第一章(勘助仕官)‐三

 晴信の声に、勘助が頭を上げた。その醜男ぶりを目に、主は果たして如何なる表情を見せるや、と一座が静まりかえったが、晴信はなりなど気にするふうもなく早速勘助に問うた。

「まずは経歴を聞こう」

「明応九年(一五〇〇)、三河国牛窪にて父貞幸四男として生まれ、齢十五のころ一念発起して諸国武者修行の旅に発向致しました。爾来じらい二十有余年、全国数多の小大名にお仕え申し、剣は行流ぎょうりゅうを極め、立合に敗れたことはございませんがこのとおり、脚の筋を斬られ、指を斬られして身は不自由にございます」

 勘助は晴信に向かって、却って欠けた手指を誇示するように両の掌を開いて見せた。

 晴信が続けて

「諸国遍歴で兵法を極めたと聞いておる。合戦、城取の手柄話を一つこの場にて披露せよ」

 と命じると、勘助は信方に語ったのと同じく

「一軍を引率して合戦に臨んだことはございませぬ。兵卒として加わった戦はすべて負け戦で終わりましてございます。したがって手柄話などはございませぬ」

 平然こたえてのけたので、一同からざわめきが起こった。

「軍を率いて合戦に及んだこともないのに兵法を極めたとはこれ如何に」

「大言壮語しおって」

 などと、唾棄だきするような言葉が諸方から飛び交った。晴信はこれらを制して更に問うた。

「分かった。では諸国遍歴の上で我が甲州勢の戦振いくさぶりをどう見るか」

京畿けいきにおきまして合戦は、軍役ぐんえき諸衆が心を一つに押し進み敵を囲んで打ち破るというような戦法が主流となっております。いずれの衆も軍規に遵い、一丸となって敵に当たるを心懸け、御大将もかよう軍を統率するに腐心致しております。それに較べると不破関以東の諸侍は我意に任せて押し進み、御味方危うしとみれば付和雷同して崩れ立つなど諸人が点でいくさ致しておるようにお見受け致す。それがし、板垣駿河守様の麾下に加わり数度の戦役を経ましたが、甲州勢の戦い振りは殊にその傾向が強うございます。思うに甲州の諸侍は膂力りょりょく、馬術に優れ、各人の武威は他国の諸侍に抜きん出ておりますが、諸国を経巡り幾多の芝を踏んで参ったそれがしに言わせればこれではまるで蟻の群れ、勝てる戦も勝てませぬ」

 勘助がここまでいうとやにわに

「黙れ」

「蟻の群れなどと」

「無礼なり」

 と怒号が広間に飛び、ある者は立ち上がって勘助に掴みかからんばかりにいきりたった。

「静まれ」

 晴信の声が一座を制した。一同は憤懣やるかたないというような表情を見せながらも、その一声に静まった。

「よろしい。蟻の群れか。ようく分かった。

 では、城取のことについて訊ねよう。甲信の城は土塁を積み丸太を立て、これを縄で縛って木柵もくさくとしているが、他国、特に京畿近辺では石築地ついじを土台に白壁を塗った城を築いていると聞く。石築地は甲信の城でも築かんではないが、京畿のそれは甲信のものを遙かに凌ぐと聞いておる。これはまことか」

「まことでございます。これは近江国に住まう穴太衆あのうしゅうが石切の術に優れ、且つ京畿近郊には、石垣に使用する重い石材を運搬する水運が縦横に流れているからでございます」

「石垣、と申したか」

「左様。石築地などという規模のものでばございません。京畿の城は石材の土台を石垣と称し、御屋形様仰せの通り白壁を建てて防壁となしております」

 晴信は興味を引かれたように身を乗り出した。

「甲信には穴太衆が持っているような石切の術を心得ている者はおるまい。川と言っても川幅は狭く流れは急で水運には向かぬ。京畿の城に優る城を築くこと能わぬか」

「そうとは限りません」

 勘助はしかと晴信の目を見据えてこたえた。

「それがし諸国の城をつぶさに観察し、様々な城取の術を極めました。穴城あなじろ出構でがまえなどの技を駆使すれば、京畿に優る城を作ることも不可能ではございません。例えば出構の一種で丸馬出まるうまだしというものがございます。これは城の外郭そとぐるわをなす三の丸の、更に最前に半円の出構を築いてかように称します。敵勢は三の丸と比較してより規模が小さく、外郭に突出した丸馬出に殺到致しますが、その半円形状により敵の圧力を受け流し、一箇所に集中することがありません。また丸馬出よりあらゆる方向へ矢を射かけることも可能ゆえ、ほりを越えようと試み、或いは塀に取り付いた敵勢に横矢を射かけることも心次第の優れたる構として、武田が有する甲信の諸城に築くべきでございましょう」

 当初は傲慢ともいえる勘助の言に騒然となった一座であったが、皆次第にこれに聞き入るようになっていた。

「山本勘助。譜代家老衆居並ぶ中で、腹蔵ふくぞうなく、臆せずよくぞ申した。知行百貫で余に仕える気はないか」

 晴信は昨日信方が示した知行百貫を勘助に提示した。すると勘助はこたえて

「それがしの策を用いて下さるならば、たとえ知行五十貫でもお仕え申そう」

 と言うと、晴信は喜んで

「よかろう。では知行二百貫を宛がう。今日より余に仕官するがよい」

 即座に出仕を許したのであった。


 信方は晴信と勘助の遣り取りを間近に見ながら、吹き出しそうになるのを必死に堪えていた。広間の一同諸衆にとっては裏付けの取れない話を勘助が延々と垂れ、また晴信がそれを真に受けてさも分かったようなふうを示しながら頷く様が可笑しくてたまらなかったのだ。晴信が身銭を切って二百貫もの知行を即座に宛がったことも滑稽に思えて仕方がなかった。

 ともあれ信方は当初の思惑通り、家中の厄介者であった山本勘助をまんまと晴信に押し付け、追い出すことに成功したのであった。

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