第16話「突然の、再会!?」

 その日は突然、訪れた。

 それは、外崎正重トノサキマサシゲにとって福音ふくいんにも似た感動。とすれば、もたらしてくれた染井吉乃ソメイヨシノ救世きゅうせの天使ということになるだろうか。

 とにかく、彼女の仕事は素晴らしいの一言だった。


「とりあえず簡単に作ったものなので、手差しで伝票を一枚ずつ入れなきゃいけませんが……ここをクリックしてもらえれば、すぐに」

「お、おお……おお! 吉乃さん、これは!」

「以前と同じ書式の顧客注文リストを、そのまま使ってます。これで住所の記載ミスなんかは減りますね。あと、手書きよりも何倍も早くなると思います」


 どんな魔法を使ったのか、正重にはさっぱりわからない。

 Excelエクセルがどうとかマクロがああだこうだは、理解不能だ。

 だが、ネットでの注文に対する宅配便の伝票作成を、吉乃はほぼオートメーション化してしまった。プリンターに伝票を指して、ボタンをクリック。これだけでOKだ。

 印字された伝票は、枠内に綺麗に文字が収まっている。

 勿論もちろん、正重が手で書くより何倍も綺麗だ。


「すげ……吉乃さん、ありがとうございます! これで仕事、はかどりますよ!」

「よかった。ふふ、少しはお役に立てたみたいで」

「立ってる立ってる、バリバリに立ってますよ!」

「ひっ! え、あ、ああ、その……たっ、たた、たっ! ……ってる……いえ! 何でもないです! 違いますから!」

「はは、どうしたんですか? 顔、真っ赤ですけど」

「いえ! その、すみません! ごめんなさい! 私、予備の伝票取ってきます!」


 吉乃は何故なぜか、真っ赤になって倉庫の方へ行ってしまった。

 これで明日からは、宅配便の集荷の時間までが楽になる。記載ミスも減るし、とにかく楽になるのはいいことだ。

 正重は上機嫌で、テスト印刷の結果にとても満足していた。

 やはり、吉乃をやとってよかった……そう思った夕方の一時。

 だが、突然倉庫の方から悲鳴が響く。


「吉乃さんっ!? な、何だ……? まさかっ!」


 咄嗟とっさに正重は飛び出した。

 脳裏を、以前のあの奇妙な客がよぎった。

 そう、商社マン風の薄い笑みを湛えた男で、お菓子をさかなに酒を飲む部下の女性を連れていた。どうしてもあの二人組が、正重の脳裏から離れなかったのだ。

 急いで倉庫から、車へと荷物を積み込む裏口へと飛び出る。

 そこには、予想だにせぬ光景が広がっていた。


「あ……えと、とりあえず……吉乃さん、無事です、よね?」


 腰を抜かして地面にへたりこんでる、吉乃。

 そして、彼女の視線の先で……配達から帰ってきたとおぼしき、喜多川清春キタガワキヨハルの姿があった。彼は巨体で、一人の男を取り押さえている。腕っ節の強さは、強面こわもても手伝ってかなり恐ろしい絵面になっていた。

 スーツ姿の男性は、以前のあの奇妙な採点男さいてんおとこではない。


「あでで! でっ! は、放してくれっ! 僕は怪しい者じゃない! た、ただ!」

「あ……坊っちゃん。ウス……とりあえず、警察を」

「待ってくれ! 違うんだ……僕は吉乃の、吉乃のーっ!」


 とりあえず、正重は優男やさおとこを放してやるよう清春に伝えた。

 そう、優男……少しチャラいが、いわゆるイケメンだ。年の頃は吉乃より少し上だろうか? 30歳前後に見える。身なりも綺麗で、くつなんかはピカピカだ。

 そんな彼は、立ち上がるとスーツの埃をパンパンと払う。

 正重は、背に吉乃をかばうようにして話しかけた。

 腕組み仁王立ちで清春が見守ってくれる。ありがたい……死ぬ程、頼もしい。寡黙かもく無愛想ぶあいそうだが、清春はいつも正重を小さい頃から守ってくれていた。


「うちの従業員がすみません。で……どういったご用件ですか?」

「あ、ああ……僕の名は桐谷キリヤ桐谷拓也キリヤタクヤだ。吉乃とは昔、ちょっとね」

「従業員のプライベートには干渉かんしょうしないですけど、悲鳴が聴こえました。嫌がってましたよね? それに……彼女はまだ、うちで勤務時間中です。お引き取りください」

「ま、待ってくれ! 話をさせてくれ!」


 自分でもどうして、こんなに強く彼を否定してしまうのか。

 正重は信じたくなかったし、それでも現実だから驚いていた。

 吉乃に、昔の恋人がいたようだ。

 そして、そのことに苛立いらだち、彼女の危機と思えば腹が立ってくる。そんな自分がおかしくて、思わず言葉を発する語気が強くなってしまう。

 だが、そんな時に背後で小さな声が響いた。


「あ、あの……すみません、清春さん。正重さんも……あ、あの、ごめんなさい」

「また謝って! 吉乃さんが謝ることないですよ!」


 つい、大きな声が出てしまった。

 なんて幼稚ようちなガキなんだと、自分に怒りが湧いた。

 だが、ゆっくり立ち上がると、長いみを揺らして吉乃が前に歩み出る。


「……お久しぶりです、桐谷さん」

「よ、よそよそしいね、吉乃」

「もう、関係ないと思ってますから。思って、ましたから」

「率直に言うと、助けてほしいんだ。君が、必要だ」


 正重には二人の背景が見えてこない。

 だが、尋常ならざる温度差を感じた。

 すがるような、あわれみを誘う拓也の表情。

 普段とまるで違って、仮面のような無表情になってしまった吉乃。

 吉乃は今日もグレーのフリースに黒いジーンズ、そしていつものベージュのエプロン。その地味な服装が、どこか色彩豊かな現実から彼女を奪おうとしているように正重には見えた。


「思い知ったよ、君がいなくなって一年とちょっと……君がどれだけのものを背負っていたのかを」

「そんな……でも、あの……私が、逃げるように去ったこと、申し訳ないと思ってます」

「君に何もかも頼り過ぎたんだ。ごめん、僕が悪かった。だから」

「……もう、戻らないと決めてます。それに……今、とても充実してるんです。ようやく、本当に働いてて楽しい、暮らしてて嬉しいって思えてて、その、だから」

「あの子たちを見捨てないでほしいんだ! 君しかできないことがある……君にしかわからないはずだ。一緒に育ててきた子たちも今、大変なんだよ」


 わたわたと拓也は、かばんから何かを取り出した。

 書類のたばのようだ。

 それを吉乃へと押し付けるようにして、彼は迫る。

 ビクリ! と吉乃が身を強張こわばらせる気配が、正重にも伝わった。

 尋常じんじょうではない……普段の、どこかおどおどしてるけど、温和で物腰穏やかな吉乃ではなかった。彼女は今、まるで氷の彫像アイスドールのように美しいまま凍りついていた。


「じゃ、じゃあ、とりあえず……連絡、待ってる。信じてるから……ごめん、こんなことになって悪いと本当に思ってるけど……でも、君しか頼れないんだ」


 それだけ言うと、一礼して拓也は去っていった。

 うつむきながら見送る吉乃の背中が、正重にはとても頼りなく悲しげに見えたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る