第23話「勝利の女神の帰還!?」

 外崎正重トノサキマサシゲ安堵あんどした。

 ホッとしたのだ。

 帰ってきてくれると信じてたし、疑わなかった。

 それでも不安だった自分は、まだまだ子供なんだと思い知らされたのだ。それでも、その人の前では大人でいたい。男だと思われたい。

 染井吉乃ソメイヨシノすでに、彼にとってそういう女性になっていた。


「ただいま戻りました、正重さん。涼華リョウカさんも。ちょっと、失礼しますね」


 スーツ姿の吉乃は、いつも通りの地味なモノクロームだ。

 彼女がカツカツと歩むと、長い長いみがひるがえる。そうして、細く白い手を伸べて、向田一歩ムコウダハジメの手から契約書を取り上げた。

 一瞥いちべつしてうなずくと、吉乃はそれを正重へと差し出した。


「正重さん。この筆跡は、お父様のものですか?」

「へっ? あ、ああ、ええと……お、おかえりなさい」


 全然見当違いの言葉が、口をついて出た。

 それで吉乃も、ほおを赤らめる。


「そ、そうでした……あ、あの……ただいま、もどり、ました」

「あ、いえ。で、ええと……この字、は……あっ!」


 改めて正重は、契約書をにらむ。

 横から顔を突っ込んでくる外崎涼華トノサキリョウカも、目を丸くした。


「これ、違うわよね! 父さんの筆跡じゃないわ」

「ああ、オヤジの字じゃない……つまり」

「ええ。まず、第一にこの契約書は無効かもしれないということです」


 そうして吉乃は、くるりと振り向いた。

 一歩は彼女を見て、わずかに頬をピクリとふるわせる。

 だが、それでも鉄仮面てっかめんのように張り付いた笑顔は崩れなかった。


「先程も申しました通り、こちらの社長さん……外崎大五郎トノサキダイゴロウさんの了承りょうしょうのもと、作成させていただいた契約書になります。社長さんから何かお話は?」


 正重も一歩踏み出て、吉乃に並ぶ。

 隣に吉乃がいてくれるだけで、先程の何倍も心強かった。


「オヤジからは、例の件を頼むとしか……具体的な話はまだ何も聞かされてません」

「おやおや、社内の連絡ミスですね。……21点、といったところでしょうか」

「とにかく、俺達にとっては全く知らない話です。それに、俺はこの店をコンビニにするつもりはありませんよ」


 契約書を突っ返すように、グイと一歩の胸へ押し付ける。

 だが、彼はそれを受け取り余裕の笑みだ。

 しかし、吉乃が話し出すと……細い目をますます細めて、その輝きを強くする。それはどうやら、一歩が不快感や怒りを感じて動揺した時の表情らしい。

 事実、彼は立ち尽くしたまま吉乃を見下ろし続けていた。


「まず、事業主の同意を取られたとのことですが」

「電話でお話させていただきましたし、メールのやり取りでも、事業内容は正確にお伝えしてあります。全て、社長さんと合意の上ですが」

「仮にそうだったとしても、正重さんのお父様が?」

「……それはそちらの都合でしょう。何でも、世界中を旅して回っているとか」

「実質的なこの店の主人は……ここのあるじは、正重さんです」


 いつになく吉乃の言葉は、鋭く強く響く。

 どこか優しげで気弱な印象は、今はない。

 そして、彼女は正重や涼華にも説明してくれた。


「これ、の書類ですね。どういったものか、正重さんはご存知ですか?」

「い、いや……そもそも、フランチャイズっていうのは」

「業務形態の一つで、ハッピーマート本社の子会社同然で契約し、働くということです」


 吉乃は教えてくれた。

 こういった形でコンビニのフランチャイズ契約を結ぶと、その先に恐ろしい未来が待っていると。まず、仕入れは全て本社からしか行えない。そして、大半が本社の決めた金額での仕入れをいられるという。また、売れ残った在庫や日切れの弁当等、全て廃棄となったものの処理費用も自己負担である。

 その上で、売上から本社にロイヤリティを払わねばならないのだ。

 厳密には違うことも多いが、おおむねそういった傾向が強いと吉乃は言う。

 そして、それらを一言で簡潔に涼華がまとめてくれた。


「それって、! よしのん、どうしよぉ! うち、なくなっちゃうの? あたしもマサ君も、どうやって暮らしてったら」

「いえ、この契約は無効となる可能性が高いです。先程も言った通り、リカーショップトノサキに対して影響力のない、書類上の社長の同意を取ったに過ぎませんから」


 だが、先程の契約書を見ながら一歩は冷静に言葉を選んできた。

 先程にもまして、抑揚よくように欠く平坦な声である。

 あるいは自分に平静を呼びかけ念じて、言い聞かせているのかもしれない。


「書類上であれなんであれ、事業主である社長さん、外崎大五郎さんの意志を確認したことは事実です。今すぐそちらで、社長さんに確認を取られては?」


 早速正重はメールを打ち始める。

 だが、スマートフォンを操作する手が震える。

 そして、知っている……自分の父親は、こちらからのメールに返事をよこすことは稀だ。時々思い出したように、どうでもいい写真を送ってきたりするが、基本的に一方通行なのだ。

 吉乃は毅然きぜんとした態度で、そんな正重の横に寄り添い続けてくれた。


「とにかく、今日は一度お引き取りください。改めてまた、こちらからご連絡差し上げたいと思います」

「では、明日からの工事を延期するとして、一日だけ時間をあげ――」


 その時だった。

 意外な人物が声を上げる。

 それは、レジまで駄菓子だがしの山を持ってきた、あの野原のはらと呼ばれていた女性だ。


「ちょーっと待ったぁ! まどろっこしいですよぅ! ……ここはわたしが預かりますっ!」

「……野原君」

「わかってます、部長! でも、わたしもがけっぷち……そうですよね? このハッピーマートの案件、わたしの担当ですもの。これに失敗したら、わたしは」

「理解して頂いてるなら結構ですが」

「ここは一つ、勝負! こっちもハッピーマートの出店、譲れないんで!」


 彼女は改めてレジの前に駄菓子を積み上げると、あたふたと名刺を取り出した。

 野原花子ノハラハナコ、それが本名らしい。

 染井吉乃も凄い名前だが、野に咲く花と書いて野原花子……なかなかいい勝負だ。

 花子は周囲を見渡し、はっきりとこの場で言い切った。


「悪いけど話は少し急いでるんで! どうしてもここ、ハッピーマートになってもらいます! 最後にもう一度……もう一度だけ。一緒にコンビニ、やりましょう! わたしも経営コンサルタントとして、いっぱい、いーっぱい! お助けしますから!」


 だが、正重は隣で吉乃の頷きを拾って、はっきりと告げる。


「悪いけど、すみません。うちの家業かぎょう酒屋さかやなんで。お断りします」


 一歩が小さく「0点」とつぶやいた。

 花子も言葉に詰まって、上司である一歩に救いを求める。だが、一歩はすがるような視線に目もくれず、出直しましょうと言って店を去った。

 慌てて花子があとを追う。

 どうやら向こうにも事情があるらしい。

 そう思った瞬間……隣で吉乃が倒れた。

 慌てて抱き留めた正重は、驚くほど軽くて柔らかなその身体に狼狽うろたえるばかりだった。

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