第5話

 薄水色のドーム状の空間が広がっている。ほぼ透明に近いが、確かに壁というか、バリアのようなものなのだろうと俺は見当をつけた。


「トウヤ殿をお連れした! 我々の代わりに、彼を守っていただきたい!」


 すると、バリアの向こう側から声がした。『承知』という素っ気ない声だ。


「さ、トウヤ殿。この中へ」

「へ? この……バリアの中に入るの?」


 俺が兵士の方に振り返ると、先ほどの素っ気ない声が続いた。


「大丈夫。ぶつかったりしないから」

「……」


 俺はじっとバリアを見つめる。すると、その先にまたもや少女がいることに気づいた。


「では、失礼します! トウヤ殿、ご武運を!」

「え、あ、ちょっ……」


 俺を連れてきてくれた兵士は、すぐに回れ右をして機甲派の陣地へと戻っていってしまった。

 再度振り返り、バリアとその向こうの少女を見つめる。

 少女というより、幼女と言った方がいいかもしれない。ロリコンホイホイってことなんだろうか? 年相応のあどけない表情をしているが、しかし何かエネルギーというか、不可視の力のようなものが感じられる。


 俺はゆっくりとバリアに手を触れようとする。すると幼女はすたすたと俺に歩み寄り、腕を差し出した。


「大丈夫。掴まって」

「は、はい……」


 何故か敬語で答える俺。すると、バリアの向こうから幼女の腕が出てきた。

 大丈夫。腕だ。しかも向こうから『掴まれ』と言っている。これは犯罪じゃない。

 ゴクリと唾を飲んでから、俺はそっとその腕を握り返した。引っ張り込まれたわけではないが、自然と足もついてくる。バリアに接触感覚はなく、そのまま俺は踏み込んだ。

 ふう、と息をつくと、目の前にいたのは当然件の幼女だ。十一、二歳くらいだろうか。


「ボク、オーラ・ベリアル。魔術派のリーダー」


 淡々と答えるよう……もといオーラ。

 紫色の三角帽を被り、これまた紫のローブを身にまとっている。その顔つきはあどけないものであると同時に、どこか落ち着き払ったリーダー格の雰囲気を漂わせていた。ボクっ子というのもちょっとポイントかもしれない。


 俺の好みはさておき。

 バリアの内側では、多くの魔術師らしい人間たちが空を見上げている。杖を振るったり、水晶玉を抱いたり、スタイルはそれぞれ。だが、共通しているのは、何らかの光の弾丸――魔弾というのだろうか――を打ち上げ、黒雲にぶつけているところだ。


