第24話

「ん……」


 俺が気づいた時、真っ先に目に入ったのは、武闘派が使っている布製のテントの天井だった。同時に聞こえてきたのはサンの声。だが、明らかにいつもよりトーンが低い。


「気づいたか、トウヤ?」

「お……俺、一体何が? どうしたんだ?」

「聞きたいのは私の方さ」


 豆乳のようなスープを俺に手渡しながら、サンはしゃがみ込んだ。俺は上半身を上げ、視線を合わせる。


「私がオーラの父親の首を刎ねて、そうしたら何故かお前がぶっ倒れたんだ。どうかしたのか?」


 ああ、そうか。父親はオーラの身代わりになったのだったな。


「って待てよサン!!」


 ガタン、とそばの台の上にカップを置く。というか、底から叩きつける。


「お前、まさかオーラを殺したのか!?」

「だったらなんなんだ?」

「だ、だったら、って……」


 反論を口にできない俺から、サンはふっと目を逸らした。


「殺してはいないよ。いや、殺さざるを得ない状況だったんだが、彼女の母親が咄嗟に白旗を上げたのでね。ギリギリで戦闘中止ということになった」


 俺は、安堵のため息をついた。しかしその吐息は、随分冷たいものだったような気がする。


「俺の身体はどうなってる? 負傷しているか?」

「いや、さっきオーラの母親が治癒魔法を施していった。今のトウヤは、身体の方は万全だ。身体は、な」


 つまり、心理的な状態は保証できないということか。

 俺は掛布団を外し、ゆっくりと立ち上がった。


「で、次の戦闘開始はいつだ? 目途は立つか?」

「三十分ほど前に、斥候を出したところだ。機甲派の動きはまだ――」


 と言いかけたその時、ザッとテントの幕が開いた。


「と、トウヤっ!!」


 すると小さな人影が、俺の対応も待たずに飛び込んできた。そのまま腰に手を回され、胸に相手の頭部がぶつかる。


「オーラ……」


 突然の出来事だった。しかしどこか、俺は冷静な、いや、冷淡な態度で、その両肩に手を置いた。

 これが、この世界での『日常』なのだ。今回の戦闘で家族を亡くしたのは、無論オーラだけではあるまい。


「お父さんが……お父さんが……!」


 返答の仕様がない。下手な同情もできない。家族を目の前で殺された経験は、俺にはないからだ。俺は今のオーラの力になってやることはできない。すると、彼女の上腕が背後からがっしりと掴まれた。


「馬鹿者!!」


 そう言いながら、強引にオーラを振り返らせたのはサンだった。パシン、といい音が響く。どうやら、サンがオーラの頬を張ったらしい。


「私だって、両親を亡くしている! 母は病気で亡くなったが……。しかし父の死は見事だった! 撤退時にしんがりを務め、何十人もの仲間を救って、そして凶弾に倒れたんだ! オーラ、お前の父上だって、立派にお前を守って戦死なされた! 少しは名誉と尊厳の重さを思い知れ!!」

