第19話「飲めない飲み会、飲みたいキモチ」

 夕暮れ時の町並みは、どこかいつもより風景が綺麗に見える。

 夕焼けに縁取ふちどられた全てが、温かな空気に調和していた。

 そんな中、外崎正重トノサキマサシゲ染井吉乃ソメイヨシノと二人で歩く。心なしか、距離が近い。手をつなぐとか、そこまではいかない。腕を組むなどもってのほかだ。

 だが、すぐ近くに見下ろす今日の吉乃は、相変わらず地味だが綺麗だった。

 先程から落ち着かなくて、ついスマホばかりいじって歩く正重。


「げっ! あ、姉貴あねきの奴め……」


 吉乃に付き合ってくれと言われた。

 それは、今夜少し愚痴ぐちに付き合ってくれということだった。その関係もあって、これから正重は彼女と夕食というか、軽く飲みというか、そんな感じである。

 勿論もちろん、正重は未成年だから酒が飲めない。

 だが、それなら姉貴を、外崎涼華トノサキリョウカをとも言ったら、吉乃が首を横に振ったのだ。

 と、彼女は言う。

 そして、姉からは『しっかりヤれよ、童貞小僧どうていこぞう!』というメールが返ってきた。


「あ、涼華さんからメールですか?」

「あ、いや! そういう感じの、まあ、はい、です」

「正重さん? ……ふふ、ひょっとして、緊張? してます?」

「そうかも……いや、でも、なんていうか」


 吉乃はいつも通り、長い長い黒髪をみにっている。服装は深緑ふかみどりのロングスカートにシャツを着て、肩掛けみたいなものを羽織はおっている。

 周囲に、彼女の姿へ目を止める者はいない。

 まばゆい輝きも、鮮烈せんれつなる熱さもない……まるで炭火すみびのような暖かさ。

 それが今、正重にだけじんわりと伝わってくるのだ。


「でも、ごめんなさい。正重さん、お酒飲めないのに……でも、話さなきゃと思って」

「い、いえ! 俺はほら、オヤジがあんなんだから。小さい頃は結構、居酒屋にも出入りしてたし。それに、姉貴だって俺に遠慮せずガンガン飲むから」


 そう、酒屋の息子だけあって、正重の周囲には幼少期から酒があった。父親は頻繁に居酒屋に連れて行ってくれた。母が元気だった頃の話だ。

 煙草たばこの臭いに酒と料理、ラジオの歌声に油がバチバチと跳ねる音。

 当時はまだ小さかった涼華と共に、両親の楽しそうな顔を見て育った。

 そんなことを思い出しながら、これといってオススメの店もないので正重はいつもの場所を訪れる。

 入り口の暖簾のれんをくぐると、元気のいい大将の声が出迎えてくれた。


「おっ! マサちゃん、らっしゃい! よめさんと一緒かい? こないだは魔王、ありがとよ! 奥が空いてる、ゆっくりしてってくれな!」


 ゲンさんこと、吾妻源太郎アズマゲンタロウの経営する居酒屋『吾妻家あずまや』だ。ここはリーズナブルながらつまみも飯も美味しいし、酒の種類も個人経営にしては豊富なラインナップだ。

 ここに酒を納めているのはリカーショップトノサキだ。

 なるべくお得意先の店を使うことにしてて、それもまんべんなくと心がけている。それに、どんな酒が最近は好まれるのか、現場で直接見聞きすることも大事だ。

 大事だと自分に言い聞かせて、正重は吉乃との時間を正当化した。


「嫁さんじゃないって、源さん」

「お、まだなのかい? へへ」

「そういう予定、ないですよ……すみません、吉乃さん」


 吉乃はクスリと笑った。

 何だか、意外なリアクションに正重は戸惑とまどう。

 まだ五時を過ぎたばかりなのに、店内は賑わっていた。多くがお年寄りで、夕食を兼ねて一杯という感じだろう。ここからさらに、もうすぐ仕事を終えたサラリーマン達がやってくる。

 正重は奥の小さなテーブルを二人で囲んだ。


「正重さん、何にしますか? 私、今日は御馳走ごちそうしますから」

「あ、いや! ここは俺が……」

「いいえ、いけませんっ! ……その、やっぱり、話を聞いてもらうと……楽に、なりますから」


 二人でひたいを寄せ合うようにして、メニューを覗き込む。

 店の事務所と同じで、向かい合って座っている。

 だが、何もかもがいつもと違う。


「えと、じゃあ……俺が出すんで、その……経費に、ってできます?」

「あ、はいっ! 社員の福利厚生費ふくりこうせいひ、ですね。大丈夫です。あとで領収書を貰っていただければ」


 それから、ニヤニヤの笑顔でやってきた源さんに注文を告げる。吉乃は本当に酒の飲み方をまだまだ知らないらしく、かといって正重が教えられることでもない。

 とりあえず生中なまちゅう、という便利な言葉が二人を救った。

 料理も適当に頼んで、さっさと源さんを追い返す。

 その背が遠ざかると、吉乃が小さく吹き出した。


「ふふ、さば味噌煮定食みそにていしょく、ですか? 飲み屋さんなのに」

「いや、まあ……源さんのめし美味おいしいですよ。小さい頃よく、来てた」

「お姉さんと……涼華さんと? いい、ですね……私、一人っ子だし、友達も作れなかったから」


 そして、吉乃は話し出した。

 それは、正重が気になっていた例の話……桐谷拓也キリヤタクヤにまつわる物語だった。舞台は東京、東大を出たての吉乃が就職した一流企業での悲劇。

 そう、正重はすぐに悲劇的な雰囲気を察していた。


「私、就職してすぐ……SE、いわゆるシステムエンジニアになったんです。二週間の研修のあと、すぐ」

「じゃ、じゃあ、あの拓也っての……あ、いや! 桐谷さんて人は」

「その時の同僚です。凄く、忙しいプロジェクトで……プログラマーも未経験の子が多くて。高校卒業したての子に、コネ入社の重役の息子さん、専門学校を中退した子……みんな、素人しろうとでした」

「あ、育てた子って」

「はい。仕事しながら、私が指導も担当しました。でも、いきなりは難しいから……仕事を手伝いながら、作業を分配して……」

「その、桐谷さんは」

「桐谷さんは、いつも営業の人に頭を下げてて、外回りで忙しくて」


 正重は初めて、という言葉を知った。

 吉乃は入社したてですぐ、メインSEをやりながらプログラマ達の育成、そして未熟な彼等に処理しきれぬ仕事を自分で背負い込んだのだ。そしてそれは、一年しか持たなかった。


「今、あのプロジェクトで作ったシステムにバグが見つかって……私、仕様書は残してきたつもりなんですけど、やっぱり私じゃないとわからないこともあるみたいで」

「それで、桐谷さんが泣きついてきた」

「はい……本当は行きたくないです。ずっと、正重さんのお店で働いてたい。でも……、少しだけ……うん、ちょっとだけ尻拭しりぬぐい、しなきゃって」


 源さんが様子を見に来て、生ビールと烏龍茶ウーロンちゃを置いていった。


「……わかりました。ま、まずは乾杯するとして……吉乃さん」

「は、はい」

「戻って、くるんですよね? うちの店に。戻ってきてくれるなら……。有給じゃなくて、仕事として行ってくださいよ」

「で、でも、あの」

「全部片付けてくれたら、あとはうちの帳簿に専念できるでしょ、って。俺、そうだったら、送り出せる気がして……そういう感じで! はい、乾杯!」


 正重はおずおずと中ジョッキを持つ吉乃の手でガラスを歌わせる。そうして烏龍茶を一気飲みして、不思議と多弁になった。ちょっとずつ飲む吉乃に、気付けば一生懸命に喋り続けている自分が、少しだけおかしかった。

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