第17話「彼女がいない日」
朝、
彼女は少し暗い声で『有給休暇の取得に必要な書類を教えてください』などと言った。昨日、突然東京から
あのあと、心ここにあらずといった感じで、定時になるなり帰ったのだが……どうやら、拓也から渡された書類らしき
「おーい、マサ君? おーい……駄目だこりゃ」
「えっ!? あ、ああ、なんだ
「なんだ、じゃないでしょー? もう、よしのんいないからって
「お、おう」
事務所の机でパソコンを眺めていたら、姉の
仕事が全く手に付かない。
向かいの机に吉乃がいないだけで、気持ちが落ち着かなかった。
「有給、取ったことないんだってさ……吉乃さん」
「へえ、
「いや……有給の概念がないとこにいたみたいで」
「
「まだ年度始めだって、姉貴……」
やれやれと正重は、立ち上がって倉庫の方へと向かう。
荷物の
送り主を見て、なるほどと納得した。
「オヤジか……今度は何を送ってきたんだ?」
「へー、スペインだって! いいなあ、行ってみたーい!」
難儀して梱包を
だが、苦心して開封した箱の中身に、すぐに仕事の顔を取り戻す。
「ワインだな……姉貴、スペイン語は」
「ノーノー、読めませーん! でも、知らない
「赤、か……ふむ」
「早速店頭に出そうよ! ワインセラー、もう少し大きいのが欲しいわね……あ! あと、あたしに一本! 一本だけ! 社員割引で!」
「はいはい」
スペインと言えば、カヴァだ。スパークリングワインで、高い品質と手頃な価格帯から人気がある。最近ネットニュースでアレコレ世界情勢なんかも追いかけてて、正重はカヴァの産地カタルーニャの独立騒動なんかも知っていた。
他にも有名な銘柄のワインが沢山ある。
フランスやドイツ、南米なんかと並んでスペインはワイン大国なのだ。
だが、
「ま、オヤジが選んだんだ……味は確かだろうさ」
「マサ君、残念だねー? ふふ、早くオトナになんなさいよ。今すぐなんな! そしたら一緒に飲めるのに。よしのんも入れて、三人で!」
「無理だって、まだ18だし。……ん? 手紙だ」
荷物の中に手紙が入っていた。
開封すると、案の定父親の文字が踊っている。見慣れた
「ええと、なになに……イカした赤を見つけたから
「わはは、お父さんらしいじゃん?」
「それと……ん? 例の件を頼む? 何だ、例の件って」
「さあ?」
手紙は
例の件を頼む……心当たりはない。
全くもって、例の件なる事案に思い当たるフシがない。
だが、父親が選んだワインだけは信用できる。
世界中を遊び回っているように見えて、時々こうして酒を送ってくるのだ。そのどれもが、常連客やお得意先の飲食店で
だが、謎が残る。
「あ、そうだ。吉乃さん、会社のアドレスにオヤジからメール、来てないですか?」
「おいおい、マサ君? よしのん、今日はオヤスミでしょ」
「っと……そ、そうだったな、うん。わかってたけど。た、たまたまだって」
「またまたー? こいつぅ、ひょっとして……ニシシ」
涼華がいやらしい笑いで口元を
この手のゴシップが大好きな人なんだと、正重は思い出していた。そして、後悔した……
最近、いてくれるのが当たり前に思えていた。
この半月近くで、彼女が必要だという実感を強めていた。
それが従業員としてなのか、それとも――
「マサ君、おねーちゃん応援してるからね? ちょっと待ってて!」
ニヤニヤしながら涼華は、自宅の方へとカッ飛んでゆく。
そして、バタバタと慌ただしく帰ってきた。
何やら
「昨日、よしのんてばショックで動揺してたんじゃない? 忘れ物。届けてあげたら? 歩いてすぐの場所でしょ、よしのんのアパート」
「あ、ああ。でも……」
「店番ならやっとくからさ。ちょっと様子、見てきてよ。……って、開けんなバカ!」
中身を見ようとしたら、涼華にチョップされた。
そのままポスポスと何度も、彼女は正重を見上げながら頭を叩き続ける。
「薬だよ、ほら……よしのん、いつもご飯のあとに飲んでるじゃん」
「ああ、そういえば」
「忘れてったから、届けてあげて。困ってるかなーって気になってたんだ。んじゃ、そゆことでヨロシク!」
こうして正重は、吉乃のアパートを訪ねてみることにした。
初めて踏み込む、吉乃のプライベート……そして、気になる昨日の拓也とのできごと。
考えるよりもまず行動だと、正重はすぐに店を出るのだった。
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