第一章(小田井原の戦い)‐一

 高遠城に高遠頼継を攻め、福与城を落とし、今や諏方、高遠、上伊那を手中に収めた晴信であったが、各地に転戦し板垣駿河守以下信虎以来の宿老共の戦い振りを目の当たりにして、内心たのしんではいなかった。信濃攻略の総大将に任じた典厩てんきゅう信繁や晴信自身の命令も聞かず、ただ我意に任せて押し進むいくさ振りがいつまで経っても当たり前のように展開されるからである。

 甲斐の気候風土に慣れた軍役衆ぐんえきしゅうは、なるほど確かに個々の武威では他国の諸衆を遙かに凌いでいた。連日の粗食や野営、長距離に及ぶ行軍を厭うことがないし、連戦の疲労を微塵も感じさせず果敢に押し進む。一兵卒単位で見れば理想的な兵である。

 だが一軍を統率する宿老までが、これら一兵卒と同様の心持ちで猪突するのである。私戦にも似た統率を許しておけば、やがて宿老個人の意志で他国を切り取り始め、当主たる晴信の権限を越えて自ら麾下将兵に知行宛行ちぎょうあてがいする恐れすらあるのだ。

 既に予兆はあった。藤澤頼親籠もる福与城攻略の端緒として荒神山砦を取り囲んだ際、総大将に任じた典厩信繁が自ら先陣を切ってこれに取り付き、攻撃を開始した。この状況を後方で観戦していた晴信は戦役後、信繁に対して

「総大将の身であるから自重せよ」

 と叱責したが、信繁は困ったような顔をしながら

「板垣や甘利などが突出し、我先に手柄を争う気配を察しましたのでやむなく自ら鑓を取りました」

 と弁明した。

 信繁に拠れば、思慮なく抜け駆けを禁ずれば各将が疑心暗鬼に陥り、それこそ抜け駆けを生じかねない。そしてこれを防ぐためには、自らが先陣を切って敵中に飛び込むよりほかなかったのだということであった。

「とかく厄介なのは板垣駿河守でございます。率先して敵中に乗り入れ、それがしの統制に従う素振りもありません。そのため彼が参陣すれば諸人負けじと押し出して、自ら陣を乱す有様・・・・・・」

 晴信の目を見ながら声を低くした信繁弁明の結びに、晴信はしばし沈思した。

 諏方、高遠、藤澤の如きは支配領域が限られており、擁する軍役衆の数も知れていた。各領主の思惑もばらばらで、連合して刃向かってきたとしても俄仕立にわかじたてにして恐れるに足りない相手ばかりであった。だがこれから先、晴信が干戈を交えなければならない相手はそんな安易な連中とは毛色が違うのだ。

 既に支配領域を接している小笠原長時は、元を辿れば晴信と同じく甲斐源氏の同族で、信濃守護を拝命している名族である。その求心力は侮りがたいものがあるし、長時個人も弓馬の術を常々心懸け、諸衆に先んじて駆け回り一軍を統率する勇将であると聞いている。また先年の佐久攻略を契機に、関東管領山内上杉憲政とまたぞろ国境を接することとなった。堕ちたりとはいえ隠然たる権勢を保っている相手だ。晴信には自ら好んで関東管領家と交戦する意志はなかったが、相手が碓氷峠うすいとうげを越えて佐久に来寇らいこうするというのであればこれと戦わないわけにはいかない。小県ちいさがた領主村上義清は北信に歴戦して、今や無視できない威勢を備えていた。

 これら先々に敵があることを思うとき、晴信は勘助をして「蟻の群れ」と言わしめた甲軍の悪癖に先が思いやられた。その悪しき慣習の権化ごんげこそ板垣駿河守だった。

 晴信は改めて

(板垣を除かねばならぬ)

 と決意したのであった。

 諏方攻略後、信方を諏方郡代として上原城に入城させたのも、実にこの厄介な宿老を甲府より遠ざける意図があったからに他ならない。

 信方は信方で、少しでも主の目の離れたところで力を蓄えたいという考えがあった。主家の兵を以て信濃を切り取り、やがてその刃を武田に向ける肚なのだ。

 今、武田家中には甘利備前守虎泰をはじめ、飯冨おぶ兵部ひょうぶの少輔しょう虎昌、駒井高白斎政武、原加賀守昌俊、小山田出羽守信有、原美濃守虎胤、多田三八、小幡山城守、横田備中守など綺羅星の如き勇将がひしめいていたが、そのうちで晴信の藩屛に属し、信方排除の秘事を打ち明けるに足る人物は実弟典厩信繁と勘助より他にいないという有様であった。先に挙げたような連中に安易に密議を持ちかけても、無視されるか板垣本人にその情報を漏らす恐れのある人物ばかりであった。信方は今のところ、その胸の裡に秘めた野心を表に出すことなく、表向き晴信擁立の立役者として主家に忠節を尽くす姿勢を崩してはいない。なによりも信濃経略の過程で得た武名が、家中における信方の威勢を大なるものにしていた。

 晴信が新たに取り立てた春日源五郎や工藤祐昌 、祐長兄弟、或いは飯冨兵部の弟源四郎昌景、教来石きょうらいし景政、穐山伯耆守等は依然小身で、密議を実現させられるほどの力はない。その点、家中において晴信に次ぐ地位にある信繁は、信濃経略の過程で才覚を示し一目置かれる存在となっていたし、勘助は勘助で、曾て自分を雇っていた主人が、内心自分のことを疎んじていたことを知悉ちしつし、いずれ信方を見返してやろうと秘かに決意していることを晴信は知っていた。

 晴信は板垣排除を諮問するため、典厩信繁と勘助を召し出した。二人が案内された躑躅ヶ崎館看経間かんきょうのまは、晴信が日常の起居に使用し、写経や思索に耽る私的空間である。勘助は自分と信繁だけが、特にこのような場所に召し出された事情を即座に察した。

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