第7話
「な、なんだ? 何があったんだ?」
仰向け状態のままの俺に、エミに代わって歩み寄ってきたのはオーラだ。その横から、エミが声を張り上げる。
「突然雷撃魔法を仕掛けるなんて!」
だからその前に、お前には胸元をどうにかしてほしかったのだが。まあ、今なら目を逸らすことができるから、どうにかなると信じよう。見ない見ない。
オーラはといえば、エミの批判を全く意に介さない様子で、俺に向かって手を差し伸べた。
「ああ、大丈夫。一人で立てる」
俺はシャツをパンパンと叩きながら立ち上がった。ミカンの皮がぱらぱらと落ちる。
身体の方は何ともないのだが、しかし、エミの慌てぶりを見るに、俺は手ひどく痛めつけられたらしい。オーラの『雷撃魔法』とやらによって。
「ごめんなさい。あなたの防御スキルからすれば、本気で攻撃しないと目覚ましにならないと思って」
淡々と告げるオーラ。って、おい待てよ。
「オーラ、お前、本気で攻撃したのか? 俺に向かって!?」
なんの躊躇いもなく頷くオーラ。
「殺す気だったのか!?」
「だから違うって。ボクはあなたに話を聞いてもらいたかっただけ」
「なにも殺人レベルの雷撃を喰らわせなくたって……」
そう言って、俺は前髪をくしゃくしゃと掻いた。それからオーラの三角帽がちょうど目の高さにあることに気づく。そうか。オーラはサンやエミと違って、まだまだ幼いのだ。視線を合わせてやろうと俺が膝を折った、その時だった。
オーラの瞳に、吸い込まれそうになった。
なんともありきたりな表現だと思われるかもしれない。だが、純粋無垢な、涙の膜を張ったエメラルドの眼球は、見る者を釘付けにするほどの『力』を持っていた。
もしかして、これも魔術の一種なのだろうか? 俺はそう疑ってかかったが、しかし、本当の魔法の発動はまさにここからだった。
「ボクの味方になってくれるよね、お兄ちゃん?」
「どぶぐふっ!?」
なんだ? なんだったんだ今のは!?
「ちょっとオーラ、あんたなに適当なこと言ってんの?」
すかさずサンが割り込むが、オーラは俺に対するその呼称を止めようとはしない。
「お兄ちゃんはオーラを助けてくれるよね? ね?」
「お、俺を呼ぶな!」
「え? でもそうしたら、あたしはお兄ちゃんのことをなんて呼べばいいの? 教えてよ、お兄ちゃん!」
ええい、どうにでもなれ。
「だーかーら! 今後一切、俺のことを『お兄ちゃん』と呼ぶなあああ!!」
「なにムキになってんのよ、トウヤ? あなたオタクなんでしょ? そのくらいで萌え死にするような、柔な人間じゃないわよねえ?」
にんまりと唇の端を歪めて俺を覗き込むサン。一体こいつはどっちの味方なんだ?
そうして俺が混沌の淵に立たされていた、まさにその時。
「あ、最後のボタン!」
適当にあたりの床を見回していたエミが、俺の足にぶつかってきた。
「え?」
「きゃっ!」
そもそも、地団駄を踏みながら身体の重心が浮ついていた俺は、エミの頭突きに呆気なく転倒。エミも倒れ込む。
「あいてっ! ……ってそうか、痛くないのか」
「ああ、トウヤさん! 大丈夫ですか?」
「ま、まあ防御スキルのお陰で……」
そう言って再び後頭部に手を遣ろうとした、その時だった。
俺が動かそうとした右腕の掌に、柔らかい『何か』がすっぽり収まっている。気づいたのは――そして危機感を覚えたのは、俺の方が先だった。
「な、なあ、エミ」
「はい?」
「ゆっくり立ち上がってくれ。俺は今、いろいろあって動けない」
「いろいろって……。やっぱりお怪我を!?」
「あーいや、違う、違うんだ! その、倫理的な問題がだな……」
「あっ! 瞳孔の開き具合が異常です! 今確認しますからじっとして――」
と、言いかけたところで、ようやくエミも『あ』と一言。
頭を抱えるサン。冷たい視線を注ぐオーラ。寒々とした風情で佇む神様。
すると、かあああっ! と音がするような勢いでエミの顔は紅潮した。
「トウヤさん……!」
「は、はい?」
エミが俺から身を引いて、渾身のエルボーを喰らわせたのは、まさに次の瞬間のことだった。鮮血が飛散し、鼻の骨が折れて――といった状態にならなかったのはまさに僥倖。防御スキルのお陰で、衝撃は感じても痛みは感じない。無論、体組織も無傷だ。
しかし、代わりに折れたのは俺の心の方だった。
エミに罵倒されたら、さぞかし納得がいったことだろう。だが、エミは全く口を利かず、自分で自分の肩を抱き、そっぽを向いてしまっている。
俺は自分をM属性だとは思わないが、今この状態だったら、心身共々へし折ってもらった方がすっきりするというものだ。
やっとの思いで立ち上がると、俺の服の裾を引く者がいる。
「なんだ、オーラ……」
「お兄ちゃんの、変態」
「ぶぎゃはあっ!?」
俺はくの字に身体を折り、膝を着いて、うつ伏せの状態になった。そのままぐるぐると転げ回る。
しばらく立ち直れないわ、これ。
※
「しかしトウヤよ、おぬしも大変な目に遭ったものだのう」
「ミカン食いながら言う台詞じゃねえだろうが!」
「まあまあ、そうカッカなさるな」
「うるせえ、全く……」
俺は新たに召喚された湯飲みに口をつけ、ずるずるとすすった。
あの後、一旦女性陣には地上界へ帰ってもらった。あれでは俺をめぐる会議などできはしまい。そう神様が判断したからだ。
俺はありがたく思ったものの、実は俺が慌てふためく様子を神様がスマホで録画しており、それをネットにアップしようとしていたことが分かって、俺の機嫌は急転直下。まさか神様がYouTuberだとは思わなかった。一体どうなってんだ、この異世界。
「で、どういたすつもりかな? トウヤ」
憮然とした表情でまたミカンを口に含む俺。
「どうするも何も、この世界で俺には危害が及ばないんだろ? だったらもう少しここにいるよ」
「ふむ。確かにその方が面白そうじゃしのう」
「……ぶん殴るぞ?」
「……帰してやらんぞ?」
俺と神様の視線がぶつかり合い、火花を散らす。
まあ、それは置いといて。
俺はこの世界に来た時のことを懸命に思い出そうとしていた。地面に達する前。落下し始める前。そう、俺はスポーツカーにはねられたのだ。
あの時は、スポーツカーがスリップ事故を起こしたものと思っていた。しかしあれは本当に事故だったのだろうか? 理由は分からないが、何だか俺をターゲットにした挙動を取っていたような気がしないでもない。
誰かの差し金――? まさかな。殺されるような悪事を働いた覚えはないし。挙句異世界に飛ばされる原理も知らないし。
「なに難しい顔をしとるんじゃ、トウヤ?」
「……」
「トウヤ?」
「へ? あ、ああ、何でもない。それより、ちっと眠くなってきたな……」
「ほう、であれば」
神様は右手の人差し指を上げ、くるり、と空中で円を描いてみせた。すると、ちょうど神様の頭上から布団一式が落っこちてきた。それは神様の指先で制止し、くるくるとゆっくり回転する。
神様がわきへどけると、空いたスペースにぼすん、と布団が着地。こたつのすぐそばだ。
流石に神様の神殿だけあって、適度に暖かい。だが、俺の元いた世界では冬だったのだ。神様も雰囲気づくりをしてくれたらしい。布団も毛布がついたあったか仕様だ。
「神様、あんたは眠らなくていいのか?」
「うむ。そもそも睡眠はいらんし、地上界の皆の戦いを見守らねばならんしのう」
「ふうん……」
神様も楽じゃないんだな。だからといって、相変わらずジャージ姿のままなのは気になったが。
「んじゃ、お休み」
「うむ。よき夢をな」
頷き返すと、俺は自然に、穏やかな眠りに引き込まれていった。
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