第11話「正重の今と未来と、そして過去と」

 声に色があるとしたら、ビビットな黄色イエロー

 それを今、するどとがらせ叫ぶ女の子がいる。

 外崎正重トノサキマサシゲは事務所を出ると、そのまま店舗の方へ。常連客でごった返す様は、まるで行列のできるラーメン屋もかくやという活況かっきょうだ。そして、その中で染井吉乃ソメイヨシノがフリーズしていた。

 レジの前で固まる彼女の前に、仁王立におうだちの少女が腕組み見上げている。


「みんな、いらっしゃい。で……紅玉ルビィちゃん、そんなに怒ってどしたの」


 正重に振り向いた少女は、パァァと表情を明るくした。

 そう、幼い少女だ。

 女児と言ってもいい。

 周囲の客がそうであるように、小学生だ。正確には小学四年生。午後の下校時刻、リカーショップトノサキにかわいらしい常連さん達が押し寄せる。目的は、駄菓子だがしだ。

 その童女、八十宮紅玉ヤソミヤルビィは正重の脚にガシリ! と抱き付いてきた。


「マサ君っ! あのね、あの……悪いだまされちゃ駄目なんだからね? わたしというものがありながら」

「いや……その、おばさんはないんじゃないかな」


 チラリと吉乃を見る。

 怒りや苛立いらだちは見て取れない。

 彼女は見るからにションボリと落ち込んでしまっている。そう、うら若き24歳の女性に、それも美人に『おばさん』はまだ速過ぎた。

 かわいそうに、彼女は居並ぶ子供達の相手をするレジ打ちマシーンになっている。

 だが、9歳の紅玉から見ればおばさん、母親に近い年齢なのはしかたがなかった。

 そして、どういう訳かこの紅玉に……正重は一方的に好かれているのだった。


「あ、そだ……マサ君。今度ね、学校で春の遠足があるよ? 社会見学!」

「へえ、じゃあみんなにおやつを沢山買ってもらわなきゃな」

「うんっ! 先生は300円までって言うけど、わたしマサ君にならもーっと、もーっと出せるよ? こういうの、しにみつぐって言うの!」

「や、それはいいよ。お小遣こづかいは大事につかわないとな」


 ポンポンと紅玉の頭をでる。

 確か、この二房ふたふさ左右に長い髪を結ったヘアスタイルは、ツインテールとかいうのだろうか。満面の笑みで見上げる紅玉の周囲に、あっという間に子供達が集まってきた。


「また紅玉ちゃんの、マサ君マサ君が始まったー」

「マサ君もいそがしいんだぞ? こう見えてももう、大人だかんな!」

「そうなんだよー? お仕事邪魔しちゃいけないんだよー?」


 苦笑を禁じ得ない。

 だが、この子供達が正重には大事なお客様で、それは利益率とは無縁な存在だった。その上で、ささやかに売上に貢献こうけんしてくれてることも忘れない。

 見れば、外に出したお手製のベンチにも子供達が並んで座ってる。

 リカーショップトノサキは、この時間帯だけ駄菓子屋に変わる。

 訪れる大人達も、元気な子供達を見てほおを崩すいこいの場になるのだ。


「あ、あの、正重さん。その……ごめんなさい」

「えっ、何で!? 吉乃さんが謝ることじゃ――」

「尻尾を出したわね、この泥棒猫どろぼうねこっ! マサ君は渡さないんだからー!」

「はいはい、紅玉ちゃんはちょっと静かにね。あと、そういう言葉使っちゃいけません」


 ぷぅ! と紅玉が頬をふくらませる。

 そして、吉乃はうつむきあせあせとパニクっていた。


「そっかー、吉乃さん初めてか。そういや最近来なかったもんな、紅玉ちゃん」

「女の子って忙しいのよ? ピアノにダンスに学習塾……習い事、増やされそうなの。やっと時間が作れて顔を出したけど、ま、わたしみたいなデキる女は辛いわね!」

「はいはい。そうだ、紅玉ちゃん。あれ仕入れといたよ。ほら、前に食べてみたいって言ってた」

「ホント!? 酢昆布すこんぶ、あるのねっ! おばあちゃんも喜ぶわ、早速みせてもらおうかしら」


 おしゃまな紅玉は、精一杯気持ちを背伸びさせて店内を見渡し、歩み出る。

 店には酒のさかなになる乾物かわきものやスナック菓子の他に、駄菓子が沢山並んでいる。これは、正重が高校に在学中から考えていたことで、卒業の決まった三学期には早々と実行に移した。

 今、街には昔ながらの駄菓子屋が、ない。

 正重が紅玉くらいの年頃には、お年寄りが経営する小さな駄菓子屋があった。毎日入り浸って、100円あれば大豪遊だいごうゆうできた。しかし、街全体に長い景気低迷が続き、そうした下町情緒は消えてしまった。


「あの、正重さん」

「ああ、吉乃さん。ほんとゴメン! あとで紅玉ちゃんには言っておくから」

「いえ……いいんです、けど……その、私、そんなに……けて、見えますか?」


 あ、気にしてるのか……意外だなと思った。

 同時に、綺麗な吉乃が少しだけ可愛かわいく見えた。

 彼女に老け込んだ雰囲気はないし、瑞々みずみずしい肌のつやや端正な美貌は、十年後や二十年後もこのままなのではと思わせてくれる。だが、今日も一人だけ古いブラウン管に映ったように、白いシャツと黒いロングスカート、長い三つ編みの黒髪に黒縁眼鏡。エプロンはベージュと、とにかく地味だ。

 そしてそれは、正重にとってとても見心地のいい美しさに思えるのだった。


「あの年代の子はね、吉乃さん。俺の姉貴あねきすらおばさんって呼ぶよ? そんなもんです」

「そんなもん、ですか……あ、それより、あの、すみません」

「ん? 他になんかあった?」

「いえ、その……大分だいぶ、慣れました、けど……その、私なんかが、正重さんの……よめ、だって」


 しきりに恐縮しつつも、ようやく吉乃は小さく笑ってくれた。

 唯一いろどりを感じる、桜色さくらいろくちびるが曲線をえがく。


「でも、おかしいですよね。ふふ……正重さんって、この街のいろんな方に好かれてるんです。私もその一人だから、ちょっぴり嬉しいなって」

「はは、いやまあ……どうかなあ? 丁稚でっちみたいなもんですよ、俺なんか。それより、嬉しい? ……ちょっぴり嬉しい。それって――っとっとっとぉ!?」


 ドン! とよじ登るようにして、背後から紅玉が張り付いてきた。

 背中にべったりとひっついてくる、その軽い体重に正重は振り向く。


「マサ君! ねえ、プリキュアは? プリキュアグミ!」

「えっと、それは……」

「低学年の子は、まだまだプリキュアよ! あと、男の子は仮面ライダーとかね! リサーチ不足なんだから。でも、うまい棒の種類が増えたのは、いい線いってるかも」

「ああ、日曜日とかの、アレ?」

「そう! 安心して、マサ君っ! わたしがプロデュースしてあげるんだから。きっと、二人の素敵なお店になるわ。ゆくゆくはオシャレなカフェテラスも増築して……キャッ!」


 おいおい、ここは酒屋なんだけど……そう思いつつ、苦笑もなんだか柔らかい正重だった。

 だが、子供達でわいわいさわがしい店内が不意に静かになった。

 皆が視線を投じる方向へと、正重も振り返る。

 そこには、えりを着た坊主頭の少年が立っていた。

 それを見た瞬間、正重のなごやかな時間が終わりを告げる。その人物は自分にとっての古傷であり、彼自身には今もんで出血した生傷……そう思えてならない。過去というにはまだまだ記憶が鮮明で、過去として背負うには正重はまだ若過ぎた。


「チス、外崎先輩」

「あ、ああ……久しぶりだな、今井イマイ

「ども。ほんとに進学しないで家をいだんスね」

「まあな。さ! みんなお会計はあのお姉さんにな! あと、吉乃さん。えっと、これ」


 ポケットに丁度、小銭こぜにが入っていた。

 それで適当に払いをレジの横に置いて、冷蔵のたなから飲み物を二つ出す。

 無意識にスポーツドリンクを二つ選んで、それで片方を戻す。現役時代は飲まなかったコーラが、無性に飲みたくなった。

 それを持って無言でうながせば、うなずく少年も後に続く。

 外でも子供達が歓声をあげて遊び回っていたが……二人はもう、子供ではいられなかった。

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