第37話 妖精の長
「どうぞこちらへ」
妖精に案内されたのは、特に変わった様子のない、他と比べれば大きいことくらいしか特徴のない一軒家、その一室。扉を開けて目の前、テーブルの向こうのソファに座っていた女性が立ち上がる。
前髪をポンパドールで上げ、カールのかかった高麗納戸のロングヘアー。柔らかなパステルスカイのエンパイアラインを上品に着こなし、スラリと伸びて少しだけ見える足や腕は絵画に出てくる女神のように不純物がない。
「初めまして。私、ここの形上の代表をしております。パピリア=ラス=リリエールと申します。」
「形上、敢えて言うなら秘書のガーダール=ヘウ=ツリークです。」
彼女は丁寧に一礼。その三白眼の紺碧の瞳に敵意は見えない。
続いて頭を下げたのは向かって右側に立つ男。新品のように糊の効いた純白のモーニングコートにグレーのネクタイ。バックとサイドを刈り上げたオールバック。太い眉毛と険しい顔つきに敵対心は見えないが警戒心はビリビリと伝わってくる。
「これはこれは御丁寧に……とは、言えませんね。」
少し頭を下げてから二人の様子を伺うが、どちらも顔色一つ変えない。
「失礼しました。僕は刈山壮と申します。まず謝らせて下さい。玄関ではお騒がせしました。」
「とんでもない。先に手を出したのはこちらのようですし」
パピリア=ラス=リリエール。『形上の長』とやらに促され、壮は彼女の向かいのソファに腰掛ける。
「単刀直入に聞きます。」
「こちらも聞きたいことはありますが、どうぞ。」
「何をしに来たのか。」そんな質問だろうと壮はその答えを予め口の手前まで用意すると。
「貴方、何者ですか?」
「はい?」
想定と全く違う質問に、危うく質問と全く違う答えを吐き出すところだった。代わりに間の抜けた声が出たが。
「ご存知ないですか? 私達は他者のオーラを見る事が出来ます。そのオーラで種族や力量が大まかに測れる。そして貴方は人間ではない。恐らく──」
「ああ、ヴァンパイア、でしたっけ」
緊張の張り詰める二人を余所に、壮は「困ったもので」と笑う。
「いえ、困ったことは今のところありませんね。最近なってしまったのです。気を抜いてまして、ガブリと。」
「は……え、は?」
何故ヴァンパイアが人間と共に行動しているのか。隠しているのなら、何故こんなにもあっけらかんとしているのか。しかも最近やられた、というのに何故笑っていられるのか。
何故、何故、何故。
壮への止まない疑問を一先ず胸に仕舞い、彼女は次の質問へ移る。
「あの人間は、……いえ、あれは、何ですか? 人間、なのですか?」
「ええ、正真正銘、人間ですよ。」
「ふざけないで下さい。あんな、あんなの、見た事もない。そもそも人間が我等に勝てる訳がない。あんなオーラ、人間のはずが……」
先まで黙っていた男が口を挟む。
壮は一つ、納得した。何故、自分だけが拘束されなかったのか。
ズバリ、ヴァンパイアであるからだ。
妖精は人間を毛嫌いしている、というのは聞いていた。だから人間でない自分は拘束されなかったのだろう。
しかしミヤまで拘束されたのは、彼女の種族も同じように見られているのか、もしくはそれ程までに『ヴァンパイア』が重要視されているのか。そこに関しては壮にはわからない。
壮は、この世界では大いなる世間知らずだ。元々ファンタジーにすら疎い彼が、この世界の常識を知っている筈がない。
だから、彼がここで妖精を説得するにはそれだけが道であった。
真実を全て、話す事だけが。
「そ、それは……」
元々自分と柚希と優奈はこの世界の住人ではない事。
追い詰められた国王に召喚された事。
人類及び亜人類の味方と付くと決めた事。
タルシュにいた前線部隊を討伐した事。
その際にヴァンパイアへと転化した事。
ここへは、協力を仰ぎに来た事。
「それは、俄には信じられませんね……ですが、勇者……あり得ない話ではありませんね。懐かしい話です。」
納得ならない、否、とても信じられない話だが、彼女は一先ず質問を諦める。魔王軍の部隊が人間に殺された、という情報も既に得ていたから、これならば一応は辻褄が合うと考えたのだ。
「……懐かしい?」
「私達、九百年は生きるのですよ。かつての勇者も見てはおりませんが、知っております。」
「なんと……」
年齢を聞くのはまずいだろうか、いや女性に聞くものではない、と壮は心の中で僅かに葛藤する。
「しかし、協力は出来かねます」
「どうしてでしょうか」
壮は『形上の秘書』に向き、問う。
「我々が人間を嫌っているのはご存知でしょう。それは、種として力が劣っているからではありません。同族同士で醜い争いをするからです。そんな種の争いに巻き込まれるなど、御免だ。」
「しかし、今回の争いは向こうから仕掛けてきたものです。その共通の敵の"おかげ"と言っては変ですが、今人は種を超えて団結しています。どうか、人類を見直しては貰えませんか。」
「だとしたところで、此方に何のメリットもありません。無駄に戦いに巻き込まれるだけです。盟を結ぶ必要も理由もない。」
「ツリーク」
自分を止める声に、彼は「貴女も同じ考えの筈です」鋭い視線を向ける。
「……そうですね。此方にメリットが無い、どころかリスクしかありません。戦いに参加する、という事ですからね。その約束は結べませんね。」
「それに。ヴァンパイアに転化したのに自我を保ち、主を殺すなんて聞いたことがない。それが真実だったとしても、貴方は信用なりません。」
とんでもない裏切り者気質なのか、何かを隠しているのか。はたまた言ったことが全て真実だとでもいうのか。今のツリークには判断出来なかった。
「……わかりました。私からこれ以上話しても無駄なようですね。しかし仲間の話も聞いていただきたい。本来私は交渉担当ではない、ただの用心棒です。」
「わかりました。彼らを開放しましょう。」
「リリエールさん!」
「ツリーク。彼の話が真実ならばあの人間の姫君以外は被害者です。牢獄になんて入れておけません。」
こうして、交渉はうまくいかなかったが柚希達は一先ず釈放された。
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