第24話「おはよう、おかえり」

 とりあえずの危機は、去った。

 ただ、実質的な問題は全て先送りにされた、それだけだった。

 だが、外崎正重トノサキマサシゲにとっては、助け舟を出してくれた染井吉乃ソメイヨシノの言葉が嬉しかった。帰ってきてくれて、本当に嬉しかったのだ。

 何やらあわただしい中で、彼女は突然倒れてしまった。

 今、姉の外崎涼華トノサキリョウカが見てくれている。


「相変わらずオヤジからの連絡はない……電話も繋がらないし、メールの返信もない」


 一人でまんじりともせず、事務所に使ってるスペースで机の上に突っ伏す。

 形態は勿論もちろん、会社のメールアドレスにも何も連絡はなかった。

 チョコチョコと客が来て、その都度つど店に出てレジを打つ。だが、もうすでに仕事どころではなかった。リカーショップトノサキ、存亡の危機である。

 どうにも落ち着かず、吉乃の様子が気になって正重は自宅へ戻る。

 店の奥はそのまま居住スペースで、居間に敷かれた布団ふとんに彼女は眠っていた。


「……少し、せた? かなあ? うーん、どうだろう」


 今、布団から首だけを出して、吉乃が眠っている。

 安らかな寝息ねいきに合わせて、布団の上からでもわかる豊かな胸が上下していた。何より、眼鏡めがねを取った吉乃を見るのは初めてだ。

 心なしか以前よりやつれて見えるのは、気のせいだろうか?

 だが、やっぱり吉乃は綺麗なお姉さんで、まじまじ見るのが悪いと思っても目が離せない。枕元にぽつねんと座って、正重は背を丸めて途方にくれていた。

 彼の視線が何かに作用したのか、うっすらと吉乃が目を開く。


「……あら? まあ、私は……どうして。あ、正重さん。え、えと」

「おはようございます、吉乃さん。覚えてませんか? 店で倒れたんです」

「確か、ハッピーマートのフランチャイズ契約が……」

「ええ。それで、あの人達を追い返してくれたとこで、突然」


 吉乃は裸眼の視力はどれくらいだろうか?

 ゴシゴシと目をこすりながら、上体を起こす。

 そして、正重は絶叫を張り上げてしまった。


「どっ、どど、どうしましたか? あの、正重さん?」

「いっ、いい、いや! その……吉乃さんっ、駄目です! ふ、布団に入って!」

「えっと……ひあっ!? どっ、どど、どうして私、裸なんですかっ!?」

「知りませんよ! 見えてます、見えちゃいますから! 早く!」


 正確には、下着を身に着けている。

 それを正重は見てしまった。

 普段から、バスタオル一枚で風呂上がりの姉がウロウロするような環境に暮らしている。それでも、吉乃の半裸はまぶし過ぎた。

 そうこうしていると、台所から涼華がやってくる。


「よしのーん、起きた? お腹、減ってない?」

「りょ、涼華さんっ! あの、私っ!」

「あー、スーツがシワになるから脱がしたよん? あ、マサ君やっらしー! ヒューヒュー! ……今、あったかいもの持ってくるね。しばし待たれよー、わはは!」


 涼華はいつものマイペースだった。

 再び吉乃は布団へもぐり込んで、顔だけを半分出す。

 耳まで真っ赤になっていて、それは多分正重も同じだった。

 何故なぜか、意味もなく正座して身を正してしまう。

 ひざの上で握った拳が、なんだか妙な汗を内包してしまうのだ。


「まっ、まま、正重さん……見ました、か? 見ちゃいましたか?」

「あ、いえ……すんません、見ました」

「そう、ですか……うう、これは、その、あれです。ずっと最近、久しぶりに徹夜続きで」

「……お疲れ様でした、吉乃さん。あっちの方は、片付きました?」

「はい……これも全部、正重さんと皆さんのおかげです」


 恥ずかしそうに吉乃が笑った。

 そのほがらかな笑顔が、やっぱり正重には嬉しい。

 しかし、脳裏にはまだ先程の白い肌がちらついていた。

 下着の色は、グレー……やっぱり、地味だ。

 確かに、派手派手はではでな赤とかピンクとか、そういうのは困る。普段の白や黒だって、下着になったら別の意味を持つ色だ。でも、うら若き二十代の娘が、灰色の下着ってどうなんだろう。

 デザインも、あんまり凝ったものではなかったような気がする。

 時々姉が、目の毒でしかない格好でぐーたらしてるので、尚更なおさらそう感じた。


「正重さん、それで、あの……さっきの話ですが」

「ああ、オヤジと連絡が取れないんだ。ただ、多分……オヤジは了承りょうしょうしたんだと思う。どれだけ説明されて、どれくらい理解したかはわからないけど」

「それは、不当です! 少なくとも、このお店にとってはよくありません!」

「っとっとっと、吉乃さん落ち着いて。あと、布団の中にいて」


 飛び起きそうになるほどに、吉乃が身を乗り出してくる。

 その両方に手を置きそうになって、慌てて、正重は自分を落ち着かせた。

 またも吉乃は、真っ赤になって布団をかぶる。

 そうこうしていると、涼華がおぼんを持って現れた。湯気をくゆらすスープから、コンソメのいい匂いがする。彼女は正重にもお茶を手渡してくれた。


「はいはい、マサ君あっち向いててね。よしのん、起きれる?」

「は、はい。あの、すみません……お手数をおかけして」

「いいのいいの、もう全然いいの! あ、これあたしのだけど着て着てー!」


 いいよと言われて振り返ると、吉乃はパジャマ姿に着替えていた。

 ホッとして、正重もちゃぶ台を二人と囲む。

 眼鏡をかけた吉乃は、ようやく微笑ほほえんでくれた。


「急いで帰ってきたので、何も食べてなくて……新幹線の中で、少し寝たんですけど」

「もー、駄目だよ? よしのん、頑張り過ぎ」

「すみません……手料理も久しぶりで」

「まーたあやまる、この娘は! ほら、食べて食べてっ!」


 熱いスープに口をつけて、どうにか吉乃は一息ついたようだ。

 ようやくいつもの優しげな表情が戻ってくる。

 そして、あくまで涼華は普段通り、唯我独尊ゆいがどくそんなマイペースだった。


「さてっ! 例のコンビニ騒動に関しては……あたしたちで対処するしかないみたいね。マサ君、今日は家族会議だよっ!」

「あ、そういうことでしたら私は……お邪魔になってはいけませんので」

「ちょい待ち、よしのん! 従業員なんだから、よしのんもいて。もうすぐ清春キヨハルさんも帰ってくるから。四人で作戦会議!」

「家族会議って」

「フッ、言わせるなよ子猫こねこちゃん……おめぇさんもずっと、リカーショップトノサキの家族だぜっ!」


 台詞ぜりふだったらしく、腕組み得意げに涼華はドヤ顔だ。

 だが、正重も吉乃にいてほしい。

 それはもう、自分の心情的なものが大きいが、彼女の知恵を借りたいのだ。


「ま、アットホームな職場のナントヤラ、みたいな? 吉乃さん、色々話を聞かせてください。さっきも凄い詳しかったし、その、俺たちを助けると思って」

「そ、そういう、ことでしたら……でも、私なんかが、家族……いいんでしょうか」


 正重は大きくうなずいた。

 自然と肯定の気持ちがあって、それは以前よりずっと素直だ。

 とりあえず、配達の喜多川清春キタガワキヨハルが戻るのを待って、正重達は今後を真剣に話し合うことになった。それは正重は勿論、このリカーショップトノサキの全員にとって、未来をかけた大事な話し合いになるのだった。

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