晴天から一転、急に降り始めた雨はどうどうとうなり、天がむせび泣くようだ。

 かべも柱もしろりの、しん殿でんと見まごう美しいしきの奥深く。雨音と男たちのごうを背に、彼はせいかんな横顔を厳しくしかめ、ちようろうをひとり歩みゆく。

 こしにはたいけんき、かつちゆうしゆ地に金のもん

 太子にのみ許された禁色禁紋をまとった彼は、州王一族のさいだんとおぼしきぼうとびらをくぐり、足を止めた。

 それ以上歩を進められなかったのは、おくしたからではない。

 ──目の前に、異様な光景が広がっていたからだ。

 ごくさいしきの花々が壁になって行く手をはばんでいる。いや、壁と言うよりとりでだ。

 ふきぬけの高窓まで届く、群れ生えたいばら石榴ざくろさん、ありとあらゆる花がてつく寒気の中をほこり、とげつるをうねらせ、あるいはするどい葉をむきだしに、こちらをかくしている。

 まさに、花の砦。

 太子は草花をなぎはらおうと剣をき──、ふと、ぐんのつま先が赤く染まっているのに気がついた。血だ。砦のむこうから流れてくる。

 蔦を剣で押し分けてのぞきこむと、最初に目に入ったのは、ゆかに転がった女の白いうでだ。視線をのばせば、子どものうつぶせた体。若い男、きんかんの女。いくつものがいが折り重なり、そのいずれもがかがやはくはつを血だまりに赤く染めている。

 痛々しい姿に、彼は奥歯を強くみしめた。間に合わなかったか。

 中に体をすべりこませると、青甲冑の男の背が目に入った。ぎくりとふり返った男は、真っ赤に血走らせた目を太子の顔にとめ、ただちにひざを落としてきようしゆする。

殿でん! こっ、これは、私が殺したのではありません、すでに自害されていらしたのです!」

 将軍のさけぶような申し開きに、太子はまゆを寄せた。

きよう将軍。だれの許しを得てせんじんはなれた。そのうえ、たとえ自害であろうとれんれい王のむくろを前に神器をぬすもうとは、天をもおそれぬゆうもうな将軍よ。飼い主もろともほうをくれてやらねばな」

 青ざめる将軍を、太子は正面から見すえる。そのこくとうがまっすぐに、深く鋭く彼をく。

 将軍は自分より十も年下の若人わこうどの視線にねじせられ、鼻先にふつふつとあせをにじませた。

 ──その時。

「殿下!」と、青年の張りつめた声。

 その声に太子が気をそらしたいつしゆんすきに、どうと音を立て、将軍の体が石床に落ちた。彼の首から赤いものがき出すように流れていく。

 太子は舌を打った。

 きゆうてい議会にかける生き証人を失ったか。これはめんどうなことになるぞ。

 ふり返れば、若き軍師が茨の棘にされながらもこちらに顔を出すところだ。

「殿下、ご神器は、《てんめいはな》はどこです!? あれが失われたら我が国は……!」

「《華》なき皇帝がそくすれば、国は天の加護を失い国土はたちまちこうはいする。──だが蓮礼王は、絶望しようとも国をほろぼすような方ではない。守り手の絶えた城に《華》は残すまい」

 太子は歩を進め、十人ばかりの遺骸を見て回る。そして花のかんざしの少女に手をかけ、そっと首をあおのけさせた。

「……やはりちがう」

 つぶやきは、えんらいにかき消されるほどに小さなものだった。

 見開いたままの少女のまぶたを閉じてやると、太子はその場に立ち上がる。

「蓮礼王は、第一公主と《天命の華》をがした。世をさわがせず、ごくさがすぞ」

 彼はしばし美しき一族の軀をながめていたが、思いきるように花砦の下へ松明たいまつを置いた。

 ぱちぱちとぜながら、花々をめるように燃えあがる赤いほのお


 こうてん二十八年十一月六日 第七十二代蓮礼王 さいしようぎよくじん

 非業の女王とその血族が天華の園へかえった朝であった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る