第3話「仕事準備、完了」

 いつもの居間のちゃぶ台に、今日は初めての人がいる。

 お客さんというか、新しい従業員だ。

 外崎正重トノサキマサシゲは今日も、テレビの音を聞きながら新聞しんぶんを読みつつ朝食を取る。時々チラリと盗み見れば、姿勢を正して静かに染井吉乃ソメイヨシノは食事をしていた。

 姿勢がいいし、箸使はしづかいがとても綺麗だ。

 だが、彼女は黒縁眼鏡くろぶちめがねの奥から、じっとテレビを見詰めている。

 姉の外崎涼華トノサキリョウカは相変わらず賑やかだ。


「ねね、よしのん! 何か……テレビ、珍しい?」

「へっ!? あ、いや、えと、その……この時間、テレビ見てるの……不思議、で」

「なにそれー、ふふ。駄目だぞっ! 社会人たるもの、ニュースくらい見ないと!」


 因みに涼華が毎日見てるのは、ややバラエティ寄りのニュース番組だ。朝はどこのチャンネルも、最新のニュースが行き交い話題に満ち溢れていた。

 だが、まるで子供のように吉乃は見入る。

 それこそ、初めて朝のテレビを見た人間のようだ。


「ちょっと、いっつも思うんだけどさ? マサ君、お行儀悪い。新聞読むの、やめなよ」

「いや、ちょっと待って……一応さ、お得意さんとかとの話題作りとか……あと、プロ野球のニュースくらいは」

「まだ開幕してないでしょ」

「キャンプとかさ、それと他にも色々と」


 渋々しぶしぶ新聞紙をたたみ、今日の朝食に向き合う。

 きたてのごはんは白米がピンと立ってるし、ザクザク野菜の入った味噌汁みそしるはいい匂いがした。他には味付け海苔のりと、カリカリに焼いたベーコン。

 涼華は昔から、家事だけは達者たっしゃな姉だった。

 母親が早くに出ていったから、そうならざるを得なかったのだろう。


「ねね、よしのん。味、どぉ?」

「あ、はい……凄く、美味おいしいです」

「でしょー!」 めて褒めて、もっと褒めて!」

「えと、まず……です。それに、で」

「もー、味とかは?」

、その……こ、こんな朝食、初めてで」

「またまたぁ、大げさなんだから」


 不思議な違和感があった。

 テレビに気を取られながらも、吉乃はせっせと食事を口に運ぶ。そして、えもいわれぬ幸せそうな顔をするのだ。ほおがほのかに桜色さくらいろになって、本当に咲き誇る桜花おうかの花びらを思わせる。

