第1章 亡国の公主――1
屋台で焼かれる照り
その下の十字路には、
ツンとする
灰色の
その中を、身の
頭から首までぐるぐると布を巻きつけ、大きさの合わない
彼女はまだ、この都に春が
しかも、うずたかく積み上げられた荷物がじゃまで前がろくに見えないのだ。
主人は
護衛の
人々はこの紋を見るだけで、護衛がこの四華神国の皇帝から借り受けた武官だと知り、道を空けて遠巻きになる。
主人はこうして夫の部下を連れ歩くのがお気に入りなのだ。
そして華琳が抱えている荷物の塔は、彼女の今日の戦利品。
一番下の
主人は蓮礼州の
それでも、四華神国を成す中央・華王城、ほか杏武、桂文、椿仁の三州からこれだけの品を買いこめば、
華琳は必死に彼女たちの後ろ姿を追うが、人だかりに道をはばまれた。
荷物を落としそうになって、アッと短い悲鳴をあげる。
群れる頭のむこうには「
そこに目を走らせたとたん、胸が、冷えた。
「まさか蓮礼の州王さまが
「先月の禁軍の行列はそれかい。王さまは一生
「そりゃアンタ。蓮礼王っちゃあ天華の神の
街の人たちのひそひそ声に、華琳の足は
(蓮礼王が謀反の罪で軟禁?……
華琳の
蓮礼王は、死んだ。今は
謀反の罪だって
「捨て犬! さっさとおいで!」
主人の
「奥さま、ただいま!」
荷物をぐらぐらさせながら往来を行く
ふいに、くぅんと甘えた声が足もとに聞こえた。
見下ろせば、さっき屋台の前にいた仔犬が、華琳のだぶだぶと大きすぎる
だがもう気力も尽きたのか、枝のような
(すぐに、死んでしまいそうだわ)
王府の
(みんなうまく逃げられたかしら……)
あの時は、無事も確かめられずに逃げるしかなかった。
仔犬のあどけない瞳が彼らに重なって見えて、胸がぎりりと痛む。
華琳は荷を片手と
少女と犬は
と、下をむいた視界のすみに、赤茶けた葉っぱ。
路地の奥、建物の石積みと路面の間に、ぎざぎざ
華琳は目をまたたいた。そして空を見上げ、天に
灰色の雲のとぎれ目から、わずかに細い光の帯がさしていた。
(少しだけなら……できるかしら)
「
犬に言い置いた華琳は、路地に人目がないのを
あかぎれだらけの指が、葉先に
指の触れているところから、冬枯れした葉がみるみる明るい緑色を取りもどし始めた。
あざやかな赤い実が、ひとつ、ふたつ、みっつ。
でもここで限界だ。倒れんばかりの空腹だし、天華の神──太陽からもらえる力が少なすぎる。
ぱっと指を
「……よかった」
同じ「犬」どうしの
犬の背中に別れを告げ、荷物を持ち直そうとした、その時。
「これはまた、ずいぶんと気の早い
耳のすぐ後ろに、低く
(見られた!?)
ふり返った
「あっ、あっ」
声を上げるも、荷物の塔は前へ後ろへぐねぐねたわみ──、次の
散らばった干し肉、
「そんな……っ!」
礼を言いながら手を差しだせば、女はそれを自分のふところに
「ま、待って!」
集まってきた人たちは、みじめな家僕が
華琳はあたふたと手近の高価な玉に
その間に絹布も織物も、大袋の塩すらも、次々に華琳の目の前から消え、老人は
(ひどい……!)
華琳は土くれを
「これはこれは、大判ぶるまいだな」
背後に、さっきの男の声。
「あなたっ!」
だれか知らないが、あんな
八つ当たりとは分かっていても、華琳は背後にぎろりと激しい目を向けた。
若い男だ。まだ青年と言ってもいい清潔な
着ているものは商人風のありきたりの丸首袍だが、
そしてからりと明るい、人好きのする
だがその瞳と視線を
この男の瞳の強さは、存在感は、いったいなに──?
