第二章(犀川の対陣)‐二

 その頃である。甲軍本営に諏方上原城から書状がもたらされた。於福の不調を訴える手紙であった。昨年、上原城に於福母子を見舞った際に面会した於福の顔は、恐ろしいばかりに白く、豊だった頬はけていた。元々気性のはげしい姫ではあったが、四郎の行く末を案じて諏方惣領家の後嗣に立ててくれと泣き付かんばかりに頼んできたのも、己が命脈が尽きつつあることを彼女なりに予感していたからではなかったか。

 晴信は出来ればこの長陣の最中、そっと本営を抜け出して上原城へ飛んでいきたかった。

「なにも心配することはない」

 於福にそうひと言言って、安心させてやりたかった。だが諸人が辛苦の中に身を置いている只中にあって、自分だけが陣を抜け出すなどという行為が許されるわけがなかった。於福を見舞うためには、目の前の膠着した戦局を打開しなければならないのだ。晴信は河内郡穴山信友を通じて駿河の今川義元に和睦仲介を依頼した。


 今川の使者が葛山城を訪れ和睦を切り出した後、同席していた越後群臣共はあまりの長陣に倦んでいたので

「今川殿のお申出、渡りに船でございます」

 と景虎に進言すること頻りであった。晴信に逐われ自ら景虎の懐に飛び込んできた村上義清でさえ

「かくなる上は和睦撤退もやむを得ない仕儀」

 などと進言するほどであった。

 そもそも村上義清は先年、今川家から派遣されてきた一宮出羽守に恐れをなして不利な和約を強いられた苦い経験がある。葛尾城を逐電して初めて景虎に面会した際、景虎はまるで義清の臆病を嘲うかのように

「村上殿は甲駿の同盟に恐れをなした」

 と嫌味を言われたことを義清は忘れてはいなかった。

 今、眼前に繰り広げられようとしているのは、義清が不承不承締結した甲斐との和約の再現そのものであった。如何に景虎とはいえ、強大な今川家の影をちらつかせて硬軟使い分ける晴信のやり方を前にすれば、不本意な和約を強いられることは免れがたいと思われたのである。

 なので義清は

「このようなやり方こそ晴信が最も得意とするところで、それがしもこのやり方の前に心ならずも屈しました」

 と景虎に言ったが、彼はいつものように涼しげな笑みを浮かべながら

「およそ縁戚や盟約などというものは、弱き者同士が結託した結果です。村上殿の言うとおり、晴信は我等に対する恫喝の意味で今川家を仲立なかだちに立てたのでしょう。しかしこのようなやり方は恐れるに足りません。敵国の同盟などというものは、瓦解させるためにあるようなものです。その方法をこれからとっくりお見せしよう」

 そう言って、和睦に応ずべしという群臣の言を退けた。

 義清には、血で繋がった甲駿の同盟が景虎の言うように容易たやすく破られるものとはどうしても思われなかったので、景虎の発言が負け惜しみのように聞こえたのであった。

 和睦交渉の席が設けられると、驚くべきことに越後側は


旭山城の破却

井上、島津、須田など領土を逐われた北信諸将の旧領復帰


 を講和条件として提示した。

 現在のところ、戦局はどちらにとっても有利不利とはいえない状況であった。にもかかわらず、越後側が厚顔無恥ともいえる和睦条件を示してきたことに甲駿の代表者は驚きを隠すことが出来なかった。こうまで我田引水的和睦条件を示してきたということは、景虎には和睦に応じる気がないものと考えなければならなかった。

 この非常識ともいえる和睦条件によってその場における交渉は一旦打ち切られ、甲軍本営で早速軍議にかけられた。

 それまで和睦やむなしと考えていた甲軍諸将は

「長陣に倦んでいるのは越後も同じこと。然るに斯くも越後に有利な条件を示してくるとは、我等を見くびっておる」

「景虎は物事の道理を弁えていない」

「須田、井上、島津等の領土はそもそも我等が力で切り取ったものだ。力によって取り返して貰おう」

 と憤る意見が大半を占めた。

 だがその中で独り敢然と

「和睦に応ずべし」

 と唱える者があった。太郎義信であった。他の何者かの意見であれば一顧だにするものではなかったが、他ならぬ嫡子がそのような意見を持って発言したため晴信はその存念を聴取することとした。

 義信は

「遠路を押してはるばる我等のために使者を遣わしてくれた義父殿(義元)の面目を立てたい」

 と言った。

 この時期、こういった大名間の紛争を調停すべき公儀はその力を失っていた。代わりにその地域で力を持つ大名が和睦仲介に乗り出してくるようなことがあった。晴信自身、今を遡ること九年前に、駿東における北条氏康と今川義元の抗争を調停したことがある。

 一見、仲介者にとって何の得にもならないような和睦仲介に、何故大名権力は乗り出してきたのであろうか。戦が諸人の苦しみであると認識されていたこと及び、和睦仲介が公儀(将軍家)の権の代行と見做されていたからに他ならない。仲介者として戦を終わらせることは、大名が自らの権威と求心力を高めるための方法の一つであった。

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