第2話
反撃
健一は体を休め此からの事を考えていた。そして今までの事を思い出していた。
1972年7月俺達の小隊はサイゴンの警備に付いていた。ニクソン大統領がパリ協定をするとかしないとか兵隊の間では和平交渉の話しがデマを交えて飛び交っていた。厭戦気分が蔓延してをり酔っ払って揉め事が耐えなかった、そんなときに「ラム、ズウン」と知り合いになった。ベトナムの国立銀行の副頭取をしていた。俺達の小隊は国立銀行、と頭取、副頭取及び家族を守ることだつた。1973年1月29日ニクソン大統領がベトナム戦争の終戦を宣言した。その前からアメリカ軍が少しずつ撤退していた。アメリカ国民のベトナムからの帰国で空港、はパンク寸前だった。ベトナムの要人も船で逃げる者、アメリカ軍とコネが有る者は飛行機で逃げ出していた。頭取は家族と共に素早く逃げ出していた。北ベトナム軍に捕まえられたら見せかけの裁判で銃殺されるのは目に見えていた。
ラムズ、ウンが逃げをくれた。銀行の金庫の鍵とコンビネーションをしつていたからだ、頭取から後始末を押し付けられたのだ。
3月18日に金庫を開け膨大な米ドルを運び出した、アメリカがベトナムに援助した金だ、俺達は銀行から運び出すまでが任務だった。MPとCIAが持ち出し、全部燃やしたと言う話しだった。
ラム、ズウン、がアメリカに亡命させてくれるなら良い話が有るといって地下室に案内した。そこは民間用の貸し金庫でみんな慌てて逃げたので中身はそっくり有る、鍵ももつていると言った。そして別の部屋に行きでかい金庫を開けた、軍の高官や、高級役人がごまかした金だといった、凄い米ドルの札束が有った。俺とマルではどうにも成らないので、マクレガー中慰に相談した、ベトナム戦争が終わったら軍にしがみついているか退役しかなかつた。中慰は直ぐに上官の中佐に相談し中佐は空軍の小佐に話を持ちかけた。
書籍、書類と言うことで頂くことにした。勿論、ラム、ズウンの家族も一緒だ。中慰が小隊のみんなに地下に有る書類を運び出す、健とマルに書類を箱に詰めさす機密文書が多いので地下にいくなと言った。
俺と、マルで、弾丸の箱や食材の箱に詰めた。
貸し金庫の事は報告してないので俺、マル、ラム、ズウンの三人で開ける事にした。
かなりの宝石や金塊が出て来た。三人で均等に分ける事にした、俺は少しだけ、ダイヤの指輪、ネックレスなど貰いあとわ要らない欲しいものが有る、紙屑になるかも知れないがこの無記名の、日本の株券が欲しいといった、2人は好きにしてくれといつたので株券を集めた、住田銀行、四菱銀行、その他、日本の株券をもつてきた、大型のアサルトバックバックに詰めた。
全部一枚が1000株になつていた。1973年3月29日の朝、俺とマルで軍用トラックで銀行に金をとりにいきラム、ズウンの家族(男の子2人女の子1人奥さんラム、ズウン)の5人を乗せ空港に向かった。
空港には物凄いベトナム人が飛行機に乗せてくれといつたがマルが空に向けて威嚇射撃をし空港のゲートを開けトラックが入ると閉めエンジンのかかっている貨物輸送機に向かった。
素早く荷物を積み込み、直ぐ離陸した。
ラム、ズウンにわ持てるだけ金を持てといつて箱に詰める時、金を持たせた、長男は、リツクをしよっているがかなり重そうだった。行き先は日本の立川基地と言うことだった。
金を分けるのは、俺、マル、マクレガー中慰、中佐、小佐、貨物輸送機の機長の6人だった。
マクレガー中慰が何処に隠すと相談を受けたので高校の時、立川基地の軍用機を見に来た時、立川に日本1大きな関東運輸の、、馬鹿でかいターミナル基地が有り貴重品、骨董品など預かりますと書いてある看板を思い出し話すと其処に仕様と言われた。立川基地に付くと滑走路の脇にトラックが置いて有り俺とマルでトラックに積み込んだ、俺とマルでは位が低いのでマクレガー中慰に同行してもらつた。その時、俺達は護衛と言うことで拳銃を預かった。ターミナル基地に付くと、トラックから離れられないといって所長を呼び出した。マクレガー中慰が話し俺が通訳した。所長は俺の腰に刺している拳銃を見て驚いて直ぐに預かってくれた。紛失したり盗まれたら日米関係がまずくなると脅してをいた。
ラム、ズウン家族は基地に一泊し翌日、基地司令官の難民交付の書類を貰い俺と共に外務省に向かった。
基地司令官の書類なのでお昼頃には許可が出た。俺は一泊の外泊許可をもらつているので、ラム、ズウンの家族の為にマンションを探す事にした、大手の不動産屋に行き恵比寿に有るマンションを借りる事にした、契約の時、難民交付の書類を見せだが保証人が居ないと何色を示した。頭にきなのでアメリカ合衆国が保証人だといつてアメリカ陸軍の俺の身分証を見せると直ぐに契約が出来た。そのかわり半年分の家賃を払うことにした。電気、ガス、水道、など契約し生活に居るものを買いスーパーなど探し教えた。4日程立川基地にいたがアメリカで解隊式を行うその後、除隊だといわれアメリカで除隊した。除隊の時一等軍曹に昇進した。中慰、も中佐も大佐もあと事務整理が有るため半年は掛かるみんなが除隊したら分けようと言うことになった。
「一週間も休んだ、体がなまる、次はどいつをやるか俺の土地を奪いやがって、きっちり、落とし前を付けてやる倍返しの反撃だ」
新藤正信、から貰った斉藤連合会、の直属の幹部達のフワイル、を眺めた、勿論写真付だ。
神奈川県の支部長をやることに決めた。翌日、横浜に出向いた、事務所は日産スタジアムからそう遠くない所に有った。だが至る所に、防犯カメラ、が付いており若者達がたむろしていた。おまけに支部長が、糖尿病で月に1~2度しか事務所に来ないことがフワイルに、書いて有った、全て若頭に任せているようだった。支部長の住んでいる、港北区日吉地区に向かった。
大きな敷地で高い塀で囲って有った。若者達も4~5人は居るようだった。支部長の身の回りを世話しているのだろう。だが防犯カメラが至る所に設置して有り塀の上にはレーザー防犯装置が付いていた、塀をこえようとしたら、けたたましくベルが鳴るだろう。回りを見渡したが狙撃するような場所がなかった。
かなり向こうに建築しているマンションが有ったのでいつてみた殆ど完成しており内装だけのようだった。だがかなりの距離が有った。
「此処しかないか、現役の時でもこの距離は無かった」
どのように逃げるか思案して要ると慶應義塾、大学横に有る掲示板が目にはいつた、戦時中此処に、旧帝国海軍が東京から空襲を避ける為、一部本部を移した後が有り月に一度だけ見学が出来ると出ていた。
校内の地図まで載っており場所が印して有った。
地図を頼りにいつてみた、校内の外れにあり大きな木が茂っていた。入口はアルミドワが付いており、鍵が掛かっていた。上手いぐわいに一週間前に見学させていた。俺は夜を待つことにした。映画館に入り寝てすごし夜をまつた。10時に閉館になり映画館を出、遅い夕食を食べ建築途中のマンションに向かった。
マンションの中は廊下に床材や、便器、キッチンセツトセツト等が置かれていた。屋上に上がり外見を覆っているテントの間まから見ると支部長の自宅が見えた。バックから、双眼鏡を取り出し、しばらく眺めた。小さい窓の部屋の灯りが付き男の顔が見えた。「支部長だ、トイレだ、遠いおまけに標的が小さい、」
その後、一時間程眺めたが狙撃する場所が無かった。
「昼間なら雨戸を開け庭に出てくるだろうが、此処からは無理だ」
マンションを出、大学に向かった、正面にある門は閉まっていたが人の出入りする扉は鍵が掛かって居なかった。ガードマンと監視カメラに気をつけ「防空壕」に向かった。、家庭用の扉を使って居たので直ぐに開いた、内側から鍵も掛けれるようになつていた。トンネルの奥にいつたが止めた、至る所に枝別れしたトンネルが有り迷子に成る恐れがあつたからだ。
3日程、毎日神奈川県の天気予報を聴いて過ごした。
インターネットで細かい天気予報を見、横浜地区が夕方から無風状態に成ると出ていたので、今夜決行する事にした。クラーボックスを買いその中に4日間の食料と水を入れた、釣具屋、で大物釣り用の竿を3本買い大型の釣り竿用のケースを買ったその中に、「バレットM82A1ライフル」を入れた。クラーボックス、釣り竿ケース、釣り用の服装をし、バックを背負い持って見るとかなりの重さになった。だが寄与範囲だった。俺は変装した、眼鏡を掛け、顎に付け髭を付け翼の広い帽子を被った。9時に仮の住まいを出た。電車に乗り。11時にマンションの屋上に居た。
「思った寄り距離が有る。13050メーターも有る、この距離は軍に居たときでもやった事が無い、最も銃もこんな距離、撃てる銃は無かった。銃の性能を信用するか」30分過ぎにトイレの灯りが付いたが若者が仕様していた。暗視装置も、レーザー測定器、も作動しており銃は最高のコンディションだった。
更に40分過ぎに灯りが付き、トイレに人が入った。
「奴だ、」素早くボルトを操作し薬室に50口径弾を入れた、安全装置をはずし望遠照準器に奴を捉えた。
チャンスを逃がすと又2~3時間またなけれは成らない。時間が長引くと、トラブルが無いとは限らない。
顔面を捉え静かに引き金を引いた。
小さな窓、一面が血で真っ赤になり、ヒットした事が確認出来た。素早く釣り竿ケースに銃をしまい居たところを見渡して、忘れ物が無いか確認して、マンションの屋上から立ち去った。慶應義塾大学、の門は閉まっていたが人の出入りする扉の門は鍵が掛かって居なかった、おそらく教授達が遅くまで居るから開いて要るのだろう。ガードマンに気を付けて防空壕に向かった。防空壕、の30メートル程手前で20分程、暗視装置、で見ていたが人の気配が無いので扉を開け防空壕に入った。
「此処で2~3日過ごすのか何にも、せず、何も見えず、音も無く、こりやぁー拷問だぁー」
持って来た、ビニールシート、を敷き、横になった、健一は第二の祖国で有るフィリピンのことを思い出していた
フィリピン
6ヶ月後、中佐、大佐、中慰、飛行機の操縦士、俺、マル、が俺の借りたマンションに集まっていた。関東運輸から運び出した金の入った箱を見てみんな複雑な顔をしていた。退役したとわいえ上官で有る大佐が言った。
「さあー箱を眺めていても仕方ない、金、を数えようそして平等に分けよう」
6時間、程掛かり要約数え終わった。最初は戸惑いと後ろめたさ、国、軍を裏切ったと思う気持ちで居たが、数え終わったいまわ、目が輝き歓喜に溢れた顔になつていた。、
「マル、驚くな日本円で計算したら、1人25億円位に成る、何に使う」
「分からん考えて無かった」
大佐達は軍に居た時の顔を使い軍用機でアメリカに運ぶといった、マルは東京に有るフィリピンの銀行に預けフィリピンで引き出すといった。俺は15億を四菱銀行に預け10億をフィリピン銀行に預ける事にした。株券は東京証券に預けた。株券が多いのでびっくりしていた。俺はフィリピンで暮らそと思っていたのでフィリピンに向かい。マルの故郷の島に向かった。
浜辺は珊瑚の欠片で真っ白で遠浅に担っており、浜辺の後ろは余り高く無いなだらかな山だった。大きさは日本にある小豆島を小型にしたような面積だった。俺はフィリピンと言うよりこの島が気に入ってしまい此処に住もと決めた。そんな時にマルが面白い話をもつてきた。
