第22話「予兆が集いて、寝耳に水」

 午後の昼下がり、どうしても店番は眠くなる。

 外崎正重トノサキマサシゲは、改めて日々が平々凡々へいへいぼんぼんなことに退屈していた。毎日朝早く起きて、店を開け、姉の外崎涼華トノサキリョウカが作ってくれる飯を食べる。ありがたくてかけがえのない平和だが、刺激は極めて少なかった。


吉乃ヨシノさん、大丈夫かな……メールは、ナシと。オヤジからも……ナシ」


 最近、スマートフォンを見ることが多くなった気がする。

 気付けばメールの着信ばかりを気にしてる。

 そしてその都度つど染井吉乃ソメイヨシノにプライベートなメールアドレスを教えてないことを思い出すのだ。でも、またすぐに忘れて携帯電話を確認する。

 心なしか、ネットでニュースを見ることも多くなった。

 こういう時、手の平ですぐに開けてすぐに読んで、すぐにやめられるのが便利だ。


「ま、便たよりがないのはいい便り、って言うしな……あ、いらっしゃいませ!」


 午後になって初めての客が現れた。

 最初、一見いちげんさんだと思ったが、すぐに思い出す。

 強烈な違和感は、再びこの店内をじっとりと見渡していた。

 髪を綺麗にけた、張り付いた笑みのような中年紳士だ。その細めた目が、最後に正重を見詰める。背後には、例の甘いお菓子で酒を飲む女性も一緒だった。


「……ふむ。先日より少し、こう……衛生面で悪くなりましたね。12点」

からっ! 部長、いつもですけど点数が激辛げきからですよう」


 酒を選ぶでもなく、真っ直ぐその男は正重のいるレジへやってきた。そして、スーツの内ポケットから名刺入れを出す。

 社会経験の少ない正重でもわかるくらい、形式にのっとった落ち度のない礼儀だ。

 マニュアル通りなんだろうが、何も伝えず感じさせない態度で名刺が差し出される。


「わたくし、ハッピーマートの事業部から来ました、向田一歩ムコウダハジメと申します」

「あ、ども……ハッピーマート? ああ、この商店街にできるコンビニの?」

「ええ。その件で本日、御挨拶ごあいさつうかがったのですが」


 名刺には経営コンサルタントの肩書があって、向田事務所と書いてある。

 恐らく、ハッピーマートの人間ではなく、部長待遇で外から事業に協力している関連企業なのだろう。

 正重が名刺の扱いに困っていると、奥から涼華が飛び出してきた。

 尻尾があったら千切ちぎれんばかりに振られていそうな、子犬みたいな笑顔だった。


「ハッピーマート! えっ、ひょっとしてこの町には初進出じゃない!? しかも、この商店街に! くーっ! 助かるぅ!」


 人前であるにもかかわらず、タンクトップにホットパンツという格好で、涼華がぴょんぴょん飛び跳ねる。寒くはないのだろうか?

 子供は基礎体温が高いという話があるのを、正重は思い出していた。

 能面のうめんのような笑顔で、一歩は静かにうなずいた。

 ますます涼華の笑顔が輝いていく。


「マサくん、やったね! ハッピーマートのお弁当って美味しいの! これで夜中におつまみが切れても大丈夫だ! 飲んだあとのカップめんも、店から拝借しなくて済むし!」

「……やっぱ姉貴あねきだったか。時々数が合わないんだ、やめろよな」

「エヘヘ、めんごめんご! それで? いつ? いつできるの!?」


 仕事用の黒光りするかばんから、一歩は書類を出してきた。

 その間ずっと、連れの女性……確か、野原ノハラと呼ばれていた部下らしき人は店内を物色中である。駄菓子のコーナーでいちいちキャーキャーと騒がしい。

 そんな部下を気にもとめず、一歩は事業計画書じぎょうけいかくしょなる分厚い資料を差し出す。


「今年の夏に開店を予定しております。地域に根付いた、地域に愛されるコンビニを目指しておりますので」

「は、はあ」

「わー! 夏っ! 待ちきれなーい!」


 いわゆるプレゼン用の資料なのだろう。カラーで写真やイメージイラストが綺麗に並んでいる。正重の手元をのぞんで、涼華は浮かれる一方だった。

 だが、奇妙な違和感はどんどん強くなる。

 何かが、正重の中で警鐘けいしょうを鳴らしているのだ。

 警戒せよと、本能のような何かが胸の奥で叫んでいる。

 そして、叫んでくれてるイメージが一人の女性をかたどった。

 今はここにいない、仲間……ここに帰ってきてくれる、大事な人だ。


「えっと、ちなみに、あの……」

「はい、なんなりとお聞きになってください。懇切丁寧こんせつていねいに説明させていただきますので。わたくし共は常に、満点まんてんの事業を提供させていただきます」

「はあ。それで……どこにできるんですか?」


 この商店街にも、空き家の一つや二つはある。

 大きさにもよるが、夏の開業を目指すならそろそろ改装工事を始める頃だ。

 季節はすでに、四月の半ばを過ぎた。

 ようやく東北のこの町も、春らしくなってきたところである。

 だが、一歩の一言に正重は耳を疑った。


「おや、そちらの社長さんからはお聞きになっていないのですか? ……8点、ですね」

「は? 何でオヤジが」

「社長さんには御了承ごりょうしょう頂いてまして……


 正重は黙って固まってしまった。

 涼華だけが「またまたー」と脳天気に笑っている。

 だが、一歩の表情なき笑みに、次第に彼女も静かになっていった。

 ギュムと正重の腕を抱き締めて、涼華は身を寄せてくる。


「マサ君っ! うち、コンビニになるの!?」

「い、いや、聞いてない……って、ああっ! そ、そういえば!」

「そういえば?」

「前、ワイン……オヤジから送られてきた、スペインのワイン」

「あれ、美味しかったわねえ。お得意さんもみんな喜んでたし」


 そのワインに手紙がついていた。

 そして、意味深な言葉が追伸ついしんえられていたのを思い出す。


 ――


 確かにそう描かれていた。

 そのことに関して、全く説明はなかった。

 だが、合点がてんがいった。

 トドメのように、一歩はもう一枚の紙を取り出す。


「こちら、契約書です。社長さんから了承を得て、作成させていただきました」


 そこには、確かに父の名が書かれていた。

 あまりに突然のことで、思考が完全にフリーズしてしまう。


「では、工事の方ですが明日からでも始めさせていただきます。それで、皆様には開店後もハッピーマートのクルーとして――」


 事務的に淡々たんたんと、粛々しゅくしゅくと話が進められてゆく。

 腕に涼華をぶら下げたまま、正重は現実感のない話に身を強張こわばらせた。

 りんとした声が響いたのは、そんな時だった。


「その契約書、拝見はいけんしてもよろしいですか?」


 正重は、待ちかねた姿をそこに見た。

 両手いっぱいの駄菓子だがしを抱えた野原さんの向こうに……黒いスーツ姿の女性が立っている。キャリーバッグを引いて現れたのは、あの染井吉乃だった。

 桜前線はるのおとずれを引き連れて、吉乃は正重達の店に帰ってきたのだった。

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