第11章 差し入れがしたい

「あなた、うちのポストを変えましょう」

 頼子の提案に、夫の哲生が眼鏡の奥で目を丸くした。

「突然、どうしたんだい?」

 我が家の郵便受けは小さ過ぎる。これは以前から思っていた。夫あての定期購読誌がポストに入らないからと、郵便配達員がわざわざ手渡ししてくれるのが心苦しい。 

 もちろん、それは前置き用の理由だ。頼子は続けた。

「山本君に差し入れしたいの」

「え?」

 山本君とは11月に入ってから毎晩、次女の貴美子に手紙を届けに来る青年のことだ。始めは嫌がらせか脅迫かと思い、警察に通報しようという話まで出た。

 15日目の晩、夫が直接会って話したところ、手紙は本気で貴美子が好きなのだと信じてもらうために届けているとのことだった。

 夫いわく“はっとするような美青年”が、でめきんというあだ名で呼ばれ続けた、地味で内気な貴美子に惚れ込むなんてあり得ない。初めは娘同様、夫経由で聞いた山本健司の言葉を信じなかった頼子だが、考え直した。

 健司本人と夫が言う通り、からかうのが目的なら、寒い中半月以上にわたって毎晩手紙の配達を続けたりはしないだろう。

 しかも健司は県外から高速道路を使ってバイクで往復しているという。余程の熱意――貴美子への想いがなければできないことだ。

 いや、熱意というよりは、半分以上は意地かもしれない。そう考えたら思わず笑みが浮かんだ。

 夫に語ったところによると、健司は自分の想いを何が何でも貴美子に受け入れさせようとは思っていないらしい。貴美子が自分を好きになれないというなら諦める。ただ、真剣な想いを冗談と思われたままでは引き下がれない、ということのようだ。

 夫は、健司が自分と同じ無類の金魚好きと知って、すっかり気に入っている。健司が夫の友人・金枝の下で金魚の研究をしていることも安心材料の一つになった。頼子は直に健司に会ったわけではないから、健司本人というよりは、これまで多くの人間を見てきた夫の鑑定眼を信じた、というのが正確だ。

 貴美子の方は、健司の想いをどう受け止めているのだろうか。毎晩届く手紙を回収してはいるようだが、頼子が知る限り返事は出していない。もちろん顔を出すこともない。

 一方通行の手紙は、受け取る側の心情次第では脅迫と同じだ。でも、彼のことを嫌いでないなら、せめて返事くらいは出してあげてほしい。

 配達がさらに続き、20日目を数えた時、頼子は貴美子に話をした。

 父親が手紙の配達人に面会したこと、さらに健司が毎晩、遠方からバイクで手紙を届けに来ていることを告げると、貴美子はひどく驚いていた。

 会うつもりはないのか、せめて返事は出せないのか、と話すと、娘は少し時間がほしいとだけ言った。

 今のところ、まだ返事を出した様子はない。あまりに申し訳ないのと、頼子の中に、地味な娘を想ってくれる健司への感謝の気持ちが徐々に募ってきたこともあり、何か自分たちの気持ちを形に表したいと思うようになったのだった。

「ポストを変えるのは構わないが、何を差し入れするつもりだい?」

「そうねえ。寒い中来てくれてるんだから、何か温かいものでもあげたいわね」

 数日のうちに、ホームセンターで今までよりもずっと大きく、中身の出し入れが楽そうな郵便ポストを買ってきて、夫と二人で玄関先に設置した。念のためにダイヤル式の錠も取り付けた(夫がポストにメモを貼って、健司にも解錠するための番号を教えた)。

 ポストの中で、どれくらい温度が保てるのか不安ではあったが、発泡スチロールや保温容器を駆使して、なるべく高い温度を保てるように工夫した。

 差し入れは、あれこれ考えて、結局肉まんと缶コーヒーにした。

 初日は、差し入れが自分あてなのか、健司が迷うといけないと思い、起きて待っていることにした。

 やってきた気配を感じて、玄関のドアを開けると、鍵の番号を教えたことで察してくれたのか、健司が差し入れを取り出すのが見えた。

 毎晩ありがとう。娘を、貴美子をよろしくお願いします。本当は口に出して言いたかったが、貴美子が会う前に自分が言葉を交わすことはためらわれた。

 健司は、窓越しに見た時よりもさらに長身に感じられた。頼子はすぐに頭を下げたが、一瞬、胸を突くような端正な横顔が目に入った。夫の表現は誇張ではなかった。

「お心遣いありがとうございます。いただいていきます」

 少し低いトーンの、遠慮がちな礼が聞こえた。

 翌晩、また別の差し入れを入れておいた。その日は頼子が寝てしまった後で来たらしく、翌朝、台所のテーブルに健司からの礼状(感謝と心苦しさが綴られていた)と菓子折りが置いてあった。貴美子が手紙を取る時に、回収したのだろう。

“お気持ちだけで十分です”との言葉に、夫と相談して、差し入れは時々にさせてもらうことにした。

 ただ、この差し入れをきっかけに、健司が手紙の投函だけでなく、ポストを開けてくれるようになったのは良かった。貴美子が彼に対して気後れするのは無理もないし、会おうと思えるようになるのは当分先だろう。でも、会えなくても手紙を書いて入れておけば、健司はそれを受け取ることができる。

 それでも気が済まない頼子は、夜間の天気予報や交通情報を気にかけるようにして、配達人の道中の無事を祈った。

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