第一章(勘助仕官)‐二

「ほう!」

 晴信は身を乗り出した。

「去ぬる年、御先代の佐久出兵にてそれがし先陣を承った折、馬上にて采配を振るっておりましたところ、この男がやにわに敵首二つを手にそれがしの前にまかり出でました。この男が言うには、それがしが戦況に集中し周囲に意を配る気配がないことを奇貨として板垣様に近づき忍び寄っていた敵勢をこのように討ち取ったのだと申しましたので、それがしはこの者を手柄ある者として我が手勢に加えることとした次第でございます」

 信方の説明に晴信はいよいよ興味を引かれたようで

「板垣、その話は初めて聞いた。そのような勇者がいるならば是非会って話がしてみたい。明日にでもその者を伴って館へ越せ」

 と、その男との面会を求め、更に

「名は何という者か」

 と問いかけられた信方は

「山本勘助と申す者でございます。この者であれば知行百貫の働きは見込めます」

 そうこたえたのであった。

 信方は、晴信が勘助に興味を示し早速面会を求めたことに内心ほくそ笑んだ。

 彼は先ほど説明したような経緯で自らの麾下に加えた勘助のことを快く思っておらず、また評価もしていなかった。

 佐久出兵の折、そもそも敵勢が間近に接近していたことが事実かどうかすら、信方にとっては明らかではない話であった。そこへ突如、敵首と称して何者かの首二つを手に馬前に現れ

「貴殿のお命を救い申した」

 などと恩義背がましく言い出したのが、この山本勘助だったのだ。勘助は信方が取り合わないのを気にするふうもなく、討ち取った首二つを手柄だと頑なに主張して半ば強引に仕官を望んできたのである。

 戦役を終えこの男を伴って帰国し、館においてしげしげ見れば、隻眼であることは既に戦場で見て分かっていたけれども、跛行はこうして板の間での行座の動作も大儀そうであり、手指もその幾つかが欠損していた。そう若くもない。口を開けば、諸国を経巡り兵法や城取の術を極めたなどと大言するので

「では一つ手柄話を聞こうか」

 と差し向けると

「一軍を率いて芝(戦場)を踏んだことはなく、兵卒として参陣した戦もすべて負け戦に終わりましたゆえ、そのもようなものはござらん」

 などと平気な顔をして言い放ったのであった。これには陪席ばいせきの信憲が

「一軍を引率したこともなく、あまつさえ勝ち戦も知らず、兵法城取の術を極めたなど、仕官したさのかたりであろう」

 となじったのも無理はなかった。

 以来二年。

 行きがかり上、今日まで養ってはきたが、案の定というかなんというか、やはり戦場では跛行が災いして一番槍に出遅れ手柄を立てた例がない。いつ放逐してやろうかと思案中に、晴信が人材登用を家中に布礼たのである。

 信方が

(どうせものの役に立たぬ人物だ。これを機に家中より逐い出し、晴信にくれてやる)

 と考えたのも無理からぬ話ではある。

 信方は隻眼跛行、初老にして浅黒い肌を持つ醜男ぶおとこが、その形を理由に仕官が叶わなくなり、家中に舞い戻ってくることをいとい、着衣や大小を新調して持たせ、身なりを整えさせた。そしてその勘助を伴って、翌日躑躅ヶ崎館へと出向いたのであった。

 着衣を新調したとはいえ風采の上がらないなりであることに変わりはない。大広間に参集した家老衆は、不自由な右脚を投げ出して座する勘助を、或いは物珍しいものを見る目で、或いは不快の評定を隠さずに眺めた。そこへ晴信が現れた。一同、平伏した。

「山本勘助であるな。おもてをあげよ」

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