第18章 世間は狭い

 ほう。

「うちの会社に、そのお相手がいらっしゃるわけですね」

「ええ」

 亜紀は、交差点のそばで会社のビルを見つめていた時の美春の表情を思い出した。美春の言う通り“ひとこと言ってやろうかと思ってた”のは初めだけだと思う。亜紀が見かけた時は、願掛けでもしているような雰囲気だった。

「その恋、あまり順調じゃないんだね」

 美春に言うと、

「うーん、一応順調かなあ」

 曖昧な返事があった。

「大っ嫌いな最低男から、お友達にはなれたみたいですから」

 へえ。その彼は相当がんばったらしい。

「亜紀さんならどう思いますか?」

「え?」

「本気で好きなんだって信じてもらうために、毎晩彼女に手紙を届けて、いい感じで文通できるようになったのに、会ってもらうことはできないの」

 信じてほしくて手紙を届けてる。でも会えない? すごーくよく似た話をわたし知ってますけども……。

「そのお兄さん、従妹のわたしが言うのも変ですけど、すごく見かけがかっこいいんです」

 よく似た話がさらに近づいた。

「でも、彼女は自分のことブスだと思い込んでて。だから、会って付き合う勇気が出ないみたい」

 なんですと!? 

 間違いない。これ、彼と彼女の話だ。もしも“超美形からのアプローチに困惑している、容姿に自信のない女性”が彼女以外にうちの会社にいるというなら、そっちの方がびっくりだ。

「あのう、その男性って」

 名前を出すのはまだちょっと勇気がいるな。

「すごく背が高くて、国生研で金魚の研究してたりしますか?」

「お母さん」

 母子が驚いたような顔を見合わせ、母の方が言った。

「彼――健司君をご存じなんですか?」

 ビンゴ。

「健司さんとは去年、2か月ですけど共同研究でご一緒しました」

「ええっ?」

 美春が声を上げた。顔に“世間せまっ”と書いてある。

「その彼女――貴美子さんも一緒に」

 貴美子の名前を出すと、美春がちょっと緊張したような表情になった。

「じゃあ、亜紀さんはけん兄と、貴美子さんと両方知ってるんですね」

「そうだね」

「二人のこと、どう思いますか?」

「うまくいってほしいと思ってるよ」

 ほんとに。心から。

「お友達から恋人になれますかね?」

 うーん。すべてはまちさん次第?

「そうなるといいよね」

 亜紀が言うと、美春はうなずいた。それから少し遠慮気味に言った。

「あの、亜紀さんが応援してるってことは」

「ん?」

「貴美子さんて、いい人、なんですよね」

「うん。わたし尊敬してるし、優しい人だよ」

 美春がほっとしたような顔をした。

「ホントに、でめきんに似てるんですか?」

 思わず吹き出してしまった。恋焦がれる女性のことを、親族にもそう説明してるわけね。彼らしいなあ。

「似て――るね」

「あ、そうなんだ」

 こっちは否定してほしかったらしい。

「似てるって言っても、ほんとに目が飛び出てるわけじゃないよ。雰囲気がそれっぽいというか」

 説明するとなるとけっこう難しい。

「でめこちゃんっぽい、って言ったら分かる?」

「うーん。けん兄もそう言うんだけど、全然想像できなくて」

 まあ、そうだよね。

「でも、最近、かなり雰囲気変わったよ」

「変わった?」

 これは恵子さんの発言だ。

「どんな風にですか?」

「先輩、ずいぶん痩せました」

 これは美春ちゃんにも知っておいてほしい、亜紀はそう思って言った。

「彼から毎晩届く手紙、彼女も平気で受け取ってるわけじゃないと思うんだ」

 嬉しくて、でもすごく苦しんでる。

「勇気、出せるといいね」

「ですね」

 そして、どうかその日まで、彼が諦めたりしませんように。

「あのさ」

 違ってたらごめんね、と前置きして、亜紀は美春に尋ねた。

「縁結びのお守りは、健司さんのために?」

 美春がうなずいた。ペトラのビルを見つめていた時の表情に少し似ている。あれは、まちさんに“勇気を出して、会ってあげて”ってお願いしていたのかも。

 そういうことなら、問題ないよね。

 亜紀はバッグを手にした。中から縁結びのお守りを取り出す。

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