 白い肌を薄紅色うすべにいろに染めた、その気持ちの意味はわからない。

 だが、吉乃は遠慮がちにしながらも朝食を全て平らげた。


「ごちそうさま、でした」

「はーいっ、お粗末そまつさま! ちょっと、マサ君? 片付かないから早く食べてよ、もぉ」

「あ、ゴメン」


 急いで味噌汁をかっこみ、味わう間もなく飲み込む。

 だが、そんな正重の隣で、吉乃は自分のかばんから何かを取り出した。

 それは、小さなペットボトルのミネラルウォーターと……白い紙袋だ。封筒サイズのそれから、錠剤じょうざいいくつか取り出す。

 そういえば、面接の時に健康状態の話をしなかったのを思い出した。

 どこかはかなげな線の細さはあるが、吉乃に病気の気配はなかったように思う。

 ただ、まるで白磁はくじのような肌は不健康というより、色白な美人特有の美しさがあった。


「あっ、ちょっと! よしのん、何座?」

「えっ? あ、えと、確か……4月18日生まれなので」

「へー、もうすぐ誕生日じゃん? で、牡羊座おひつじざだ。おっ、ひつっ、じっ、ざ!」


 丁度今、朝のニュースで星座占いが始まったところだ。

 涼華はこれが好きで、毎日一喜一憂している。

 女性アナウンサーが、下から順に今日のラッキー星座ランキングを読み上げていった。因みに正重は乙女座おとめざで、涼華は蠍座さそりざである。

 いいえ私は蠍座の女、なんて歌って上機嫌なのが、涼華という人だった。


「おおっ、牡羊座一位っ! 圧倒的に、一位だよ!」

「こんな番組、やってたんですね……その、初めて、見ました」

「またまたー」


 テレビではラッキーアイテムがどうとか、今日の仕事運の話をしてりしてる。

 それを聴きながら、涼華が朝食の後片付けを始めた。

 やっぱり同世代の女性同士、吉乃の雇用は正解だったかもしれない。ちょっと妙なとこがあるが、物静かな吉乃を姉も気に入ったようだ。それに、誰にでもおせっかいで人懐ひとなつっこい姉だから、すぐに吉乃を受け入れてくれたのはありがたかった。


「さて、じゃあ少し速いけど仕事を始めますか。いい? 染井さん」

「は、はいっ! あの、ごちそうさまでした! お姉さんも、本当にありがとうございます。私、朝ごはんを座って食べるなんて、その、久しぶりで」

「なにそれー、ふふ。いいのいいの、気にしないで。あたしも手伝うけど、お仕事がんばろ!」


 涼華はいつもの調子で台所へと去っていった。

 そして、正重は吉乃を連れて再び店舗の中を突っ切る。その先の倉庫脇に、事務所として使っているスペースがあるのだ。

 そこには、ちょっと古いけどパソコンが机の上にある。


「早速だけど、染井さん。帳簿ちょうぼ、見てくれる? やっぱ、今年から青色あおいろ確定申告かくていしんこくしたくてさ。伝票とかは、まぁ……整理してなくて、束になってるんだけど全部あるから」

「はいっ! が、頑張ります!」

「あんまししゃかりきにやらなくていいから。あと、他の仕事もおいおい」


 大きくうなずきながら、吉乃は机に座った。

 正重は、まずは店の雰囲気に慣れてもらえればと思った。確定申告も来年の話だし、帳簿だけやってもらう訳にもいかない。でも、最初はこんなもんだろうと考えていたのだ。

 だが……突然、吉乃はキーボードに手をおいてマウスを握り、豹変ひょうへんした。


「あ、結構いい端末たんまつ使ってるんですね。メモリも十分だし、音楽や動画はやらないから……あと、インストール済みのアプリは……ん、既存きぞんの会計ソフトとかは使わない感じなんですね!」

「……ん、まあ。その、よくわからないけど」

「とりあえず、今ある伝票を入力しちゃいます。それで、まずは帳簿をデータとして作りますね。それと……少し、使いやすくしてもいいですか?」

「あ、はい……その、お願いします」


 不思議と正重には、吉乃がイキイキして見えた。

 彼女は、あまり正重が触らないようなソフトも起動してチェックしながら、一言断りを入れてくる。何でも、作業環境がどうとか、設定の変更がどうとか。

 やりやすいようにどうぞ、と言ったその瞬間だった。

 彼女はキーボードをズダダダダ! と歌わせながらマウスを操る。

 見たこともない画面やウィンドウを何度も経由して、どうやらパソコンは生まれ変わったようだ。そして、満足げな吉乃が振り返る。


「あの、正重さん……裏帳簿、本当にいいですか? かなりのもの、できますけど」

「や、それは流石さすがに」

脱税だつぜいっていうより、まあ、節税せつぜいとして」

「……マジ?」

「はいっ、マジです!」

「ま、裏帳簿はいらないけど、気付いたこととか何でも言って。正直、節税なら助かるから」


 時計を見れば、ちょうど九時になるところだ。

 そろそろもう一人の従業員も出勤してくる。

 田舎いなかの小さな酒屋、リカーショップトノサキの一日が始まろうとしていた。

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