第12話
ざっ、と俺たちの間に、小さな姿が割り込んできた。
俺はすぐに足を止め、相手も立ち上がりかけた姿勢のまま固まった。
ランだった。ちょうど俺と相手の中間地点に飛び込んできて、両腕を突っ張っている。そして、油断なく俺たちを交互に睨みつけていた。
「どくんだ、ラン!!」
ランを怒鳴りつける相手の兵士。
「こいつは、お前やサン様の両親を殺した機甲派の連中に、情けをかけようとしているんだぞ!」
俺ははっとした。サンやランの両親が殺された……? 確かに考えてみれば、サンの家族はラン以外に目にしたことがない。
サンは若くして、兵士たちの指揮を立派に執っていた。それは、彼女の親――恐らく父親が前の指揮官だったからなのか。
同時に、俺は気づいてしまった。ランがちょうど向こうに顔を向けた時のこと。彼女の喉のわきを掠めるように、うっすらと傷が走っていた。下手をすれば即死しかねない場所だ。
ランが言葉を話すことができなくなったのは、この傷のせいなのか。
俺は、自分の胸中にある怒りや戦意が一気に冷めていくのを感じた。
「……ごめんよ、ラン。この世界には、この世界の人たちの礼儀やしきたりがあるんだよな。どこから来たのかもしれない俺が、難癖をつけることじゃなかった。悪かった」
すっと視線をこちらに寄越すラン。その瞳の奥には、警戒心が未だに失せていない。だが、微かに瞼が見開かれたところを見るに、多少驚いたらしい。
まあいい。俺は戦闘体勢を解いて、腰を抜かしている相手の兵士に手を差し伸べた。相手は多少、訝し気にこちらを見上げてきたが、俺は強引に腕を掴んで引っ張り起こした。
面白くない、という表情の相手の兵士。だが、武闘派の主だった連中や、機甲派の本隊が丘を上がってくるのを見て、すぐに踵を返した。
もしかして、彼も家族を失ったのだろうか?
その時、はっとした。
「まさか……!」
こちらに向かってくる人々を避けながら、俺は装甲車群の指揮車に駆けていく。 ちょうど丘を下りていく形だ。
「トウヤ? お、おい、トウヤ!?」
俺のただならぬ様子に、サンでさえ狼狽の態度で声をかけてきた。しかし、今は無視。
俺は指揮車の真正面に飛び出し、ばっと両腕を広げてみせた。先ほどのランと同じように。ただし、今回の相手は真正面の敵の兵器だ。
先ほど会話した兵士が、慌てて指揮車の天井を叩き、停車させる。
「どうしましたか?」
緊張感の抜けきらないエミの声がした。兵士はハッチの中を見下ろし、何事が告げている。
すると、一瞬驚いた様子の兵士の頭が引っ込んだ。代わりに顔を出したのは、隊長たるエミ本人だ。身軽にステップを降りてくる。
地に足をつけたエミは、一旦背中を見せ、両腕でサインを送った。後方の車両に停車を命じているらしい。
「なんでしょうか、トウヤさん?」
その顔には、初対面時のおどおどしっぱなしだった面影はない。
「一つ訊かせてくれ。お前ら、まさか武闘派の連中に悪事を為すなんてことはないだろうな?」
「は?」
目を丸くするエミ。
「民間人に暴力をふるったり、村を焼き払ったりはしないよな?」
「そんな不埒者は、我々の軍にはおりません」
きっぱりと言い切る姿に、俺はやや安堵した。だが、もしそうだとすれば、どうしてランは怪我をしたんだ? また、どうしてサンとランの両親は命を落とさなければならなかったんだ?
