第40話 影
「カ、フッ……」
締め上げられる首から、何としても空気を取り込もうと喉が鳴く。影は今にも絞め殺す、どころか首をへし折らんと力を込めているが、どういう事か掴んで振りほどこうとしても手が空を切る。
指は首に触れているのに、その指すら掴めない。となれば、首の筋肉を精一杯張って影の握力が尽きるのを待つしかない。
最も、その影に握力という概念があるのなら、の話だが。
「おねぇちゃぁぁぁぁぁ!」
と、藻掻く優奈へ周囲の清掃を終えたカエラが突進し。
「カ、カエ──」
影をすり抜けて優奈に激突。二人仲良く十数メートル転がって停止する。
「あ、危ないでしょ……もう。」
「ごめんなさぁい……でも、おねぇちゃんこそ危なかったの。」
「うん……そうだね。じゃあ、手伝ってくれる?」
「うん!」
一人では倒せなさそう。かといって、カエラがいたところで策は全く浮かばない。どんな攻撃が有効なのか、そもそも攻撃など効くのかさえわからない。
そうこう悩んでいるうちにも影は二人との距離を詰める。
「ぉぉぉおねぇちゃ! どどどうしよ! 来てるの! こっち来てるの!」
「ぇぇえと、ううう……えい!」
考えも何もなく、やけくそに火を放つ。瞬間、火種は火炎と化し、影と二人の間に身長を遥かに超える炎の壁が燃え上がる。どうせ効かないだろう。せめて時間稼ぎくらい。
と、思っての苦し紛れの攻撃だったが、影は数歩退いて立ち止まる。
炎を跳び越えたり潜ったりする様子は一切ない。
「おねぇちゃん! 止まったの!」
「う、うん」
自分でも予想外の結果に戸惑ったのと、更に突如浮かんだ『これこそファイアーウォール、なんちて』という台詞を飲み込んだ事によって言葉を失う。
しかもその影は次第に蜃気楼の用に揺れながら徐々に薄くなり、やがて塵も残さず消えてしまう。
「やった、の……? おねぇちゃん! やったの!」
「ええ……? これで終わり……?」
カエラは満面の笑みで優奈に抱きつく。実際は嬉しいというより、抱きつきたいだけ。
柚希は『それなりのが守りについている』と言っていたが、これが『それなり』なのだろうか。それとも、『それなり』程度は簡単に潰せるまで自分が成長したのだろうか。
どうやらそれはどちらも不正解だったらしく、次の瞬間優奈はカエラを抱いて大きく飛び退く。
「お、おねぇちゃん!? そ、そんな……あたしはまだ……」
「カエラちゃん、あれ」
靄のような、霞のような、影としか言いようのない存在。
今さっき消えたそれは、ちゃっかり、あっさり、すんなり復活してすぐ近くに立っていた。
「そんなぁ……」
僅かに紅潮し、緩んでいたカエラの唇は嘆息と共に垂れ下がる。
倒されたのではなく、消されたのでもなく、只消えただけ。
影は最初のように、二人に向かって一直線に駆ける。
「ヤバイヤバイの! こっち来たの!」
「うううわぁぁあ!」
優奈はカエラを抱えて影と反対の方向に猛ダッシュする。走り、走り、建物の合間を右へ左へと入り込む。そうして気が付けばどれほど移動したかわからないくらいの頃。
「おねぇちゃん! おねぇちゃん!」
「な、なに!?」
「後ろ! ついてきてないの!」
「えっ?」
その言葉に振り返ると、確かに背後には何者もいなかった。
という隙に! 背後に回っているのかもと振り返っても、見えるのは多くの悪魔といくらかの抵抗する一般人。できればそちらを援護したいが、万が一影がギラへと狙いをシフトしたのなら洒落にならない。
「ちょっと、戻ってみようか。」
「わ、わかったの……。」
慎重に来た道を戻ってみるとかなり前、つまり、ほぼ、逃げ始めたその最初の角辺りに、影は突っ立っていた。
「うわいたっ!」
しかし、影は全く反応しない。やがて諦めたのか影は踵を返して歩いていく。
「……?」
人型の影に人と同じような目がついていたのなら、明らかに視界に入っていた筈だった。しかし、反応しない。
目が見えていないのだろうか? ならば、先まではどうやって追ってきた。目だけではない。他の五感を使っていたとしても、先と同じ要領でいけばこちらに気付く筈だった。しかし、全く気付いていない。
「い、くよ。」
「うん……。」
少しずつ影と同じ方向に寄り、例の角を越えたその時。
影は、霧のように霧散して消え失せる。
「またなの!」
「いや、──」
振り返ると、そこには回り込んだ影。
「またなのぉ!!」
優奈は喚くカエラを降ろさずに。
「おねぇちゃ!?」
回り込んだ影の、その方向に走る。跳躍することで伸びてきた手を、どころか体ごと飛び越えて避ける。
影の回り込んだ方向、即ち先の曲がり角。そこを曲がると。
「追ってきてるの!」
「あれぇ!?」
影は歩いて、その角を曲がる。
しかし、その足取りはおぼつかず、不自然に、只真っすぐ歩く。二人が横に避けても、気付かずに。
「変なの。あれ、どうしたの?」
「うーん……」
ここに来ると、突然目が見えなくなるのだろうか。しかし、地形や明るさに大した変化はない。確かに建物の陰となって少し暗いが、先までもこの程度の暗さの場所はあった。
そもそも、目が見えているのだろうか? しかし、他の五感で感知していたにしても、ここに来た途端に何も感知できなくなる理由がわからない。
「もしくは……」
それは、一際目立つ建物。抱えきれないほどの見栄と自尊心を具現化した見て呉れもそうだが、何より五階建てという背の高さが他を圧倒している。
それは、とある貴族が自分の土地では飽き足らず王都にまで建てた別荘、ただそれだけのもの。
しかし、今となっては人類を滅ぼさんとする者にいいように使われる、恰好の展望台となっていた。
「チッ……どこ行きやがった」
その最上階から街を睥睨する男は、苛立ちに手元の机を後ろに放り投げる。宙を舞った机は床に激突、せずに何かに弾かれて吹き飛ぶ。
「ッ!」
「もう! おねぇちゃんが怪我したらどうするの!」
振り返ると、つい先程まで探していた二人が丁度揃っていた。しかし、こんな形では見つけたくなかった。
否、見つかりたくなかった。
男はその場に膝を付き、頭を深く下げる。
「あぁ勇者様! 見苦しいところをお見せしました、お許しください! しかしこのままでは王都が……どうか、お助けください!」
周囲を、濃密な魔気が包む。
「ああ、えっと、このおうちの方でした? はい。私達が、えーと……なんとかします!」
「おお……! この御恩、私程度の生涯では返しきれません! 本当に、本当にありがとうございます!」
辺りを包む魔気は、消える気配がない。
顔を上げた男は、その表情を驚愕に塗りつぶす。
「勇者様! 後──」
優奈の背後に、影が現れる。優奈は反射的に跳んでそれと距離を取る。つまり、男に背中を見せたわけで。
男は懐から、短刀を抜く。
「──」
死ね! とでも、言おうとした。しかし、それは叶わない。それで勘付かれては本末転倒だから、ではなく。
それを口にする事さえ出来ずに、男は雷撃に穿かれたのだ。
「今度こそやったの!」
「うん。」
文字通り、漫画のように黒焦げになったそれを見て優奈はホッと一安心。
本体には攻撃が効いて良かった、と。
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