第2話

 ふわり、と海面に浮きあがるような感覚と共に、俺の意識は戻ってきた。ここは……どこだ?

 取り敢えず身体の様子を把握しようと試みる。どうやら致命傷は負っていない、というか、傷一つついていない。強いて言えば、落下時に身に着けていたジャンパーやらジーパンやらはズタボロだったが。


 一応ベッドに寝かされていたようなので、俺はゆっくりと上半身を起こした。白い生地に、金色の刺繍が施された掛布団やシーツ。それに枕。周囲はとにかく広く、見渡す限り白い空間が広がっている。

 そのところどころに円柱状の柱が立っていて、ここにも金色の模様が描かれていた。しかし上方もあまりに広すぎて、円柱が何を支えているのか分からない。


「ん……」


 俺は眉間に手を遣りながら、今までの経過をおさらいした。

 スポーツカーに轢かれ、戦場に落っこちて、いろんな攻撃を叩き込まれたが無傷。そこで重厚な、壮年の男性の声がして、そこで気を失ったのだ。

 ふるふると頭を振って、再びあたりを見渡す。誰もいないし、何もない。


「だ、誰か、いません、か……?」


 大声を上げた方がよかったのかもしれない。が、俺の喉から出たのは、実に細々とした蚊の鳴くような声だった。あまりに上品な装飾を為された空間にいることに委縮してしまったのだ。

 俺は一度、ゴクリと唾を飲んで、再度呼びかけた。


「誰かいませんか?」

「おお、お目覚めか、異界の方よ」


 やっと応答を得た。それは、先ほども響いてきた壮年男性のものだ。相手と面識がないとはいえ、自分一人が取り残されたわけではないことに、俺は胸を撫で下ろした。

 でも、相手は何者なのだろう? 地上での戦争を一時中断させ、俺にこうした待遇をしてくれている。それに、これほど神聖な場所にいる。


「あの……もしかしてあなた、神様、とかですか?」

「うむ、いかにも」


 その声は、見上げても天井の見えない上方から降ってくる。


「お、俺、死んだんですか……?」

「ああいや、そこまで悲観的にならずともよい。しばしお待ちなされ」


 暑くもないのに、俺の頬を一筋の汗が流れていく。か、神様か……。一体どんな姿で、どのように顕現するのだろう? やはりこの天井のさらに上、天界からでも降りてくるのだろうか。

 俺がドキドキしながら上を見上げていると、思いがけないところから音がした。


「ん?」


 ベッドわきの床のタイルから、ガサゴソと音が響いてくる。やがてゴトン、と鈍い衝突音がして、そのタイルは床下から持ち上げられた。


「う、うわっ!?」

「よっこらしょ」


 床下から現れたのは、長髪をぼさぼさに生やし、ボロをまとった細身の人間だった。のっそりと、自分の体重を両腕にかけ、全身を持ち上げる。目はその髪に隠れていて、視線を合わせることもままならない。その姿は、まさにホラー映画で顕現した幽霊を連想させた。