 よくよく見てみれば、黒雲は他の雲よりもずっと低い位置にあった。なるほど、弓矢も高射砲もこれなら届くだろう。

 確かに黒雲の占める割合も少なくなってきているようだ。しかし、俺は雲の中央――雷を発していた部分だ――に違和感を覚えた。


「ん?」


 すると、そこから地面に向かって何かが降ってきた。いや、降りてきた。たちまち霧散していく黒雲。問題は、降りてきた黒い影のようなものだ。計五体。


「あなたはここに」


 身を乗り出した俺を引き留めるオーラ。


「あ、あれは一体何なんだ?」

「影人とボクたちが呼んでいるもの」

「カゲビト……?」


 視線を落下物、すなわち影人の方に戻すと、そいつらは胎児のように縮めていた手足を伸ばし、ゆっくりと立ち上がった。


「も、もう少し説明してもらえるか?」


 俺は自分の身体を抱きながら、オーラに尋ねた。


「暗黒派が生み出した、地上世界制圧のための兵器。時々送り込まれてくる」


 それだけ告げると、オーラはそっと振り返った。その先、バリアの中央には簡素なテーブルが置かれていて、その上には大きな水晶玉が載っている。

 テーブルを囲っていた魔術系の人々が後ずさり、オーラに道を空ける。俺には誰も注目していない。

 するとオーラは水晶玉に手を伸ばし、軽く撫でるように掌で輪郭をなぞった。微かに呪文のような声も聞こえてくる。それから、俺にも分かる言葉で語りだした。


「武闘派、機甲派、魔術派の全戦闘員へ。影人の姿を確認。気をつけてください」


 するとそれに応じたのか、『おうよ!』というサンの声、『了解です!』というエミの復唱が聞こえてくる。

 計五体の影人は、一体が武闘派、一体が機甲派、残る三体がこちら、魔術派の方へと駆け出してきた。

 個性のない、全身真っ黒な外見。目も鼻も口もない。ただし、筋肉質であるようには見える。背丈は普通の成人男性と同じくらいだ。


「お、おい、こっちにだけ三体も向かってくるぞ!!」

「分かるよ。ボクの目は節穴じゃない」

「あいつら、どのくらい強いんだ?」


 オーラはそっと顎に手を遣って、俯いたまま答えた。


「魔術派の戦力の半分を集中させれば勝てる」

「そうか――って、え?」


 こちらが一度に倒せるのは二体ということになるが、向かってきている影人は三体だ。


「勝てないじゃないか!」

「でも、ちょうどよかった。あなたがここにいる、ってことは、あなたのずば抜けた防御スキルを活かせる」

「そうか! なら大丈夫……ってえええ!?」


 俺は背筋が冷たくなった。


「俺を盾にしようってのか!?」

「違うよ」


 即答するオーラ。俺はほっと胸を撫で下ろした。が、次に告げられたのは、俺の想像を絶する言葉だった。


「あなたには、影人たちを足止めしてもらう。羽交い絞めにしてもらえれば、影人の弱点――眉間を狙えるから」

「えええ!? 俺、あいつらに後ろから抱き着くの!?」


 オーラは無言で頷く。


「い、いや俺、格闘技なんて知らないし……」

「敵を押さえつけてくれれば結構」

「そんな……」


 俺がわたわたしていると、右方向から雄叫びが、左方向から銃声が響きだした。武闘派と機甲派は、すでに戦闘を開始したらしい。

 俺がそう認識したところ、初老の男性魔術師がオーラのそばで膝を着いた。


「オーラ様! すでに敵は我々の射程範囲に入ります! 攻撃開始の号令を!」

「ええ」


 短く答えたオーラは、黒雲を攻撃していた者たちに向かい、今度は影人を攻撃するようにと指示を出した。皆が呪文を唱え、雷や炎、雪風といった攻撃を繰り出す。

 三体の影人のうち、一体の眉間に魔弾が命中して倒れ込んだ。その場でさらさらと土に還っていく。だが、先ほどの黒雲との戦闘もあってか、こちらは皆疲弊している。『下手な鉄砲数撃ちゃ当たる』戦法は取れない。狙いを定めさせなければ。


「あーったくもう!」


 俺はバリアの外へと飛び出した。誰も引き留めてくれないのことには一抹の寂しさを感じたが、何せ俺は防御力最強、いわば『無敵』なのだ。殺せるもんならやってみろ、全身黒タイツの変態め。


 やけっぱちだった俺は、影人のうちの一人に向かって猛突進した。


「うおおおおおおお……って、うあ!」


 そして、石に躓いて転んだ。前転しながら相手に突っ込む。

 俺の挙動が計算外だったのか、影人は呆気なく押し倒された。ちょうど俺は馬乗りになる。


「この野郎! 恨みはねえけど! くたばれ!」


 ぶんぶん腕を振り回し、相手の頭部と思われる部分をポカポカと殴りまくる。

 一見優勢に見えたかもしれないが、俺は貧弱極まりないニートなのだ。呆気なく相手に投げ飛ばされる。


「うおっと!」


 取り敢えず痛みはなかったが、感覚として、俺は自分が地面を転がっているのが分かった。

 

「畜生……」


 俺は顔についた泥を拭いながら立ち上がった。その直後、背後に違和感が。


「ん?」


 カツン、という音に合わせ、くすぐったいような感じがする。なんとなく振り返ると、そこには驚愕の光景が広がっていた。

 もう一体残っていた影人が、俺を突き刺そうとしていたのだ。右腕の手首から先は、長さ二十センチほどの槍になっている。


「どわあ!?」


 俺は腰を抜かした。なんて奴だ。あんな凶器が自分の背中に刺さって……いや、接触していたと思うとぞっとする。


 再び背後から殺気を感じ取り、俺は向き直った。すると、最初に突進した相手である方の影人が、腕を刀に変形させるところだった。

 まずい。挟まれた。一体どうしたら――。と、冷や汗が額に浮かんだ直後。

 様々な効果音と共に、最初に相手をした影人に向かって魔弾が殺到した。影人はなんとか体勢を保とうとするが、一旦腹部に集中した魔弾に耐え切れずに地に腕を着き、やがて頭部を吹き飛ばされた。

 

 残るは一体。だが、魔術系の連中にこれ以上魔弾を放つ余裕があるだろうか?

 しかし、そんな心配は無用だった。

 勝ち目がないと悟ったのか、影人はこちらに背を向けたのだ。


「おい、待てよ!!」


 今の俺なら倒せるかもしれないのに……!

 すると、いつの間に接近していたのか、甲冑が身軽に跳躍して剣を振るった。

 ザン、といい音を立てて影人の首が跳ぶ。


「大丈夫か、トウヤ!」

「あ、お前、サンか?」

「無事なようだな! 何よりだ!」


 サンがバンバンと俺を叩いて、泥を落としてくれる。そんな時だった。

 

《聞いてくれ、皆の衆!》


 神様の声が、頭上から降ってきた。先ほど黒雲があったあたりから眩い光が差し込み、神様がふわりと降りてきて、空中で制止した。ここからはだいぶ離れているのに、不思議とその声は明瞭に聞き取ることができた。

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