第二章(犀川の対陣)‐一

 信濃善光寺別当栗田永壽軒は、神之峰城主知久頼元と同様の苦衷を抱きながら彼とは全く逆の決断をした人である。

 この時期の栗田永壽軒が本拠を構えていた善光寺平は、まさに甲越の力と力がぶつかり合う最前線であり、いずれにくみしても敵対勢力からの攻撃に晒されるであろう場所に位置していた。

 景虎は栗田永壽軒に対し、微笑と恫喝を交えてその離脱を防ごうとしたし、晴信は財を以て甲斐に鞍替えするよう頻りに口説いた。

 晴信がはかりごとをもっぱらにするという話は永壽軒もよく知っていた。永壽軒は、自らの勢力下にある者の内、甲斐の碁石金を握らされている者が既に幾人かあるものと考えて決断しなければならなかった。

 甲越双方の本拠地からの距離で考えれば越後春日山が圧倒的に近距離で、その一点に絞って考えれば景虎の存在は永壽軒にとって脅威に他ならない。だが越後に服従することを明言し、飽くまで武田に敵対する旨旗幟きしを鮮明にした途端、晴信の息の掛かった身内が叛旗を翻し、自分を追放するなり殺すなりしてしまうかもしれないのである。諏方頼重を見舞ったのと同じ運命が、自分にも訪れるかもしれないと栗田永壽軒は思った。そう考えると、永壽軒は景虎を見限って春日山から兵を差し向けられる事をやむを得ない事と考えるようになった。

 永壽軒の頭には、つい先般晴信の調略に応じ、景虎を裏切りながらも鎮圧され赦免された越後刈羽郡北条城主北条高広謀叛のことがあった。

 景虎は謀叛人を赦免したが晴信は高遠頼継が十年以上前に武田に盾突いた事件を今になって咎め立て処断し、或いは叛逆した知久頼元を赦すことなく遠島えんとう配流はいるの末切腹に追い込んでいる。

 越軍に囲まれ籠城戦の末、晴信後詰が間に合わず万が一本拠地旭山城が陥落した場合であっても、景虎であれば赦免してくれるのではないかという永壽軒なりの打算もあった。

 以上の思惑から、栗田永壽軒の籠もる旭山城は俄に武田に転じたのである。

 武田の橋頭堡きょうとうほが突如善光寺平に出現したことで、景虎は北信への二度目の出陣を決断した。この出陣に際しても景虎は毘沙門堂に籠もったが、決断は速かった。

 一方調略が成った晴信は即座に旭山城に援兵を派遣した。晴信が送り込んだのは援兵三〇〇〇、弓八〇〇張、鉄炮三〇〇挺と伝えられている。伝来から十余年で、既に少なくとも三〇〇挺の鉄炮を武田家は入手していたのである。この新兵器を惜しげもなく旭山城に投入したことは、晴信がこの城をことのほか重要視していたことのあらわれであった。

 晴信は天文二十四年(一五五五)三月、旭山城を後詰すべく軍兵一万二〇〇〇を率いて甲府を発し、犀川南岸に着陣した。

 一方の景虎は四月に軍兵八〇〇〇を引き連れて出陣し、旭山城の北に付城つけじろを築いた。葛山城と名づけられたその城に越軍は籠もった。

「越軍より人数では優っているが、八〇〇〇もの兵が籠もる山城に寄せるには衆が足らぬ」

 というのが甲軍諸将の一致した見解であり、城攻めの常道であった。

「必勝を期するのであれば、景虎が葛山城を発し旭山城を攻め囲んでいる隙を見てその背後を衝くべきでしょう」

 と勘助は言ったが、景虎ほどの大将が犀川南岸に布陣している甲軍本営を放置したまま旭山城に寄せるわけがない。つまり、着陣早々生起した膠着状態を打開する方途は他に見つけなければならないと勘助は言いたかったのである。

「別働隊を遣って誘き出すか」

「たとえ全軍を以て寄せても葛山城は容易に落ちまい。小手先の別働隊を遣ったところで個別に撃破されるのがおちだ」

「だがこのまま睨み合っていても打開策は見出せんぞ」

 甲軍の軍議も紛々として結論が出ない。

 この間にも、宛がわれている知行の内から手弁当で参陣している軍役衆は、日々細ってゆく糧秣に不安を抱えながらの野営を強いられていた。持参した兵糧が尽きれば原則として陣を離れても良いことになってはいたが、主家から見ればまさに敵方と対峙している最中に離陣されてはたまったものではない。甲越双方とも、主家が自腹を切ってこれら手弁当の尽きた軍役衆に糧秣を支給していた。そうしなければ味方の離陣を引き留めることが出来なかったのである。

 このような状況なので、最初にしびれを切らしたのは本国がより遠隔に位置する甲軍であった。

 重い糧秣や武器弾薬を運搬するには甲信の険阻な道を行かなければならない。小荷駄こにだ衆にとっては体力的負担となったし、そういった物品を支給する武田家にとっては財政的な負担となった。

「和睦撤退もやむなし」

 とする意見が諸将の口の端に上るようになったのは対陣四ヶ月目に入った七月のころである。

 だが晴信は

「苦しいのは我等だけではない。越軍とて山城に籠もりきりで食料に不安はあろう。踏ん張り時だ」

 と今一度引き締めに掛かった。しかし内心

(このまま睨み合いが続けば、和睦も考えねばならん)

 そう思っていた。

 晴信の言ったとおりで、葛山城に籠もる越軍の間を、いつ止むとも知れぬさざ波のような不安が覆っていた。犀川南岸の甲軍本営を衝こうにも、彼は川を防壁としておりしかも兵数に優っている。強いてそのような挙に及べば、旭山城に籠もる栗田永壽軒に背後を襲われる危険があった。

 だからといって甲軍本営を放置したまま旭山城を攻めれば、それこそ晴信の思う壺であった。戦局を打開する方策がないことは、越軍も同じだったのである。

 兵の間に蔓延する厭戦空気を読まない景虎ではない。諸将から


 何年在陣しても決して景虎を見限らず従う

 

 旨の起請文を徴して引き締めを図っている。

 互いに苦しい局面であった。

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