第6章 おじいちゃんみたい

 D作戦における亜紀のミッション“キラキラダウン”は、困難を極めた。亜紀としては、山本健司がその名前通りに、ありふれた一般的な男であるという方向になんとか話を持っていきたいのだが、超人の大ファンであるゆかりが、何かにつけて彼を異次元レベルにまで盛り上げようとする。

 さっきも“着てるのどこのだろ? 全部ブランド品だよね”などと言っていた。んなわけないじゃん。でも、なぜかそう見えてしまうのが超人たる所以だ。そもそも、同僚二人が長袖Tシャツとジーンズ(あるいはチノパン)に白衣を羽織っているのに、超人だけ白衣の下にワイシャツ&ネクタイのスタイルを崩さない。亜紀が理由を尋ねたら、“毎日何着るか考えなくていいから”とあっさりした返事があった。

 貴美子の鉄壁ガードを緩めるには、彼にどてらと腹巻を着用させるくらいのことをしないと。作戦の合間に金枝にそう話すと、主任教授は小柄な背を反らして笑った。

 今日は、久々にペトラの面々でランチをすることにした。国生研の周りには、安くて美味しい店がたくさんある。大野が勧めてくれた店は今まですべて大当たりだった。今日のパスタはどうだろう。

 席に着いて注文を済ませたところで、ゆかりが言った。

「あたし、こないだ思い切って聞いてみたんですよ。ヤマケンに」

 あ、ゆかりちゃん、またキラキラ度を上げるつもりだね。困ったものだ。ランチくらいゆっくり食べさせてほしいのに。亜紀が黙っていると、浩子がゆかりに尋ねた。

「何を?」

「あの噂、ほんとなの、って」

 え? 亜紀もあの件は気になっていたが、さすがに聞けずにいたから驚いた。それにしても、さすがは魔性のゆかりん、そういうこと聞けちゃうんだね。本人に。しかも出向先の職場で。

 亜紀はテーブルを叩いて笑った――ふりをした。その間に思いを巡らせる。もし噂がでたらめなら、自分たちにとっては喜ばしい材料だ。

「あんた何やってんのよ」

 浩子は呆れていたが、

「で、何て言ってた?」

 あ、やっぱり浩子さんも興味津々だった。

「本当だよって。正直に認めましたよ」

「マジで?」

 嫌だ、嘘だと思いたい! 亜紀が内心頭を抱えていると、浩子が代わりに念を押してくれた。

「なんか千人とか、とんでもないこといろいろ言われてたけど、あれ全部ほんとってこと?」

 ゆかりがうなずく。

「うーん」

 亜紀と浩子の唸り声が重なった。

 超人のどアホ! なんで認めちゃうの? まちさん聞いちゃったよ!

 千人って。他の人ならバカバカしい(あり得ない)で済む。でも、あなたの場合は信じられちゃうんですよ、彼なら不思議ないよね、って。

 さじを――亜紀がその時手にしていたのは水が入ったコップだったが、投げたくなった。

 パスタが運ばれてきた。四人とも同じものにしたからか、ずいぶん早い。

「でも、今はもう、そういうのやめちゃったって。どうしてかは教えてくれなかったけど」

「へえ、どうしてだろうね」

 もしかして、恋に目覚めたから? 理由はともかく、彼が品行方正じゃないなら大事な先輩にお薦めできないから、ここはそのうちはっきりさせなければ。 お、大野さんが言った通り、ここのもちもちパスタは絶品だ。

