第4話「始動!リカーショップトノサキ」

 朝の十時前、開店直前。

 ここ二ヶ月程、外崎正重トノサキマサシゲは自分なりの経営スタイルを模索もさくし続けてきた。卒業式前の長い長い春休みから、ずっと。

 この、シャッターを開ける前の店内巡回みまわりも、その中で日課にしたものだ。


「もうすぐ花見シーズンだけど、常備の品も欠品ナシ、と」


 リカーショップトノサキは、田舎町いなかまちの小さな酒屋だ。

 十坪じゅっつぼ程の店内には、酒類の他に塩や砂糖、味噌みそといった調味料のたぐいが少し。そして、何気に充実してる駄菓子類だ。ソフトドリンクにも力を入れてるが、品揃えは正重がよく考え抜いたものばかりである。

 よし、と今日も正重は自分のほおを叩く。

 気合を充填じゅうてんして、店のシャッターを開いた。

 そして、軒先のきさきの駐車場へ出て、その片隅に店内からベンチを出す。ベンチと言えば聴こえはいいが、背もたれのない日曜大工の産物だ。


「さてっ! 今日も頑張りますかか、と――!?」


 突然、空気が震えた。

 悲鳴だ。

 店内から響いたその声は、今日から来てもらってる染井吉乃ソメイヨシノである。

 これぞ正しく『きぬを裂くような女の悲鳴』という形容がぴったりだ。

 慌てて正重は店内に取って返す。

 そして、繋がった自宅から出てきた姉の外崎涼華トノサキリョウカと一緒に倉庫へ向かった。倉庫の片隅にある事務所には、先程居間から移動した吉乃がいるはずである。


「ちょっとちょっと、よしのん!? あ、まさか」

「何だよもう……姉貴あねき?」


 そして、そこで正重は見た。

 床にへたり込んで震える、吉乃の涙目を。


「あっ、ああ、正重さん! すっ、すす、すみあせんっ! 腰が……」

「ど、どうかしましたか? 吉乃さん。えっと……」

「しっ、しし、知らない人が! 知らない男の人が!」


 彼女がガクガク震えながら指差す先で、ガタイのいい男が頭を下げる。

 そのいかつい強面こわもては、眉間みけんにしわが寄ってとても威圧的だ。見る人が見れば、通報は必至ひっしというこの状況。しかし、正重はやれやれと溜息ためいきこぼす。


「ああ……おはようございます、清春キヨハルさん」

「……ウス」

「今日も一日、よろしくお願いします。あと、吉乃さん……あ、初めてか。えっと」


 とりあえず、手を差し伸べて吉乃を立たせる。

 そして、改めて正重は巨漢きょかんの従業員を紹介した。


「吉乃さん、紹介します。うちで宅配等の仕事をしてくれてる、喜多川清春キタガワキヨハルさん」

「あっ……ああ! すみません、とんだご無礼を。ごごご、ごめん、なさい……」


 ようやく吉乃は、清春が同じ店の従業員だと理解したらしい。それを、会うなり悲鳴を上げてスッ転んだのだから、確かに失礼きわまりないかもしれない。だが、清春は気にした様子もなく、ペコリと小さく頭を下げる。

 清春は寡黙かもくな男だ。

 歳は確か、40前後だと思う。

 随分前から、父とこの店を切り盛りしてくれていた。

 もっとも、人付き合いが不器用なタイプで、もっぱら力仕事が専門だが。


「あの、私……今日からお世話になります、染井吉乃と申します。よ、よよ、よろしくお願いいたします!」


 吉乃は、床に額をこすりつけるように頭を下げる。

 そして、やっぱり清春は「ウス」とだけ言って、倉庫の方へ行ってしまった。店の車に、今日の配達分の荷物を積み込むのだ。

 それを見送り、正重は吉乃の肩をトントンと指で叩く。


「吉乃さん、顔、あげて」

「は、はいぃ……私、なんて失礼なことを」

「いや、まあ……初対面だとみんな、ビビるかな? 無口だしさ」

「いえっ、会社の先輩に対して非礼でしたっ! 私、ちょっと行って謝ってきます!」

「あー、いいからいいから。積み込みの邪魔になるから」

「そ、そう、ですか……では、後日改めて」


 背を向けた涼華は笑っている。それも、肩を震わせ声を殺して笑っている。

 この人はもー、と思ったが、正重は改めて吉乃をとりなしてやる。何だか、いちいち尋常じゃないリアクションに少し不安になった。だが、邪気のない人だと感じた自分の直感を信じてる。

 それに、生真面目きまじめ律儀りちぎな……少し不思議な女性だ。


「えっと、説明してなかったなあ。あの、吉乃さん」

「は、はいっ!」

「うちの商売、売上の半分以上が配達業です。買い物に出れないお客さんや、地域の飲食店……まあ、飲み屋ですね。そういったところに品物を納めてるんです。あと、お年寄りの見守りも兼ねてて、ちょっとした雑事を頼まれたり……まあ、ボランティアですね」

「な、なるほど! それで、こんな広い倉庫があるんですね」


 吉乃は改めて、事務所前から倉庫を見渡す。

 この倉庫は、店舗自体よりも広くて大きい。父の道楽のたまものというか、祖父母の代からあるものだ。家は正重が生まれる前に建て直したが、ここは以前はくらだったのだ。その歴史は明治初期にまでさかのぼる。

 蔵のある豪商が、アレコレあって今はリカーショップだ。


「あ、あの」

「ん?」

「あそこ……あの一角は、何でしょうか」


 ふと、吉乃が倉庫のすみを指差す。

 そこは事務所スペースと一緒で、仕切りによって部屋のようになっている。そして、完全に密封された空間なのだ。かなり厳重で、土蔵どぞうの名残が残る周囲から浮いている。

 完全に父の趣味の空間で、これもまた店の重要な収入源の一つだ。


「ま、おいおい……あそこ、入らないでくださいね」

「わ、わかりました」

「じゃ、とりあえず帳簿をよろしくお願いします。適度に休憩しつつやってください。なんかあったら俺か姉貴に声かけて」


 大きく頷く吉乃は、次の瞬間……正重の目を点にした。

 意味がわからなくて、戸惑いつつも首をかしげる。


「では、帳簿の方、やらせていただきますね。で……出し忘れてました、これを」

「これ……?」

「はいっ! 他には持ってないので、それ一つです」

「えっと……へー、結構新しい機種ですね。じゃなくて!?」


 何故なぜか吉乃は、

 全く理解できないし、携帯していなければ携帯電話の意味がない。それ以上に、正重はつい受け取ってしまった個人情報のかたまりに驚いた。

 だが、吉乃はようやく笑顔を見せてくれる。


「職場では普通、上司に携帯を提出しますから。普通、持ち込み禁止ですから!」

「……そうなの?」

「ええ! では、引き続き業務に戻りますねっ」


 尻尾のように長い三つ編みをひるがえして、吉乃は机に戻っていった。

 訳がわからず、正重は首を捻るばかりである。小さな白猫のストラップがついたスマートフォンもまた、彼女そのもののように外装が白く、黒いケースに収まっていた。

 ある意味、染井吉乃の全てが今、正重の手の中にあるのだった。

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