「おい、サン!」


 この世界にはこの世界の流儀があるとはいえ、いくらなんでも今の説教はないだろう。

 異世界人なのだから黙っていろ。そう言われるのを覚悟で、俺は割り込んだ。

 すると、サンは目線を上げ、俺と合わせた。数回にわたって、俺とオーラの間で視線を行き来させる。そして聞こえたのは、『すまない』という端的な言葉だった。


「オーラ・ベリアル、覚えておけ。これが戦いだ。大切な人からの温もりを失ったのは、お前だけじゃない」


 するとようやく、サンはオーラを解放した。


「近衛兵! オーラ・ベリアルを魔術派の本隊に合流させろ!」

「はッ!」


 一礼して入ってくる兵士。


「オーラ殿、魔術派の兵士及び人民は既に、荒野へと向かっています。お早く」


 敵の指導者にこんな取り計らいをするとは。戦闘行為さえなかったら、彼らは礼節と分別のある、立派な人間だっただろう。どうして戦わなければならないのか――。


 テント内に取り残された俺とサンは、何を語るともなく沈黙していた。

 その時だった。頭上から眩い光が差し込んできたのは。


《トウヤ、体験入隊はいかがだったかな?》


 聞こえてきたのは神様の声。そのあまりに呑気な調子に、俺は肩透かしを喰らった。


「いかがも何も、大勢の人が死んだ。こんな世界、俺はごめんだ。帰らせてもらいたい」

「そんな、トウヤ!」


 サンが肩を掴み込もうとするのを、俺はすっと動いて回避した。


「トウヤ……」

「俺はもう御免だぞ、人が怪我をしたり、死んだりしていくのを見ているのは」


 続いて上を向き、大声を上げた。


「神様、聞こえてるんだろ?」

《いかにも》

「一度、天上界に俺を戻してくれ。あんたに話がある」

《話?》

「いいから! さっさと戻せ!」


 神様はしばし唸っていたが、やがて『分かった』と一言。

 と同時に、テントの中に天上界と地上界を繋ぐ扉が現れた。あのアーチ型をした、煌びやかな扉だ。


「トウヤ……」

「悪いな、サン。貴重な経験をさせてもらったけど、この世界では荷が重すぎる。俺にはな」

「ッ……」


 微かにサンの瞳の中で、何かが揺らいだ。涙、だろうか。

 それを目にした俺は、しかしこれ以上かける言葉を見つけられなかった。サンにも、エミにも、オーラにも。そして、彼女らに忠誠を誓う武人たちにも。


         ※


「全く、再会して最初に出たのが言葉ではなく拳だったとはのう……」


 神様は、氷水の入ったビニール袋を自分の額に当てていた。原因は俺の高めのジャブ。俺は扉を抜け、目の前にいた神様に殴りかかったのだ。


「はいはい、悪うござんした、神様。天罰でも何でもくれてやったらいいさ。所詮俺は、誰の力にもなれないミリオタのニートだよ」


 かく言う俺は、こたつに足を突っ込んで突っ伏していた。盛大に積もったみかんの皮を、右腕で床へ払い落とす。


「あーあー全く、散らかしおって」

「いいんだよ、どうせあんたの根城だろうが、ここは」

「最近の若人ときたら、どいつもこいつも……」


『どいつもこいつも』って、俺しかいねえじゃねえか。


「してトウヤよ」

「んあ?」


 俺は突っ伏した姿勢で、間抜けな声を上げた。神様は俺と相対する形でこたつに入り込む。


「おぬしを元の世界に戻す手筈が整うまで、あと一時間ほどじゃが……よいのか?」

「何が」

「この世界の抗争についてじゃよ」


 ずいっと顔を近づけてくる神様。なんだよ、気色悪い。


「別に。じゃんけんの原理だろ? サンもエミもオーラも、皆頑張ってるのは分かるけど、俺にはどうしようもないことじゃねえか」

「全く、熱血なのか淡白なのか分からん奴じゃのう、おぬしは」


余計なお世話だ。


「ところで、俺は元いた世界で、重傷者扱いされてるんだっけ?」

「うむ」

「ってことは、この防御スキルともお別れかぁ」

「なんじゃ、未練があるのか?」

「いや、このスキルがあれば、交通事故に遭った時も、怪我しなくて済んだかなー、と思っただけだ」

「ほう」


 興味が失せたのか、神様は身を引いて肩を竦めた。


「ま、何か縁があったら、おぬしを再びここに呼び立てるかもしれん。その時はよろしく頼む」

「はいはい」


 俺は適当に腕を伸ばし、次のみかんを手にしようとした。まさに、その瞬間だった。


 世界が、真っ暗になった。


「な、なんだ!?」


 慌てて跳び上がった俺は、こたつに足をぶつけながらも神様に問いかける。


「おい、何が起こったんだ!?」

「わ、わしにも分からん!」


 そう言えば、バチン、とブレーカーが落ちるような音がした気もする。


「地上界は? 地上界の皆は!?」

「分からんと言っておろうが! なんの動きも察知できんわい!」


 神様と共に喚くこと十数秒、突然俺の頭に激痛が走った。それと同時に、足元がおぼつかなくなる。


「ぐっ!!」


 なんだ? 一体何が起こっているんだ!?

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