 亜紀がパスタに気を取られていると、ゆかりが言った。

「あたしは、なんか病気になっちゃったんじゃないかって思ってる」

「病気? どうして」

「だって最近元気ないし。それに、あたしが誘ったのに、きっぱり断ったもん」

 浩子がフォークを回す手を止めた。

「まさか“一晩どう?”みたいなこと、彼に言ったわけ?」

「はい」

「バカなの?」

 浩子さんは、相変わらず容赦ない。

「そりゃ私たち二人は、研究のお手伝いに来たようなもんだけどさ、一応仕事で来てるんだから」

「分かってますよ。でも放っとけないでしょ? あんなのが目の前にいるのに」

「知らないわよ」

「一生の記念に、って思いませんか?」

「思うか! 私、新婚だってば」

 さすがマーケ部の漫才コンビ。

「でも、健ちゃん、結構気にしてましたよ。先輩たちが噂をどう思ってるか」

「へえ」

「まちさんのことも、気にしてた」

 何ですと? 超人も、さすがに打つ手がなくなって、ゆかりちゃんに相談したのかな。

 驚いていると、ゆかりが貴美子に向かって言った。

「まちさんは、健ちゃんのこと、嫌いなんですか?」

 ゆかりちゃん、ストレートに聞いてくれたね。ぐっじょぶ。貴美子は思わぬ質問に少し驚いたのか、少し慌てた様子で答えた。

「そんなこと、ないよ」

「じゃあ、どうして、避けるんです?」

「避けてるつもりも、ないけど」

「そうかなあ?」

 ゆかりも気づいていたようだ。まちさんの、今の正直な気持ちが知りたい。

「本当は、あのオーラっていうか、迫力あり過ぎて」

 貴美子が苦笑しながら言った。

「ちょっと怖いかも」

「はは」

 亜紀は胸を押えた。

「確かにそうですね。ドキドキしちゃう」

 良かった。嫌いなんじゃなくて、怖かったんだ。

「2秒以上は目、見てられない」

 おっと、わたしがキラキラさせてどうする。亜紀は急いで言った。

「でも、超人、時々妙に可愛い時ありますよね」

「例えば?」

「お弁当の後、つまんなそうにお茶すすってる時とか、おじいちゃんみたい」

 仏頂面の理由を“今日は卵焼きの味がいまいち決まらなかったから”と聞いた時には脱力したが。

 亜紀の言葉に、浩子とゆかりが確かに、と笑った。

「おじいちゃんぽいと言えば、エンタメ系は苦手みたいね。ほとんど知らない」

「そこが、いいんですよ」

 よし、このまま“枯れ”路線で行こう。

「彼が流行りものとか人気スポットまで、ばっちり押さえてたら、ちょっとでき過ぎじゃないですか?」

「亜紀ちゃん的には、そこ大事なんだ」

 浩子が笑った。

「そういう人って、休みの日とかは、何やってんだろね」

「だいたい、バイクいじってるそうですよ」

「へえ」

「ちょっと!」

 気色ばんだのはゆかりだ。

「亜紀ちゃん、なにげに健ちゃんとの距離、縮めてない?」

「違うって。そんな怖い顔しないで」

 大野と吉崎が趣味の話をしていたから、自然な流れで健司にも尋ねてみた。これは本当だ。

「そしたらバイクの話が出たから、どういうのに乗ってるんですか? って聞いただけ」

「やっぱり、あたしよりちゃんとした会話してる!」

「あんたはガツガツし過ぎなのよ。だから、日常会話になんないの」

 浩子さん、わたしの代わりに言ってくれてありがとう。

「亜紀ちゃんは、どういうの、って聞いて分かるの?」

 もちろん、分からない。ただ健司の話からだいたいどういうタイプなのかは分かった。

 亜紀が拳を少し広げて、背を反らすようにすると、浩子が言った。

「ハーレーとか、そういうやつ?」

「ええ。エンジンとフレームはハーレーって言ってましたよ」

「ふうん。で、長身長足の美形バイク乗りは、でき過ぎじゃないわけ?」

 でき過ぎですよ。ほんと、超人いい加減にしてよ、って言いたい。でもここは全否定でいかせてもらいます。

「ないです。バイクのカスタムって、おじいちゃんの盆栽いじりみたいなものですから」

「いやいやいや」

「亜紀ちゃんも大概だわ」

「あんまり健ちゃんをじいさん扱いしないでくれる? キラッキラのイメージが崩れるからさ」

 すいませんね。イメージ崩すのがわたしの任務なもので。

「いや、見かけに反して、ちょっと枯れてるとこがいいんだって」

「亜紀ちゃん何フェチよ。まったく」

 皆に笑われて、その場は済んだ。ゆかりに指摘されたからか、その日の午後は、健司に対する貴美子の態度もかなり柔らかくなったように思えた。

 そして、その日の夕方、事件が起きた。

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