 俺は慌てて掛布団を跳ね飛ばし、ベッド上を転がって怪人から距離を取った。何か喚き散らしたような気がするが、自分でも何といっていたのか分からない。

 やがて俺は、ベッドからずり落ちた。


「あいてっ! う、うわ、来るな、来るなあああ!」

「そう喚くでない、異界の者よ」

「神様助けて! 床下から怪人がーーー!」

「ちょ、待つのだ若者!」


 俺はやっとのことで床に足を着き、なりふり構わず駆け出そうとした――が、しかし。

 背後で何かが揺れる気配がした。と同時に、肩をむんずと掴まれる。


「ひっ! ぞ、ぞぞぞゾンビ! 俺を食っても美味くないぞ、俺はただのニートで、ミリタリー好きだけど――」


 すると唐突に、掴まれていた肩が解放された。


「どわっ!」


 前のめりに転倒する俺。顎を強打してしまったが、痛くはないし口内出血もないようだ。


「わしがお主の言う神様じゃよ。まあ、それほど大したことはしておらんがのう」

「え、えええ!? か、神様っていったらもっと神聖な……!」

「うぐ!」


 今度はゾンビ、もとい神様がショックを受ける番だった。ボディブローを喰らったかのように、身体をくの字に折って腹を抱えた。


「いやいや若者よ、わしが神様じゃ! それともわしが神聖に見えないとでも申すか!?」


 俺は高速で首を上下に振った。すると、自称神様は項垂れてしまった。


「うう、そうか……。こんな姿では神様と呼んではもらえんか……」

「だったらちゃんとした服装をしてくれよ!」

「おお! そうじゃ! いつもの仕事着になればお主も信じてくれるか!」

「いや、保証はしかねるけど……」


 俺は頬を引きつらせながら、腕を組んでしきりに頷く自称神様を見つめた。


「では!」


 神様は右腕を掲げ、得意気にパチンと指を鳴らした。すると眩い、しかし穏やかな乳白色の光が、神様の足元から頭頂までを包み込んだ。おおっ、急に神様っぽくなってきたぞ。

 俺はじっとその光に見入った。一際光が強くなり、俺は僅かに目を細める。徐々に収束していく光。そして次に目に入ったのは――。


「誰だあんたは!!」

「いや、神様じゃが」

「確かに身なりは綺麗になったけどさ、なんで……」

「うん?」


 俺は思いっきり息を吸い込み、叫んだ。


「どうしてよりにもよって、着てるのがただのジャージなんだよ!!」

「お、おかしいか?」

「おかしいも何も……」


 こうなってしまっては、俺は頭を抱えるしかない。だが、しかし。


「な、なあ神様」

「何だね、異界の者よ」

「そのジャージ、俺の高校で使ってたジャージじゃないか?」

「ほう? 奇遇だのう」


 き、奇遇って……。ちゃんと校章の刺繍も同じだし、これは奇遇では片づけられない一致ではないだろうか。この世界、どこかで俺のいた世界と繋がっているのか? 言葉も通じているし。

 そう言えば、どうして俺はこの空間を『異世界』と認識しているのだろう? それは正しい見方なのかもしれないが。いや、突然の落下といい、謎の戦争に巻き込まれたことといい、目前の神様のことといい、ここが『俺のいた世界』と違う世界であることは認めざるを得まい。


 まあ、それはいいとして。


「神様、一つ訊きたいんだけど」

「ん? 何かね、トウヤくん」


『どうして俺の名前を知っているんだ?』と尋ねそうになったが、やめておく。なにせ、相手は神様なのだ。それより、聞きたいのは。


「どうすれば俺は元の世界に戻れるんだ?」


 すると、神様は何に躓いたわけでもないのにズッコケた。


「なんじゃい、その無気力さは!」

「いや、だって俺ニートだし。早く戻ってミリフェスに行きたいんだけど」

「えー? もう少し異世界観光していかんのかね?」

「観光は結構!」


 俺はぴしゃりと言い放った。

 確かに、観光に対する未練がないわけではない。リアルな戦闘を見てみたいという気持ちもあれば、実銃や真剣、魔術的な何かに触れてみたいという好奇心もある。

 だが、俺はそれらによってハチの巣にされかけたのだ。こんな危険な世界にいるのは真っ平御免――って、あれ?


「なあ神様!」

「なーにが『神様』じゃい……。この世界に魅力を感じてくれんくせに……」


 よよよ、と袖で涙を拭う神様。なんなんだこいつは……。それはさておき。


「神様よ、どうして俺、生きてるんだ?」

「おや、質問かね?」


 突然顔を上げる神様。


「だから、どうして俺が生きていられるのかって訊いてんの!」

「そりゃあ、おぬしの防御スキルが高いからじゃろう」

「……は?」


 あまりにもあっさりとした回答に、俺はポカンと間抜けな顔を晒した。


「防御スキル? 俺はただのニートだぜ? 防御も何も……」


 俺は改めて自分の格好を見下ろした。ジャンパーもジーパンもダメージものみたいにズタズタだが、身体で痛む場所はない。虫に刺されたほどの傷もない。

 だが、俺ははっきり見た。弓矢と自動小銃、それに魔弾が、俺に向かって撃ち込まれるのを。補足させてもらうが、自動小銃はAK47、通称カラシニコフ。使い回しの簡易さと頑丈さ、それに高い破壊力によって、未だに世界中で使われているモデルだ。あんなものを喰らって、無傷でいられるはずがない。


「いや、やっぱおかしいぜ、あんなもん喰らって掠り傷一つないなんて……」

「ふむ」


 神様は長い、しかし清潔的になった顎髭を撫でながら、しばし沈黙した。


「おぬし、自らをニートと言ったな?」

「ああ、そうだ」

「これはわしの仮説に過ぎんが……。おぬしが元いた世界での『心のベクトル』が、防御中心だったのではないか? そしてその『ベクトル』の強さが、こちらの世界での物理現象に干渉しているとしたら……」


 なんだなんだ? 『ベクトル』だって? いつから数学の授業が始まったんだ?


「もう少し噛み砕いて説明してくれよ、神様」


 とは言いつつも、俺自身考えてみれば思う節がないわけではない。人間関係のことだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る