「おい、トウヤ」
横合いから声をかけられた。サンだ。
「民間人に危害が及ぶ心配はない。機甲派も魔術派も、皆心根は誠実だ。無慈悲な態度を取るものはいない」
まあ、今回の敗北の責を負うサンがそう言うのならば心配はいらないだろう。
「お話はこれまでですか、トウヤさん?」
「あ、ああ。分かった。悪かったな、疑って」
「いえ」
短く答えたエミは、すぐにステップを登って車内に戻ってしまった。
「皆、進もう。夕飯を確保しなければな」
『おう』という大きな、しかし士気の低い声を上げ、武闘派の連中が肩を落として再び歩き出す。
「前方、安全確認よし!」
指揮車のハッチから顔を出した兵士が、再び手信号を後ろへ送った。『了解!』という復唱が連なり、装甲車の列が再び動き出す。その前に、サンは車列を挟んでこちらに馬を寄せてきた。
「すまない、トウヤ」
「なんのことだ?」
「ランが何か、やらかしたのだろう?」
「え? ああ、いや……」
ランが悪いわけではない。悪いはずがない。彼女はトラブルを鎮めたのだ。
「ランが悪いわけじゃねえよ」
「すまない」
再び謝罪の言葉を述べたサンに、俺は『気にすんなよ』とだけ返しておいたが、果たしてサンは納得しただろうか?
俺たちは無言のまま、残り僅かの帰途を進んでいった。
※
その日の晩。
俺は、今はまだ武闘派のメンバーということで、サンと行動を共にしていた。武闘派の保存食を口にしながら、テントの外で焚火を囲む。機甲派の連中は、腹を空かせた負傷者に非常食を食べさせていた。敵味方関係なくだ。エミの言っていたことは本当らしい。
俺やサンに気を遣ってか、他の者たちはスペースを空けてくれていた。甲冑を脱ぎ、ラフな格好のサン。純粋に美人だな、と思いながら、俺はぼんやり彼女の横顔を見つめていた。
彼女の膝の上には、ランが頭を載せて眠り込んでいる。
「やっと寝ついてくれたみたいだな」
俺が声をかけると、サンは『ああ』と息を漏らした。愛おし気に妹の前髪を撫でている。
「十年前だな。父上が戦死したのは」
突然始まった独白に、俺は口に含んだ水を噴き出した。
「ちょっ、なんだよその重い話題は!?」
「迷惑だったか?」
こちらに顔を向けるサン。その瞳は、心なしか潤んでいるように見えた。
「ん……」
俺は言葉に詰まってしまった。父親の死などというデリケートな話題に、俺などが踏み込んでもいいのだろうか? だが、サンは迷いなく俺を直視している。聞いてやらないわけにはいかない、か。
俺は軽く頷いて、話の続きを促した。
「父上は、私などよりよほど高貴で、勇猛で、そして優しかった」
言葉だけ聞けば、自信満々に語っているように思えただろう。それほど誇りのこもった言い方だった。
「さっきお前が言ったな。このまま死者を捨て置くことはできないと。まさにそれと同じことで、父上も悩んでいたようだ」
「そうなのか?」
焚火に目を戻しながら、頷くサン。そんな立派な武人と同じことを考えていたとは、我ながらすぐに納得することは難しい。だが、お陰で武闘派の人々から悪く思われていないとすれば、それはいいことなのだろう。
「ランはお前に何か言ったか?」
「いや、何も。俺が喧嘩を始めた時に、止めに入ったくらいで。そもそもランは喋れないんだろう?」
サンはコクンと頷いた。その健康的な頬に、悲哀の色を滲ませながら。
「父上は、致命傷を負いながら陣地近くまで歩いてきたんだ。ランは咄嗟に飛び出した。父上に肩を貸すために。そこを、狙撃されたんだ」
「なっ!?」
俺は驚いて目を上げた。そのままばっとサンの方へと振り向く。しかし、彼女は全く動じる気配を見せていない。こんな話をしながら、眉一つ動かさないとは……。
まるで何十回、何百回も同じ話を繰り返してきたかのようだ。いや、思い返すだけなら何千回もあったかもしれない。
「父上は、味方を援護できるように白旗を上げようとしなかった。それが仇になったんだ。突然飛び出してきたランを、機甲派の連中は敵と勘違いして……」
沈黙が、頭上から俺たちを圧迫する。まるで、見上げてもいない夜空が、ジリジリと下がってきているかのようだ。
「……トウヤ」
「ん?」
「お前と私なら、この武闘派をまとめられる。そう、お前と私なら……」
「俺とお前……って、はあ!?」
俺は思いっきり身を引いた。その時になってようやく気づいたのだ。サンが、俺の手を握ろうとしていることに。
「ちょ、待って、その、は、はいぃい!?」
「……」
サンはもはや、言葉に頼ろうとすらしない。身を乗り出してくるサン。慌てて距離を取る俺。
しかし、そんな時間は唐突に打ち切られた。
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