「健そんなにこの島が気に入っているならこの島買え。フィリピン政府には今、金が無い、今なら買える」「マルそんな事有るわけ無いだろう、自分の国の島を切り売りするなんて」
「健、本当の話しだ、フィリピンには何千と言う島が有る、この国は10人位の地主が農地を持って要る彼らは要塞のような邸宅に住み私設の軍隊まで持って要る、こんな、ちっぽけ島、彼等には眼中に無い、賄賂次第だ」
「買えるなら買いたいだけど高いのか、値段がさっぱり分からん」
「任せろ明日マニラに行こう」
翌日マニラに船で向かい俺をホテルに残しマルだけが出かけた、夕方戻ってきて3日待て値段を決めると言うのでマルと2人で昼間は市内見物、夜は女の子と遊んで過ごした。
「マル郊外に有った工場、何故稼働してないんだ」
「あそこは縫製工場だ、ベトナムの多国籍軍に、Tシャツ、下着、戦闘服、ありとあらゆる布製品を作っていた、ベトナム戦争が終わったらお払い箱さ、フィリピン軍がベトナム戦争、に行く変わりに貰った利権さ」
「マルあの工場欲しい、俺も何か仕事おしなければ成らない、製品お作って日本に売る、この国は日本寄り人件費が半分以下だ売れる」
「良い考えだ、あの工場は大統領の弟が国の金を使って建てた、使い道が無いはずだ、任せろ賄賂次第だ」
翌日の午後2時頃に金額が出た、島は、1億5千万円、縫製工場は1千万円、その外5千万円、5千万円は現金と言われた。翌日大統領の宮殿で大統領自ら立ち会うと言われた。ついでにフィリピン国籍も欲しいと頼んだ。翌日大統領の宮殿で書類を交わした。
「健これでフィリピン人だ、島の王様だ、俺も島の国民だよろしく頼む」
冗談を言いながら2人は島にもどった、マルは島民を集めとんでも無い事を言い出した。
「健一がこの島を買った健一が王様だ、困った事、してほしい事何でも相談してくれ、出来る事は何でもする」長老のような老人が進み出て喋り出した。
「この島はとても貧しい、神が見捨てた島です、この島の者は満足にご飯を食べていません、取りあえずご飯を食べれるように頼みます」
俺はその時、大統領の言った事を思い出した。
「島の者達はとても貧しいよろしくお願いします」
大統領の言った事が要約飲み込めた、島の値段が安いはずだ、取りあえず明日、米、と何かおかずを買う事にした、翌日、米10トン、生きた鶏1000羽、調味料、豚肉200キロ、それらをチャーターした船で島に運んだその夜、島民は示唆しぶりのご馳走で大騒ぎしていた。翌日長老がお願いしたい事を言いに来た。
俺は聴いて要る内に頭が痛くなった。学校、きれいな水、病院、船、仕事、只言える事は、与えるだけでは駄目と言う事だった。東京に行くことにした、縫製工場を立ち上げなければ成らない。、
東京に付くとラムズウンに電話した、会って縫製工場の話しをすると直ぐに乗った。
「健一さん任せて下さいベトナムに居るときは私偉かった、日本の商社の人達沢山しつている私日本に帰化している」
翌日証券会社に行き株券を全部売った、バブル景気とかでかなり高値で売れるらしい。
ラムズウンと2人で会社を設立する事にした、さすがにベトナム1の銀行の副頭取だけあつて動きと、計算先を読む事は流石だった
俺はホテルで新聞を読んで居ると素晴らしい事が出ていた、日本政府がフィリピン沖で取れる「マグロ」の漁業権の交渉に近隣の4ヶ国と交渉にはいつたと出ていた。俺達でマグロを取れば島民の仕事が出来る、フィリピン政府は権利を日本政府に売るだけだ他の国も同じようなものだろう。
ラムズウンに多目的に使える漁船を買ってくれるようにたのみ商社を通じODAを使ってくれと頼み漁船員の訓練も頼むと言った。ラムズウンと2日程綿密な打合せをし島にもどった。
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