第5章 うちのうなぎはメスが多い

 結局、その後貴美子と顔を合わせないまま、昼休みの時間になった。大野たちによると、亜紀が一度席を外した時に、一度貴美子は戻ってきたらしいのだが、すぐに出て行ってしまったとのことだった。

 健司の方は、亜紀が研究室に戻って、少ししてから現れた。午前中より元気がないように見えるのは、気のせいだろうか。

「清水さん、昼メシどうする?」

 大野が聞いてくれた。どうもこの人とは、飲食関係の会話ばかりしている気がする。

「今日はお弁当持ってきました」

 まちさん用事があるって聞いたから、と亜紀が言うと、

「じゃあ、オレたちも何か買って来るか」

 吉崎が立ち上がった。

「だな。雨降ってるし、購買で済ませよう」

 大野も腰を上げ、健司に呼びかけた。

「お前は?」

「俺は後で行くよ。教授に呼ばれてる」

「今度はなにやらかしたんだ?」

「人聞きの悪いこと言うな。資料届けるように言われただけだ」

 あれ、確かまちさんの用事は金枝教授との会食だったはずだ。偶然? それとも教授なりの配慮ってやつですか?

 だとしたら、ちょっと間が悪い。ついさっき水槽の前で何か――少なくともまちさんがその場から逃げだしたくなるようなことが――あったみたいだから、今二人を同じ部屋にいさせたら、微妙な空気になるのでは?

 亜紀の心配をよそに、健司は資料らしきものを持って出て行った。

 亜紀は健司の背中に問いかけた。

 まさか、まさか言ったりしてないよね? NGワード。

“町田さんは、でめこにそっくりですね”


* * *


 亜紀が四人分のお茶を淹れつつ、研究員たちの戻りを待っていると、大吉コンビよりも先に健司が戻ってきた。

 さっき生体管理室で何があったんですか? 聞きたい、けど聞けない。と思ったら鼻が反応した。この心躍る和の香りは!

「うなぎ、ですか?」

「そう。教授が育てた金枝うなぎ」

 健司が持ち帰ったのは一切れのかば焼きだった。でも、なぜ一切れ? それもお重の蓋に載せて。健司は給湯室からラップを取ってくると、それでかば焼きを覆い、亜紀に言った。

「俺が昼飯を買ってくる間、うなぎを守っててもらえるかな」

 亜紀はうなずいた。“昼飯を買ってくる”も“うなぎ”も、この人が言うと別物みたいに聞こえるなあ。“俺が魔王を倒してくるまでの間、この国を頼む”って言われたみたい。どちらかというと“枯れ専”側の亜紀だが、超人の眼力にはついドキドキさせられてしまう。

「あの。何から守ればいいんでしょう?」

「大野に食われないように」

 なるほど。それなら請け負える。

 健司が再び出て行くと、入れ替わるようにして、大吉コンビが帰ってきた。

「む、このにおいは!」

 大野が顔を輝かせた。ラップで覆っているのに、なぜか即座に在処を突き止めた。

「なんでここにあるんだ?」

「山本さんが教授室から持ってきたんです」

 大野はへえと言い、亜紀に笑いかけた。

「これ、うまいよ。みゆき3号!」

 すごく嬉しそうだ。みゆき3号?

