっと親父のヴァーチャル・リアリティの研究も、その煽りを受けたのだ。だから半ば日本を、祖国を捨てるつもりで、国外に出て研究しているのだろう。
そこまで考えてから、俺は眉間に手を遣った。深呼吸をして、再びベッドに背を当てる。
「ここはどこなんだ、親父?」
「ヨーロッパの某国、とでも言っておこうか。生憎、それ以上のことは伝えられん」
「伝えられない、って……」
つまり、俺をこの謎の研究施設から出すつもりはない、ということなのだろうか。
しかしこれ、あまりにも計算づくではないか? ヴァーチャル・リアリティの被験者を公に募集することなどできはしまい。まさか――。
「なあ、親父」
「なんだ、闘也」
しゃがみ込み、俺と視線を合わせる親父。
「俺が異世界……ヴァーチャル・リアリティの世界に送り込まれたのって、あんたの差し金か?」
僅かな沈黙。
俺は思ったのだ。親父はきっと、わざと俺をヴァーチャル・リアリティの世界に送り込んだ。周囲から見ても、赤の他人ではなく自分の息子を被検体に差し出せば、そいつ――今の場合は親父――の熱意が伝わるとでも思われたのだろうか。
俺がイベントに向かう途中、交通事故に遭った時は、確かに痛みを感じた。その時までは俺は、俺の身体は現実世界にあった。しかし、気を失ってからは防御スキル最強で異世界での戦いに奮闘してしまった。そして何があったかは知らないが、今はこうして現実世界へ引き戻されている。全部親父の計画通りだった、というわけか。
「ふっ、ははははっ、はははははははっ!」
俺ははっとして顔を上げた。親父が、笑っている。息子に見せる笑顔ではなく、嘲笑とも捉えられかねないような、大口を開けた大胆な笑いだ。
「ようやく気づいたようだな、闘也!」
細い身体をくの字に折って、膝をバンバンと叩きまくる。
「全く苦労したよ、闘也。お前を気絶させながら、事件性が薄く、しかもお前を殺さないような方法を取らなければならない。おまけに現場に我々が急行し、お前を回収しなくてはいけない。高度な技術力の要る事案だ。お前を轢いた運転手への報奨金といったら、開発費の何パーセントになったことか……」
俺は怒りという名の熱気が脳天に込み上がってくるのを感じた。同時に、まだ二、三の疑問が脳裏にわだかまる。
「親父」
「あー、笑った笑った……。で、なんだ、闘也?」
親父はすっと背筋を伸ばし、白衣のポケットに両手を突っ込んだ。
「質問は二つだ。一つ目は、この異世界――ヴァーチャル・リアリティの中の世界は、あんたが作ったのか?」
「いや」
笑顔を絶やさず、親父は即答する。
「お前が創ったんだよ、闘也。被験者の想像をどれだけ反映できるか、というのも重要なファクターだったからな。AIに補助させながら、創らせてもらった。」
ふむ。俺の妄想の延長線が、あの世界だったのか。
「もう一点。どうして俺を被検体に選んだんだ? 誘拐するなりなんなりするなら、俺よりもやりやすい連中がいたんじゃないか?」
すると、親父は笑みを消し、呆然と目を丸くした。
「まさかお前、自覚がないのか?」
と問い返される。
「自覚ってなんだよ?」
「自分がニートだってことだよ!」
俺に負けず劣らず、声を張り上げる親父。
「社会的な繋がりが希薄な人間こそ、誘拐して被検体にするのに適している。考えればすぐ分かるだろう?」
「な……っ!」
俺は言葉を失った。
「お前には私以外の肉親はいない。大学への通学も皆無と言っていい。せいぜい、近所のコンビニの店員に顔を覚えられるか否かといったところだ。大げさに言うとだな――実験が失敗してお前が死んだとして、誰が悲しむか、ということさ」
俺が死んだ時。その事実にショックを受けたり、悲しんだりしてくれる人間がどれほどいるだろう? 俺は、自分の目の前が真っ赤に染まるような錯覚に見舞われた。
「畜生が!!」
上半身をバネのように使い、一気にベッドから飛び降りる。そのまま親父に接近、思いっきり拳を引き絞った。が。
「!?」
力が入らない。なんだ、この貧弱極まりない腕力は? 親父は一歩引き下がり、体勢を崩した俺を回避した。
「ぶへっ!」
無様に身体の前面を床に押しつける俺。慌てて床に着いた掌が痛い。
「くっ……」
俺は手をついて立ち上がりかけたが、今度は下顎に衝撃が走った。
「がッ!!」
親父につま先で蹴り上げられたのだと気づくのに、時間はかからなかった。顎の骨から頭蓋骨までが、一気に痺れるような感覚に囚われる。
俺は無様にも、後ろに倒れ込んだ。
「残念だったな、闘也。お前が力を発揮できるのは、ヴァーチャル世界の中だけだ。それに、私が気に食わなければ、お前の出会った人々を自由に削除できる。多少時間はかかるがな」
「!?」
なんだって!? あいつらが、消されてしまう……!?
「一発で消去できるほどの、安易なロックはかけていない。だがお前も見たはずだぞ、闘也。真っ黒な雲が攻撃をしかけてくるのを」
「それって……!」
暗黒派のことだな? あいつや影人を倒さなければ、地上界の連中は皆殺しに遭ってしまう。どうしたらいい? どうしたらいいんだ!?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます