第8話「熱烈!新人大歓迎!」

 何だかみょうなことになったと、自宅の居間で外崎正重トノサキマサシゲは落ち着かなかった。

 いつものように夕食時、テレビでは夕方のニュースが流れている。そして、姉の外崎涼華トノサキリョウカが台所で夕食を温め直していた。

 いつもと同じ、外崎家の日常。

 その中で、いつもと違う光景がすぐ隣に座っている。

 おずおずと正重は、ちゃぶ台を囲む女性にこえをかける。


「あの、吉乃ヨシノさん……ひざ、崩しませんか? そう、かしこまらなくても」

「は、はいっ! で、では、失礼して……」


 言われるままに、染井吉乃は正座をやめた。そのままぺたんと座って、曖昧あいまいな笑みを浮かべる。何だか、そのゆるい表情も普段とのギャップがあって……魅力的だ。

 どこか内気でおどおどしてるが、仕事のできる女……染井吉乃ショメイヨシノ

 そんな彼女の歓迎会が、急遽きゅうきょ我が家で行われることになったのだ。


「でも、すみません……朝だけじゃなく、夕食までご馳走ちそうになってしまって」

「あ、ああ! いや、それは! いいんですよ。それに、もう少し説明しとこうと思って」


 二人の間が持たない気がして、少し正重は早口になってしまった。


「リカーショップトノサキは、夜は21時まで営業してます。で、夕方の17時からは俺と姉貴で店番して……まあ、宅配や何やの業務は、夜はないですね」

「あ、じゃあ……お酒は、まずいですよね、私が飲んじゃ」

「いや、姉貴と飲んでください! ってか……もっとまともにお酒、飲んで欲しいなってのはあって。あと、俺は未成年なんで飲みませんから、今夜の店番は客が来れば俺が」

「あっ! そっ、そそ、そうでした……ごめんなさい、正重さん」


 いやいや、謝るところだろうか?

 だが、酷く恐縮きょうしゅくしてしまっている吉乃がそこにはいた。

 そうこうしていると、大皿を二つ持って涼華が戻ってくる。えらく上機嫌で、湯気が踊る料理をちゃぶ台の上に広げた。

 今日はどうやら、中華風のようだ。

 家事いっさいを涼華に頼っていて、内心ありがたく思っている正重だった。


「はい、よしのん! 取り皿とおはし! あと、グラス!」

「あ、ありがとうございます……その、すみません。私なんかのために」

「んーんっ! いいのいいの! むしろ、突然ごめんね! わはは、飲み会だー!」

「私は大丈夫ですっ! !」

「……そなの? ま、そういう固い話じゃないから」


 台所へと取って返す姉を見送り、正重は首を傾げた。


「……社会人って、そゆもんなんですか? その、おつきあい的な?」

「ええ、そうですね。、上司のお誘いは全てに優先しますから。……でも、今日は……そういうんじゃないんです」

「だったらいいですけど」

「義務感とか、そういうんじゃなくて……」


 吉乃が照れくさそうに笑った。

 つぼみがさやめくような、とても柔らかな笑みだった。

 正重は思わず、心拍数しんぱくすうを跳ね上げてしまう。

 だから、戻ってきた涼華へと立ち上がって、わたわたと冷えたビールびんを受け取る。姉は他にも、何種類かお酒を持ってきた。どれも我が家で仕入れて、自宅で涼華が飲むために買い取っているものだ。

 この自堕落じだらくでマイペースな姉が、どういう訳か店の商品管理に関しては徹底して厳しい。

 そんなところも正重的には、密かに尊敬しているところだった。


「え、えと、とりあえずビール? いいですか? 吉乃さん」

「は、はいっ! じゃ、じゃあ……でも、普通は逆なんですけどね、ふふ」

「逆?」

「新人がぐもんなんですけど」


 よく冷えたビールを、吉乃のグラスに注いでやる。

 なんてことはない、市販の国産ビールだ。

 琥珀色こはくいろの海があっという間に、白い波濤はとうを泡立てる。

 その頃にはもう、涼華は手酌てじゃくで自分のグラスにビールを注いでいる。

 勿論もちろん、正重のグラスは先程から烏龍茶ウーロンちゃだ。


「おーっし、乾杯よっ! よしのんの新しい船出と、我が家の新たな仲間に! かんぱーいっ!」


 言うが早いか、あっけにとられる二人のグラスをコツン、カツンと鳴らす涼華。そのまま彼女は、白いのどさらして一気にビールをあおった。

 酒屋の娘だけあって、涼華はとらである。

 あびるだけ飲んで酔っ払っても、次の日にはけろりとしているのだ。


「ぷあああああーぅ! はぁ、ビール最っ、高ぉ! この一杯のために生きてるゥ!」

「ふふ、涼華さんって本当に美味おいしそうに飲むんですね」

「当然っ! 労働のあとのビールはとうといわ! さ、よしのんも飲んで飲んでっ!」

「は、はいっ! いただいてます。あ、それより正重さん、お料理お取りしますね」


 今日は青椒肉絲チンジャオロース麻婆豆腐マーボードウフ、そしてエビチリ。あとからちょっと作り足した感じだろう。

 そそくさと吉乃が、取り皿を手に膝立ひざだちになる。

 気を使わなくてもいいのにと思ったが、その横顔をぼんやりと正重は眺めていた。

 上機嫌で二杯目を飲みながら、ニヤニヤと涼華が意地の悪い笑みを浮かべる。


「よしのん、なんか甲斐甲斐かいがいしいっ! ねね、彼氏とかいんの?」


 ド直球、下手をすればデッドボールだ。

 だが、内心正重は思った……ナイッボォナイスボール! と。

 何故なぜそんなことが気になるのか、自分でもわからない。

 吉乃には恋人がいるのか。

 いなかったらどうなのか。

 意味不明だが、とりあえず従業員のことを知ることはいいことなのだと、自分の中で言い訳がましい理論武装をしてみる。


「あ、えと……そゆのは、いない、です。私、仕事ばかりでモテなくて」

「えー、うそーん?」

「ふふ、本当なんです。異性とお付き合いしたこと、全然なくて」

「そなんだ……あ、店にね、時々若いのが来るけど気をつけなよ? みーんなスケベだから。お得意様だからって、変なことされたら遠慮えんりょしなくていいから! 蹴っ飛ばしちゃえ!」

「そ、それは……き、気をつけ、ます」


 地味なのに目を引く、不思議とかれるのが染井吉乃という女性だ。

 悪い虫がつかないようにと思う反面、常連客の大半は好き好んで悪い虫になりたがる連中ばかりだ。そんな近所とのお付き合いも、正重は幼少期から店を手伝ってるのでありがたい。

 ほんのり桜色にほおを染めて、吉乃は料理を取り分けてくれた。

 それを食べながら、正重はビールを注いでやる。


「そういえば、今は若者のビール離れっての、あるらしいですけど」

「んあ、何? よしのん、社会派じゃん! ……ま、実際売上は落ちてるけどさ。一時期はほら、アレが流行はやったんだー。えっと、脱法酒だっぽうしゅ!」

「え、えと……発泡酒はっぽうしゅ、でしょうか」

「そうそう、それ!」


 脱法酒、それじゃあアメリカの禁酒法時代きんしゅほうじだいである。

 だが、姉の言わんとするところは正重にもわかっていた。ビールより安い発泡酒、さらに安い第三のビールが流行りゅうこうした時期がある。第三のビールとは、大豆やなんかで作るもので、どれも麦やホップの含有量がんゆうりょうが異なるのだ。

 そして、この三種には価格帯の違いがあって、住み分けられていた。

 ビールはビールで、各社が高級感のある高価格帯ビールを出したりしたのである。


「でもなあ……税金アレコレで結局、全部似たような値段になっちゃうんだもんなあ」


 正重がぽつりとこぼすと、訳知り顔で涼華がウンウンとうなずく。

 今の時代は、若年層は酒にあまりお金をかけないらしい。スマートフォンの中に娯楽ごらくが凝縮されているため、その通信費や維持費もあるのだろう。そもそも自由にできる金額が少ないという話もある。自動車が売れず、白物家電が売れない時代……同じように、酒も以前とは流通が大きく異なっていた。


「ま、吉乃さんみたいに缶チューハイを飲む人もいるしね。そっちの売上は伸びてるし。な、姉貴?」

「そうそう! でもなー、よしのん。モンエナで割るのはやめなって、にはは!」

「そっ、それは、その……恥ずかしい、です。バタンって寝たくて、時々……」


 真っ赤になって、吉乃は両手で包むように持ったグラスをかわかす。

 ぼんやり隣でそれをながめながら、自然と飲んでもいないのに正重は頬が熱くなるのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る