「ひょっとすると5号かもしれんが」

「養殖のうなぎって、オスじゃないんですか」

「なんでか、うちのはメスが多いらしいよ」

 ストレスねえからかな、と吉崎が言い、大野に尋ねた。

「みゆき、は教授が付けたのか?」

「いや、おれだ」

「あ、そう」

「三人で食っちまおうぜ。今のうちに」

 買ってきた弁当から、割り箸を取り出しながら、大野は言った。

「あの、ちょっと」

「あれ、うなぎ苦手?」

「好きですよ。っていうか大好きですけど」

 勝手に食べちゃだめでしょ? とお母さんが子どもに言うみたいになってしまった。

「大野さんから守るように、山本さんにも頼まれてますし」

 亜紀が言うと、吉崎が笑った。

「あいつ、お前の行動、読んでたな」

「ほんとやな奴だよ」

 それはあまりに不当では。亜紀は健司に同情した。

 三人で弁当を開いていると、健司が戻ってきた。超人はあまり食欲がないそうで、おにぎり二つだけだ。

「食欲ねえなら、うなぎくれよ」

 大野はまだ諦めていなかった。

「これは、調査するために渡されたんだ」

「調査?」

 このうなぎを調理した店のタレには何か過不足がある、と金枝教授は思っているらしい。それを探るように言われたそうだ。

「少し分けてやるから、意見を聞かせてくれ」

「よっしゃ任せろ」

「オレはいいや。三人で分けて」

 吉崎が手を振った。

「味のことよく分かんねえから」

 そう言われると、自分も自信がない。亜紀がそう言うと、大野が笑った。

「清水さんは気にしないで、普通に味わって。好きなら絶対食べといた方がいいよ」

「そうなんですか」

 お言葉に甘えることにした。健司は大野から予備の割り箸をもらうと、一切れを半分に割り、その片方をさらに二つに切り分けた。

 はい、と亜紀に差し出されたのが、二分の一だったので、亜紀は恐縮してしまった。

「教授もさ。タレの調査させるんだったら、一人前くれりゃあいいのにな」

 大野が、四分の一切れを少し哀しそうに眺めながら言った。

「お前は、店に行けばいつでもタダで食べられるだろ」

 教授の手伝いでうなぎを店に運び込んでいる大野の特権らしい。

「山本さん、そんなちょっぴりで分かりますか?」

「大丈夫、だと思う」

 じゃあ、遠慮なくいただきます。口にしてみた。

「ん!!」

 亜紀が目を見開いたまま、大野を見ると嬉しそうにうなずいていた。

「一口で二倍食ったような気がするよね」

 その通りだ。うなずくしかない。すごい、なにこれ。

 感動のあまり手をひらひらさせていたら、大吉コンビに笑われてしまった。

 超人は眉を寄せて額に手を当てたまま、四分の一をさらに細かく分けて口に運んでいる。

「うまいな」

「なんだそのリアクションは。みゆきに謝れ!」

「みゆき?」

 健司は不思議そうだったが、それ以上のコメントはせず、箸を置いた。

「大野はどう思った?」

「うまかった!」

 超人は数秒の後、静かに首を横に振った。

「清水さんは?」

 あ、やっぱりわたしにも聞くんですね。これ大野さんと同じじゃまずいよね。こんなプレッシャー感じるなら、もらうのちょっとだけにしとけばよかった。とにかく何か言わないと。

「あの、すごく美味なんですが、あえて言うなら、もうちょっと抑え気味でも良いかと」

 みゆき(うなぎ)そのものがグラマラス美女なのだから、ド派手なドレスよりも、シンプルな方が彼女の魅力を引き立たせる気がする。

「今は、羽飾り付きの帽子までかぶってる感じでしょうか」

「それだ」

 大野が指を突き出してきた。

「清水さんの着想は実におっさん的だが、的を射ていると思う」

「じゃあ、一回脱がしちまえば?」

 吉崎が言った。

「白焼きにしてから別のタレを“着せる”」

「だな。吉崎の表現はさらにおっさん的だが、おれも同感だ」

 大野さん、ちょっとずるい。

 超人はしばらく腕組みをして考え込んでいたが、

「白焼き、はないな」

「なんでだ?」

「合うなら、うな吉さんがもうやってると思う」

「そうか? 養殖って先入観があるから、かば焼きにしてるだけだろ」

 その後、昼休みが終わるまで、四人で喧々諤々うなぎ談義をやっていた(面白かった)。

 結果、困った。うなぎのタレについて考え込む超人は“日本料理界の新鋭”風味だ。お料理上手っていっても家政夫じゃない。

 あのキラキラ、一体どうやって抑えればいいの?

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