黒い瞳に思考を
だが華琳はぶるると首をふり、負けじと男を
「あなたのせいで、荷を落とした」
「
男は華琳とその足もとの犬に眉を上げる。
気づけば、犬も耳を
男は笑みを深めると、手近に転がっていた干し肉をひとつ取り、犬に放ってよこした。
「ほれ、食え。苺では腹にたまらん」
「ちょっと! それは
「旦那さまは、土にまみれた肉など食わんだろうよ」
「土にまみれさせたのはあなたでしょう!」
「だが食わんものを捨て置くよりは、気にせぬものが食ったほうがよいではないか」
今のうちにお前も食え、と、男は二つに
華琳は言葉もなく、
なんだこの男は。土に落ちたものを口に入れよとは無礼にもほどがある。が、睨みつける前に華琳はぽかんとした。残った切れはしを、男が
「うむ。いい肉を食ってる。そなたの主人は金持ちだな」
華琳は手のひらの肉と、尾をふって夢中で肉をかじる犬と、そしてにんまり笑う男の横顔を順番に見くらべる。
落とした肉なんて、食べるべきものじゃない。なのに勝手に腹がぐるると鳴って口の中がうるおってくる。ここ一月、肉なんてかけらも口にしてない。
華琳は肉の切れはしを
華琳は泥まみれの肉を見つめる。
が、
「捨て犬! なにをやっているの!」
彼女は
「捨て犬を打ち
主人の言葉に、華琳は背筋を冷たくしてその場に固まった。
ざわりとする中、護衛の大男が華琳の前に歩み出てくる。
彼は主人から
あんな細っこい子をかわいそうに。骨が
大きな
激痛の予感に、体が勝手に震えだす。
(しっかりしろ。思い出すのよ……! 私がだれなのか!)
母である蓮礼王は、どんなときにも静かな笑みをたたえていた。こんなナリをしていても私は蓮礼公主。絶対に取り乱すものか。
華琳は全身に力を入れ、その場に美しい姿勢で座りなおす。
「捨て犬の分際で生意気だな。こういう時はな、助けてくださいって泣きわめくんだよ」
護衛は瞳を
ふり上げられた杖の金
──来る!
歯を折れんほどに強く食いしばる。
ひゅっと空気を切る音と風圧が、すぐ耳の横に──!
「まぁ、待て」
バシッと強い音が響いた。
……痛みが、ない?
こめかみから伝った冷たい
華琳は見開いた目を、杖のほうへ向ける。
顔の横に、だれかの手の
彼が杖を手のひらで受け止めて、
「な、なんで……っ!?」
痛いはずだ。華琳は前に同じ杖で
息を吞み、男の手の
女主人は品定めするように、彼の
「見たところ、流れ者の用心棒といったところか。知らぬなら教えてやるが、わたくしは
「いや。せっかくの買い物をだいなしにしたのは、こいつの責任だ。仕事ができなかったのだから打ち据えられてもいたしかたない」
「なっ、こ、これはそもそもあなたが……っ」
口を
「年長に対する口の
男は
腕一本で軽々と杖を
「わかったならそこをおどき!」
「いや。いくら役立たずでも、
男は女主人に、護衛に、そして周囲の見物人に、ぐるりと視線をめぐらせる。
男の言うことはいちいち筋が通っている。だが道理が通ろうが、彼女の
「華盟などと、子どもだましの
「子どもだましなものか。この国は今も華盟によって天から守られている」
男は本気なのかからかっているのか分からない笑みを
「銀銭!? こんなに……!」
「
彼の従僕らしき青年が黒毛の
すると男は華琳の腰をがしりと摑み、軽々と持ち上げた。
「なんのつもり!?」
「うん? そなたの主人は
馬の背から見下ろせば、主人は銭袋を
男はあぶみで馬の腹を軽く
野次馬たちはぽかんと口を開けて二人を見送るが、華琳だって訳が分からない。
奥さまは用心棒
(でも、これも天の導きかもしれないわ。……この男を、
「
頭の上から男の笑い声が降ってくる。
「あなた、どうして役に立たない捨て犬なんて拾ったの。金持ちのお
「いいや。俺にとって、そなたほど役に立つ者もいるまいよ」
あの
男は手綱から片手を離し、華琳の頭に巻きつけた布をはぎとった。
突然の暴挙にうろたえる華琳の肩に、
雲間に差し込む清い月光のように、細く重くたおやかに流れる豊かな髪。それはこの世ならぬ色──
そしてあらわになったその
華琳はハッとして
「……その顔をさらして街にいてくれれば、見つけるのに
「あなた、私のことを……!?」
男は
「俺が皇帝になるには、そなたが必要なのだろう? 蓮礼公主、彩華琳」
(つづく)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます